東京へ来て、自分が輝く働き方を“選べる”ようになった:彼女の選択
東京には、Web制作の仕事がたくさんある――望むキャリアを手に入れるために、地元を離れる決意をした鈴木さん。経験の少なかった彼女が、東京で「やりたい仕事」に就くために、たどった軌跡とは。
希望する業界や職種でキャリアアップしていきたい。そう願いつつも、なかなか思い通りの経験を積めない人はいないだろうか。特に地方は、企業数に比例して仕事の数やバリエーションが限定的で、都市部よりも仕事の選択肢が少なくなりがちだ。
今回お話をうかがった鈴木亜紗子さん(35歳)は、より大きな可能性を求めて東京に出てきたWeb制作を得意とするエンジニアだ。
趣味を生かしてイントラネット制作へ
鈴木さんは商業高校情報処理科を卒業後、正社員として関東近郊のソフトウエア開発会社に就職した。
「情報処理の授業でCOBOLやVBを学んでいたので、プログラマーとして働くものだとばかり思っていたのですが、ExcelやWord、Accessのスキルもあったので、会社からクライアント先で事務を担当してほしいと言われました」
やや意外ではあったものの、高校を卒業したばかりの鈴木さんにとっては「働くこと」そのものが新鮮だった。自身のスキルを生かせることもあり、日々事務の仕事に励んだ。
しばらくすると趣味でWebページを制作していることがクライアントに知られ、クライアント先のイントラネットのサイト制作も担当することになった。
「部署ごとにイントラネットを立ち上げていたので、作業量はそれなりにありました。何よりもWebページの制作が好きだったので、仕事として携われることがうれしかったです」
ハンドコーディングでHTMLをゴリゴリと書き、きちんと動くものを制作する。イントラネットサイト制作の仕事は、鈴木さんにマッチした。
そして2年が過ぎ、イントラネットサイト制作にやりがいを感じていた鈴木さんは、会社から突然「社に戻って業務系システムの開発をするように」と告げられる。
「イントラネットサイト制作の仕事が楽しかったし、COBOLなどの言語は高校卒業後2年もブランクがあったので、今さら業務系開発を『やって』と言われても、無理だなあと思いました」
情報処理科卒業でありながら入社時は事務の仕事に配属され、それでも仕事内容を広げてイントラネットサイト制作に携わるようになったら、今度は会社に戻って業務系のシステム開発へ異動といわれる。会社とはそういうものではあるけれど、あまりにも振り幅が大きく、系統立てたスキルを身に付けるのは難しいのではないかと鈴木さんは心配になった。イントラネットサイト制作で蓄えた知識や経験を生かして、Webの分野でキャリアを積みたいと考え始めてもいた。
そして鈴木さんは退職する。次の就職先は決まっていなかった。
まず100万円をためる。やりたいことをやるのは、それからだ
勢いで会社を辞めたものの、鈴木さんを待っていたのは厳しい現実だった。
再就職しようにも、そもそも地元で中途採用を行っている企業は少なかった。鈴木さんが希望するWeb制作はもちろんのこと、事務職でも正社員の募集はほとんどなかった。
そこで鈴木さんは地元の派遣会社に登録し、仕事を紹介してもらった。地元の工場での勤怠管理や給与計算など人事を含む事務全般で、工場の閉鎖が決まっていたため、1年半という期限付きだった。
このころから、派遣で事務の仕事をしつつ、プライベートでWeb制作のアルバイトをするようになった。
「インターネットで知り合った人たちと情報交換をしているうちに、『こんなのできる?』『これ作ってくれない?』などの依頼をされるようになりました。まだ、それだけで食べていけるほどではありませんでしたが」
しかしその経験は、鈴木さんにWeb制作を本業にしたいという決意を固めさせるのには十分だった。
1年半後に予定通り派遣期間が終了。次の仕事を探すに当たって、鈴木さんは大きな決断をする。「このまま地元にいても、Web制作の仕事には就けない。本当にWeb制作をやりたければ、東京に出るしかない」と。
ネットを見れば、東京には自社でWebサービスを展開する会社やWeb制作会社、またWeb制作の仕事もたくさんあった。しかし、東京に出ていくためには元手が必要である。今までの事務の仕事では、どう頑張っても手取り額で14万円程度。収入は全て生活費に消えてしまう。
そこで思い切って、工場のラインで夜勤の仕事をすることにした。
「夜勤ならば、手取りで25万円ぐらいになります。100万円の資金をためるまで頑張ろうと考えました」
2年後に目標金額がたまり、鈴木さんは東京行きを実行する。
東京で飲食店の仕事に。Web制作は諦めたのか?
東京での就職活動もそれほど甘いものではないことは、鈴木さんもある程度承知していた。事実、イントラネットの制作には携わっていたものの、インターネットでのWeb制作に関してはプライベートでしか経験がなかった鈴木さんを、正社員として採用してくれる会社はなかなか見つからなかった。
そこで鈴木さんは、東京でも幾つかの派遣会社に登録した。
この試みは成功した。派遣会社は鈴木さんのプライベートでのWeb制作の経験を、きちんと評価してくれたのだ。最初に紹介されたのは、当時成長著しいネット企業、仕事はモバイルサイトの制作だった。Webの制作ではなかったが、ガラケー(フィーチャーフォン)全盛の時代だったので、勉強になると考え期間満了まで勤務した。
その後、鈴木さんはWeb制作の仕事からいったん離れ、都心の飲食店でアルバイトをする。しかし、Web制作の道を諦めたわけではなかった。「お店の雰囲気がとても良くて、ここで働いてみたいな、と思ったんです」と、正直な理由を語ってくれた。
実はこの飲食店での経験が、現在の鈴木さんに大きなプラスになっている。しかしこの時点では、そのことを知る由もなかった。
仕事もプライベートも充実した日々
その飲食店でネット通販サイトの製作も行い、再びWeb制作への意欲が湧いてきた鈴木さんは、また派遣で働きだした。
派遣に戻り、大手ネット企業、大手広告代理店系Web制作会社で働いた鈴木さんは、Web制作会社では上司に恵まれた、と振り返る。
「とても良い方で、広告業界でのワークフローなどを丁寧に教えてくださいました。おかげで、スピード感を持って仕事ができるようになりました」
その上司の下での仕事を期間満了で終了した後、鈴木さんは登録している派遣会社を見直した。仕事を「選ぶ」という観点から、他の派遣会社に比べて案件が豊富なリクルートスタッフィングに新たに登録したという。
「リクルートスタッフィングは、案件数もさることながら、仕事内容や条件の良い仕事がそろっているのが印象的でした」
リクルートスタッフィングから紹介されたのは、大手シンクタンク系のWebコンサルティング会社だった。そこでは大手百貨店のサイト制作を担当し、毎日定時退社できるようになったという。
プライベートの時間が取れるようになった鈴木さんは、クラブに通いだす。
「飲食店勤務時代の同僚がプライベートでDJをやっていて、それが縁でクラブに足を運ぶようになり、ハマりました」
ただ遊びに行くだけではない。スタッフに頼まれ、ボランティアでイベントページ制作も行うようになった。東京に来て鈴木さんの世界は仕事でもプライベートでも大きく広がった。
ゲーム開発は、飲食店の仕事に似ている?
現在、鈴木さんが勤務しているのは、モバイルゲームで有名なネット企業だ。
「ゲームは好きでしたし、これからIT業界で活躍していく限り、スマホは押さえておくべき技術。それならば、この機会にしっかりスマホに関するスキルを身に付けようと、ここに決めました」
ゲームの制作は今までとは勝手が違うという。ゲーム内イベントなど、複数のタイトルで次々とプロジェクトが立ち上がり、個別に進行していくので、それぞれのプロジェクトの進捗(しんちょく)に応じて同時並行で対応していく必要がある。
しかし、鈴木さんはそうした業務の進め方をすでに体得していた。
「意外ですが、飲食店でのアルバイト経験が生きているんです(笑)。それぞれのテーブルを見渡して、あちらのテーブルはそろそろ鍋に具材を入れるタイミング、こちらのテーブルは今煮込んでいるところ、そちらのテーブルはそろそろふたを開けて召し上がっていただくタイミングというように、常に目配りをしていました。今の職場で仕事を進めるときも同じだなって」
現在の職場は最新技術を積極的に取り入れているため、大いに勉強になるという。
「jQueryを利用していたり、Gitでソースコードを管理していたり、といったことが当たり前に行われているし、技術勉強会のメーリングリストで情報がどんどん共有されるので、新しい技術をいろいろと身に付けられるし、やりがいも感じます」
思い切って東京に出てきたことは、鈴木さんにとって正解だったと言えよう。
選択の範囲が広がれば、自分が仕事を選べるようになる
そんな鈴木さんに、地方で仕事選びに悩む人たちへのアドバイスをもらった。
「地元でやりたい仕事に就けなかったとしても、それで職業人生の終わりということは決してない。もし地元を離れることが許されるのであれば、東京に出ることを勧めたい」と鈴木さんは言う。やりたいことがあり、スキルを身に付ける努力し続けていける人であれば、東京では選べる仕事の範囲が格段に広がり、仕事内容も給与もより好条件の仕事を選べるようになる、というのがその理由だ。
鈴木さんは、派遣という働き方にも満足している。各種保険に入っているので、ケガや病気をしても補償があるし、将来に対する不安もあまりないという。
「私が社会人になったころは、『プログラマー30歳定年説』というものがまことしやかに語られていました。しかし、そこから5年立つと『35歳定年説』に、今では『40歳定年説』も耳にします。時間がたつほどに定年が伸びていくのは不思議ですよね。
本来なら定年を迎えた30代や40代がたくさんいなければならないのに、実際は、常に人手不足なんです。職場の上司からも『知人にWebのコーダーいない? いい人がいたら紹介して』とよく相談されます。おそらく私が40代や50代になっても、こうした状況は変わらないでしょう」
地方でやりたい仕事に出会えていない人が、新天地で希望の仕事にチャレンジしてみるのは「あり」かもしれない。鈴木さんの生きざまが、それを証明してくれている。
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