限界集落とIT[Analysis]

» 2008年08月25日 00時00分 公開
[垣内郁栄,@IT]

 「ブオーン」というディーゼルエンジンの音が床下から響き、列車は峠を登っていく。かつての伊勢と紀州を分ける峠で、紀州側に下り始めると漁港に係留された漁船が見えてくる。

 名古屋から南に向かう紀勢本線に揺られていると、絵に描いたような日本の「田舎」の風景が目に飛び込んでくる。伊勢平野では稲刈りが真っ最中の漁業、リアス式海岸の紀州に入ると漁業と林業が盛んだ。盛んだというのは出身者の見栄であり、都会出身者にとっては「過疎」にしか思えないかもしれない。

 東京から田舎に帰ると、過疎化する田舎をどうにかしたい気持ちと、どうにもならない諦めの気持ちが心の中で混じり合い、どちらの気持ちも押し殺してしまう。この夏にそのような思いをした人も多いのではないだろうか。

 インターネットが登場したことで、ビジネスや共同作業において距離は問題でなくなった。どのような田舎であってもネットワークにつながっていれば、仕事はできる。特にソフトウェア開発やサービス開発などの仕事では、リモートから仕事を行うことは一般的なスタイルだ。

 自らがもっとも生産的に働くことができ、クリエイティブな発想を生み出すことができる環境を追い求めた結果、それが田舎にあったという開発者もいるだろう。Ruby開発者のまつもとゆきひろ氏の島根県松江市での活動を挙げるまでもなく、開発者にとって地方での活動は有力な選択肢の1つだ。

 しかし、だ。そのような新しい就業スタイルがまったく追いつかないほど、地方の過疎化は深刻だ。過疎化する地方では町を出歩く人が少ない上に子供を見かけない。いまや日本の人口の5人に1人は65歳以上だ。また、65歳以上人口比が50%以上で、共同体の機能維持が限界に達する「限界集落」に近づく自治体も増え続けている。

 各自治体は人口増、税収の増を目指して企業の誘致やUターン転職の支援、観光資源の開発など、さまざまな手を打ち始めている。これらの対策によって活気を取り戻した自治体もあるが、人口減少を止めることができないケースも多い。公共事業を増やせば地方が活性化するという単純な発想はもはや通じない。人がいないのだ。

 地方の過疎化は市場競争の自然な結果と見ることもできるだろう。若者が田舎を出て帰らないのは仕事がないからだ。若者がいないため、さらに新しい仕事が生まれない。そして地方はさらに縮小していく。社会の動きとしては理解できても出身者としては何とも辛い。地方分権の推進などさまざまな考えはあるが答えは簡単ではない。

 この構図は日本のIT産業にも似通っているというと言い過ぎだろうか。日本全体が人口減少に向かう中、日本語を対象にしたサービスや製品は限られたパイを取り合うだけで、大きな成長が期待できない。より大きな成長を求めるなら、英語圏や中国語圏を意識したサービス開発、製品開発がいまや当然だろう。日本のソフトウェア開発やサービス開発も製造業の後を追う時期だ。このようにして日本のITも将来的に人が少なくなってしまうのか。やはり、答えは簡単には出せないのだが……。

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