プログラミングは「創造」であり「製造」ではない:情シスの本棚(2) アジャイル、スクラムで一番大切なこととは
市場環境変化が早い現在、ソフトウェア開発においてもスピードや柔軟性が求められている。だが、価値あるイノベーションを起こすためには、アジャイルやDevOpsといった方法論以前に大切なことがある。
ソフトウェア開発のスピードと質を支えるものとは?
「ITを使ったイノベーションを考えたとき、やはりアジャイルをうまく使うことはこれから必須になってくるでしょう。つまりITを、ビジネス全体の中に位置づけ、市場や顧客との対話をしながらITを開発していくことになります。その意味で、アジャイルスクラムはこれからの手法として、大きな役割を果たすと思います」――。
本書「アジャイル開発とスクラム」は、アジャイル開発手法の国内第一人者として知られる平鍋健児氏と、1980年代に日本の製造業におけるイノベーション手法を「スクラム」と名付けて論文を発表した一橋大学 名誉教授の野中郁次郎氏が、現在の経営環境とアジャイル開発の意義、具体的な実践方法を解説した作品である。冒頭は平鍋氏との対談における野中氏の言葉だ。
野中氏が提唱した「スクラム」は、1990年代、ジェフ・サザーランド氏らによりソフトウェア開発に応用され、アジャイル開発の実践手法として広く普及することになった。本書では、市場環境変化が早く「ビジネスを作る側と技術を担当する側が協力して」「すばやくリリースしてユーザーを獲得すること、ユーザーの反応を見ながらソフトウェアを追加・改変していくこと」が求められている今、スクラムは開発現場のみならず企業活動全体に及ぶ取り組みであることを示しつつ、アジャイル開発とスクラムの意義、実践方法を分かりやすく説いている。
中でも印象的なのは、アジャイルというと「スピード」や「方法論」がまず想起されるのに対し、本書では方法論だけではなく、アジャイルやスクラムがゴールとする「イノベーション」とはどのようなもので、何から生み出されるのか、アジャイルの本質を深く考察している点だ。平鍋氏は、「アジャイルが目指したものの根幹は、対話をベースにした協調チームを、顧客・技術者がともに作るマネジメント」であったことを解説。これに基づき、アジャイルを「組織に拡げ、経営とつなげる」「持続的イノベーションにつなげる」ためには、どうすればよいのかを掘り下げ、野中氏が提唱したスクラムにおける「実践知リーダーシップ」が鍵になると指摘している。
この「実践知」とは「実践からの知」、「言い換えると、目に見える事象と、その背後にある関係性までを読み、その場で適切な判断を下し実行する」ことであり、「実践知リーダー」には「六つの能力」が求められるという。その中のいくつかを紹介しよう。
1つは「何が善いことなのか、という判断基準を作る『善い』目的を作る能力」。この基準は「金銭的なもの」ではなく、「社会に対してどのような価値をもたらすのか、という『共通善』の視点」を指す。ソフトウェア開発にスクラムを応用したアジャイルスクラムでは、プロダクトオーナーが製品のビジョンを作るが、「この製品は何のために使われ、誰を幸せにするのか。そのために、僕たちはどんな製品を作りたいのか。それを聞いた開発チームがわくわくし、目を輝かせるような、壮大な夢を語る能力」が必要だという。
2つ目は、「知が流通しやすいダイナミックな時空間である『場』をタイムリーに作る能力」。この「場」とは、例えばアジャイルスクラムに組み込まれている「朝会」や「レビュー」「振り返り」などを指し、スクラムマスターには「必要な場面で必要なメンバーの会話が発生するようなチーム作り、仕事場作り、信頼関係作り」が求められると説く。
3つ目は「ありのままの現実を直観する能力」。例えば「各スプリント終了時の『スプリントレビュー』ごとに、現物を見て状況をありのまま把握し、評価する。また、市場にリリースした製品のフィードバックを見て、その製品の評判を受け入れる。これらの評価から、本質を見出す洞察能力」を指す。この他、「スクラムチーム全体を巻き込んでビジョンを共有・説得するとともに、スクラムチーム外の組織とも交渉する」「政治的能力」も必要になるという。
こうしたスクラムとイノベーションについて、野中氏は次のように語っている。「最初にあるべきものは何か。それは自分自身の内にある真剣で熱い思いです。それをみずからコミットして世界に投げかけ、周りの人々も巻き込みながら、実現するまでやり抜く。それが知識創造であり、イノベーションだと思うのです。思いがイノベーションとして結実する過程は、このように個人の知が集団の知、組織の知となり、やがて再び人に帰ってきます。そういう知識創造の場を作る方法が、スクラムだろうと私は考えています」――。
近年、注目を集めているDevOpsの文脈においても、「開発と運用が連携してITサービスを短期間でリリースし、要望をくみ取りながら改善を重ねる」といった方法論が注目されている。だが本当は、アジャイルにせよDevOpsにせよ、イノベーションを生み出す源は方法論そのものではなく、もっと人に根差した深いところにあり、方法論はそうした“イノベーションの原動力を引き出す手段”であることが強くうかがえるのではないだろうか。
「プログラミングは製造か」と題されたコラムも興味深い。平鍋氏はジャックリーブス氏による1992年の論文「ソフトウェアの設計とは何か」をひも解き、「プログラミングは自由度が高く、一通りに解が決まるものではない。名前の付け方や要素への分解の仕方まで、広く創造性が必要」なものであることを説いている。今求められている「スピード」や「品質」にしても、1人1人が創造性を発揮し、「チームみんなで、より高みを目指し、お互いを奮い立たせ、励まし合う」結果として、自ずと担保できるものなのかもしれない。
「市場変化が早い中でニーズに着実に応える」「経営に寄与する」というと、どうしても方法論やノウハウ、効用ばかりを注視してしまいがちだ。だが開発の現場から企業や社会に価値を発信していく上で、真に大切なものとは何なのか?――本書は、平鍋氏、野中氏の言葉とともに、リクルートテクノロジーズ、楽天、富士通といったアジャイル適用現場の生の声も豊富に収録している。アジャイルスクラムの実践方法と考え方を通じて、プログラミング、アジャイル、DevOpsといった言葉の意義を、あらためて捉え直してみてはいかがだろうか。
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