「爆速」の意外な中身とは?:特集:DevOpsで変わる情シスの未来(番外編)
「リーンスタートアップ」を体現するものとして注目されているヤフーの「爆速経営」。その活動の中身とは意外なまでに地道でひたむきなものだった。今回の書評記事「情シスの本棚」は、特集「DevOpsで変わる情シスの未来」の番外編としてお届けする。
「爆速」を成立させる秘密とは何か?
「爆速という言葉によって、社内の意識を変えられるようにはなったので、今年はイノベーティブなサービスを出すことに挑戦しています。スマートフォンやタブレットが登場したおかげで、ユーザーインターフェースと言われる、使い勝手が非常に重要になりました。だからこそ、僕らのサービスの作り方をより直観的なものに変えていかなくてはいけないと思っています。従来の工業製品のように、市場調査をして、企画書を書いて、製品を作ってといった作り方をしていたら、恐らく成功しないと思う。それよりも、プロトタイプ主義というか、ユーザーを巻き込んでは品質を改良したり、アイデアを取り入れてまた改変したり、というイメージですね」――。
本書「爆速経営 新生ヤフーの500日」は、2012年4月、創業から15年にわたってヤフーを率いてきた井上雅博氏に代わってCEOに就任した宮坂学氏が、その後どのようにして改革を推し進めてきたのかを、約1年半にわたって取材したルポルタージュである。
周知の通り、PCを主軸にした各種サービスで、堅調に収益・ブランドを高め続けてきたヤフーだったが、2007年以降のスマートフォンの台頭は「初めて直面した構造的な危機」となった。その象徴的な出来事が、スマートフォンを主軸にしたコミュニケーションアプリ「LINE」の台頭と、ヤフーブランドの高齢化だ。あるヤフー社員はLINEユーザーの女子高生にヤフーについて聞いたところ、「ああ、小学校のパソコンの授業で使ったことがある」と言われ「愕然とした」という。
その背景にあったのは、業績を堅持することを重視する故に、「あらゆる意思決定のスピードが落ちている」など、「『攻め』よりも『守り』に入った」経営姿勢だったという。では「経営陣の世代交代」の後、ヤフーはどのような改革を行ったのか、本書では宮坂氏をはじめとする経営陣の人となりにも触れながら、改革の軌跡をリアルにまとめている。
中でも印象的なのは、宮坂氏が行った改革とは、「爆速」という言葉のイメージから想起するような“特殊なもの”では決してない点だ。というのも、同氏らが行ったこととは、「自分たちの会社が何のために存在しているのか」を問い直す「理念の再定義」と、「201×年までに営業利益を2倍にする」という「明確な目標の設定」、そして「設定した目標を達成するための具体的な戦略を定め、それを戦術に落とし込む作業」の3つであり、「むしろ改革としてはオーソドックス」なものであるためだ。
ただ、言うまでもなく、業務の実行を担うのは多数の従業員だ。その点、「経営陣の考えをいかに社員に伝えるか、浸透させるか」が戦略・戦術を実現する上で大きなポイントとなるわけだが、本書ではそうした点にこそ宮坂氏の独自性が現れていることを指摘している。本書に収められた多数のポイントの中から、ここでは印象的なものを幾つか紹介してみたい。
リーンスタートアップやDevOpsは決して特別なものではない
1つは「爆速」という言葉の選び方だ。「どんなに重要な内容でも、その本質を簡潔な言葉で表現できなければ人の意識には残らない」。「その点、『爆速』というワンフレーズは、分かりやすく、言葉にパンチがある」。「スピードこそが、ネットの世界で生き残るための最優先条件である」といった経営陣の考えを社員に理解・浸透させる上では、このワンフレーズが効いた。「せっかくだから、Tシャツを作りましょう」「デザインは社員に作ってもらえばいいじゃん」といった具合に、社員はもとより「幹部からも次々とアイデアが飛び出し、爆速普及構想は一気に広がった」のだという。
これはパートナー企業にも波及している。カルチュア・コンビニエンス・クラブは約2カ月、クックパッドは約1カ月と、数々のスピード連携を成し遂げている。理念と目標がはっきりしている故に、「提携相手との交渉にぶれが出ない」ためだ。こうした点について、著者は「誰かのアイデアに次々とかぶせていくこのポジティブな思想と雰囲気が、新生ヤフーの真骨頂だと言っていい」と指摘する。
2つ目は「爆速」を実現できる組織体制の改変だ。6つの事業統括本部を「5つのカンパニー」に再編成。「社内のエンジニア約1600人が所属していたR&D統括本部を解体し、それぞれのカンパニーにエンジニアを配置した」。これにより、「企画・開発・運用が別々の組織に分かれていた開発体制を見直し、三位一体となった少人数のユニットを」増やすことで、「サービスの企画から開発までを一気通貫で手掛けられるようにした」のだという。
そして3つ目は、「爆速」実現に向けたあらゆる施策を根底で支える人事改革だ。「課題解決をしたか」「やるべき業務にフォーカスしているか」「何よりも爆速で動いているか」といったヤフー社員に求められる価値を提示し、人事評価制度に組み込むことで社員の価値観の統一を図っている。
サービス開発を直接的に支えるエンジニアに対しても、「活力を持って働ける環境」を作るよう配慮した。というのも、従来は「コツコツと面白いサービスを開発している人間が、社内に何人もいた」のに、「そのサービスを『面白い』と言ってあげる人間がいなかった」。そこで「エンジニア数人がチームを組み、サービスやアプリケーションを24時間以内に開発する」「Hack Day」というエンジニアが交流するための社内イベントを設置。さらに、将来のエンジニア需要に対する不安から「現状を憂いている」エンジニアの心情に配慮し、「エンジニア一筋となるプロフェッショナル職を設け」、場合によっては役員以上の報酬が得られるキャリアパスも新設したそうだ。
さて、いかがだろう。もちろん本書では、これらの他にも「爆速」を支える多数のポイントが紹介されている。ただ、それらを一貫しているのは、前述のように、経営のセオリーに意外なほど忠実であることと、宮坂氏をはじめとする各経営陣が、徹底して現場を重視している点だ。少人数のユニットを作って議論を活性化させる、稟議のステップを減らして風通しの良い組織を作る、エンジニア同士の交流の場を作る、各社員の仕事を常に「見続ける」ような人事制度を作るといった具合に、ある意味、泥臭いほどに現場の改革に取り組んでいる。
「爆速」といえば、リーンスタートアップやDevOpsの文脈で注目されることが多く、そうしたキーワードに押されて、つい方法論のコンセプトにのみ目を奪われてしまいがちなものだ。だが本書を読むと、実はそうした方法論を生かすための組織体制の在り方、幹部も含めた社員同士の日常的な接し方にこそ、経営改革の鍵があることに気付かされるのではないだろうか。
宮坂氏は筆者の取材に対してこう繰り返し述べたという。「組織を変えるということは、つまるところ、人のやる気や向上心をどう引き出していくかにある。熾烈な競争に勝ち抜くためには、綿密な事業戦略や優れたサービスがもちろん必要だ。しかし、それらを担い、生み出していくのは結局のところ社員にほかならない。であるならば、社員が生き生きと活躍できる環境を用意し、力を発揮してもらうことが経営者として最も重要なことではないか」――。
本書を読み終えるころには、リーンスタートアップやDevOpsといった言葉がまとっている「特別なもの」「Webサービス分野の先進企業のもの」といったイメージが大きく変わっているはずだ。市場環境変化が速く、先の展開が見通しにくい今、本書は業種や職級を問わず、それぞれの視点で日常を改革するための大きなヒントになるのではないだろうか。
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