僕を形作っているのは、才能ではなく体験――澤円氏が説く「迷えるエンジニアが納得のいくキャリアを築くためにやるべきこと」:悩むよりまず動け
外資系大手ITベンダーで働く傍らさまざまなスタートアップ起業を手助けしている澤円氏は、「悩んでいる割に何も動こうとしない人にアドバイスするほど、僕は暇じゃない」と語る。そのココロは――。
知見や経験を言語化して整理すれば、発信できるコンテンツになる
澤円氏
立教大学経済学部卒。生命保険のIT子会社勤務を経て、1997年、外資系大手IT企業に転職。ITコンサルタントやプリセールスエンジニアとしてキャリアを積んだのち、2006年にマネジメントに職掌転換。幅広いテクノロジー領域の啓蒙活動を行うのと並行して、サイバー犯罪対応チームの日本サテライト責任者を兼任。現在は、数多くのスタートアップの顧問やアドバイザーを兼任し、グローバル人材育成に注力している。琉球大学客員教授。
著書:『外資系エリートのシンプルな伝え方』(中経出版)、『マイクロソフト伝説マネジャーの世界No.1プレゼン術』(ダイヤモンド社)、『あたりまえを疑え。自己実現できる働き方のヒント』(セブン&アイ出版)
IT業界の、もっといえば日本社会全体の在り方がどんどん変化する中、この先どんなキャリアを歩むべきか、このままの働き方でいいのかと悩むエンジニアは多い。そんなエンジニアに対し、外資系大手ITベンダーで働く傍らさまざまなスタートアップ起業を手助けしている澤円氏は、「迷っているなら、まず何でもいいから行動してみることが大事」とアドバイスを送る。
「これまでの日本のキャリアは年功序列型で、年齢に応じて上がっていく直線的な形で続いてきました。けれど、国内市場が縮小してグローバルに出て行かなければならなくなっている現代、それではもう立ちゆかなくなっています。日本人は真面目なところがあってどうしても会社に長くいたがるけれど、会社の中にいる時間を減らして外に出ていくべきです」
まずは外に出て、これまでとは違う人と付き合ってみる。そうして、これまで自分が付き合ってきたのとは違うクラスタとの人たちとの付き合いが増えれば増えるほど、視点が多面的になるし、自分に付ける「タグ」が増え、自分という多面体を形作る「点」が増えて「球体」に近づいていく――澤氏はそう語り、「球体を大きくすると、この先世の中がどういう状態になっても、どこかしらに立ち位置を確保できます」と述べた。
ただ、誤解してはいけないことがある。会社の外に出るといっても、「じゃ、勉強会に行けばいいんでしょ」では何も変わらない。
「勉強会で聞ける話は汎用化された情報です。出席するだけではなく、自分からアウトプットすることで、質問や反論という形で自分向けにカスタマイズされたフィードバックが得られます」
もし「自分には何も伝えられるものがない」のであれば、「スタッフとして手伝う形で貢献する」方法もあると澤氏は言う。それに、誰にでも自分にしかない経験があるはずだ。「何でもいい。好きなことでもいいし、近所で興味ある看板を出しているお店に入るのでもいい。興味のあることや身に付いたスキル、知識を言語化して整理しておけば、それが立派なコンテンツになるんです」と澤氏。そうやって貢献できることの数が増えれば増えるほど、キャリアの方から近寄ってきてくれるという。
しかも今や幸いなことに、コンテンツをアウトプットできるプラットフォームはTwitterにブログ、YouTube――と豊富に存在する。どれか1つに絞らず、渡り歩きながらでもいいから「続けることが大事だ」と澤氏は述べ、「僕もVoicyを使って236日連続で配信しています。続けていけば自然とファンが付いてくるし、そこから本など他のコンテンツを見てくれることなどもある。アウトプットすれば結果は付いてきます」と続けた。
だから「何か頼まれたら食い付け!」というのが、悩めるエンジニアに対する澤氏の第一のアドバイスだ。
正解がないのは、むしろ当たり前。「〜してから思考」から脱却を
だが日本人にありがちなのが、せっかく機会がやってきても、「失敗するのは怖いから、しっかり準備が整ったらやろう、いつか時期が来たらやろう」というパターンだ。澤氏はこれを「〜してから思考」と名付けている。
「だが、それではいつまでたっても何もできません。日本人はPDCAのPに時間をかけ過ぎるきらいがありますが、むしろPは飛ばしてDから始め、失敗したら別のやり方をまた試せばいいのではないでしょうか。1回くらい失敗してもいいじゃない」
確かに、日本社会には「正解がある」という前提で教育を行う日本型マネジメントの影響もあって、失敗を避けたがる「恥の文化」が根強くある。だが、それでは何をするにしても時間がかかり過ぎる。「Pを持ってくるのはよほど暇でヤバい奴、計画を作る時間があるくらいならプロダクトを作るべき」というシリコンバレー流の考え方とは対極的だ。
澤氏は、正解はないという前提で考えるのがむしろ自然ではないかと述べ、「もしあなたが本当に変わりたいなら、失敗してもいいから自分の頭で考え、行動してみたらどうだろうか。また、それが許されない場所にいるなら、別の場所に行ってみてはどうだろうか」と強調した。
そして、どんな方向に自分を変えていくと面白いかを知るためにも、「受信専用ではなく、発信もするアンテナを立ててほしい」と言う。受信専用では汎用的な情報しか得られない。時には炎上も覚悟で、自分が主体になって発信することが大事だという。
迷っている暇があるのなら、何でもいいから変えてみよう
澤氏自身はどうやって今の場所にたどり着いたのだろうか。「僕は子供の頃、自分の名前や運動が苦手なことなどにいろんな『ギャップ』を感じていました。だからこそ、人とは違う視点、多面的なものの見方を持てたのかもしれません」と振り返る。
そんな澤氏は、就職活動をするときにも「どこかに属する」という在り方にギャップを感じていた。そして「何かになりたい」という強い思いから、卒業間近の土壇場で、決まっていた内定を蹴って、エンジニアになるという選択肢を選び、生命保険企業のIT子会社に入社したという。
「経済学部卒で情報系の知識がないこともあり、最初は本当に苦労しました。しかし、その会社ではいろいろと勉強させてもらえましたし、幸いなことに外の人と会う機会も設けてもらいました。何より、インターネット時代が到来して、世の中の『ゲームチェンジ』が起こったタイミングだったのがラッキーでした」
同氏はエンジニアとして経験を積む傍ら、スタパ齋藤氏の記事を見ながら、片っ端から新しいガジェットに手を出し、触り倒していったそうだ。
「何か先のことを考えてやったわけではないけれど、あの時の投資の元は余裕で取れています。だって、自分で使い、体験したことなら語ることができるから。才能ではなく、そのときの数多くの体験が僕を形作っています」
そんな自身のキャリアを踏まえてみても、「この先のキャリアをどうしよう」と迷っている暇があったら、まずは時間の使い方を少し変えてみればいいと澤氏は述べた。
「好きなこと、興味のあること、得意なことからでいい。誰か尊敬する人をTwitterでフォローするのでも構わないし、経験不足で困っているスタートアップ企業を週末だけ手伝うのでもいい。エンジニアなら、少しPhotoshopの使い方を学んでデザイナーのお手伝いするという方法もあります」
そうやって少しずつ成功体験を積むことで、自分も成長できるはずだという。
逆に、「迷っているのに動かないなんて、よく分からない」と澤氏は言う。なぜなら、人は何歳になっても何かを始めるのに遅過ぎることはないからだ。
澤氏の原体験の一つに、こんな出来事があったそうだ。
十数年前、アメリカの展示会を視察した時に宿泊していたホテルのスターバックスで、澤氏は年配の韓国人女性に話しかけられた。よくよく話を聞いてみるとその女性は、60歳のときに夫が亡くなられたのを機に一人で生きてみようと思い立ち、「日本語を覚えればハリウッドの土産物屋で働けるのでは」と考え、小学校で日本語を勉強したのだという。そうして数年、澤氏に話し掛ける頃には、すっかり日本語が上達していた。
「彼女の話を聞いて、年齢を言い訳にするのはやめようと思いました」
澤氏は有言実行だ。20歳を過ぎてから始めたスキーでは指導員の資格を持ち、スキー場でレッスンのアルバイトをしたことがある。30歳を越えてから習い始めた空手でも師範の資格を持っている。
「リタイアしてからやろうではなく、何かをしたいならすぐやる。そうして少しずつ積み重ねていけばいいんです」
何かを始めたり、何かを変えたりした結果、何らかの摩擦が生じるかもしれない。けれど、「『正解がない』のが自然なのだから、反対意見が出てくるのは当たり前。それも含めて受け入れ、カンファタブルゾーンから出て、全く違うことをやってみることが大事だ」と澤氏は言う。
「それで失敗したなら、そんなときは相談してほしい。僕は、迷うだけで何もしていない人に教えるほど暇ではない。けれど、何かトライしてみて、それで失敗してみた人にアドバイスすることならできますから」
澤さんの話を聞きに行こう
「Engineer Career Talk」では、トップランナーである及川卓也氏と、澤円氏をゲストに迎え、これまでの経験からエンジニアのキャリアについて語っていただきます。
提供:Sky株式会社
アイティメディア営業企画/制作:@IT自分戦略研究所 編集部/掲載内容有効期限:2018年12月31日
Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.