食費を切り詰めてまで追い求めた歌手への道。でも、これは本当に自分のやりたいことなのだろうか。現実を見つめ直した彼女が選んだ道は……。
「たとえ食費を切り詰めてでも、夢を追い求める」という生き方がある。一方で、「好きな道を追い求めるために、まずは生活基盤を安定させる」という生き方もある。大切にしたい夢があったら、あなたはどちらの生き方を選ぶだろうか。
歌手としてライブハウスで活動してきた小幡絵璃さん(22歳)は、現在テクニカルサポートの現場で、日々頑張っている。
これは、歌い続けるために一つの選択をした未来の歌姫の物語である。
小幡さんは2013年春に高校を卒業して上京し、芸能系の専門学校に進学した。
「当初は女優になりたいと思っていました」
堀北真希さんのような演技力のある女優になりたいと思い、演技や歌、ダンスなどの勉強に励んだという小幡さん。しかし実家を離れての一人暮らし、しかも東京での生活は何かとお金が掛かる。そこで、学校に通いながらアルバイトを始めた。
ところが、なかなか一つのアルバイトが長続きすることはなかった。それは決して小幡さんのせいではない。学校の授業の一環で、さまざまな発表の練習や稽古が発生し、定期的に勤務することが難しかったからだ。
そのため小幡さんは、短期間にさまざまなアルバイトを経験した。
最初に選んだのは保育園での保育士の補助だった。演技の勉強をする中で「自分は母性本能が足りないのではないか」と思ったのがきっかけだという。小さな子どもたちと触れ合えば、母性本能がおのずと芽生えてくるのではないかという考えからだった。
次に選んだのはイベント運営スタッフだ。バックステージを知ることができるし、発声の練習にもつながると考えたのが理由だ。演技の勉強になると考えて、結婚式場の運営スタッフにもチャレンジした。
「感極まって、お客さまより先に私が泣き出してしまったこともありました(笑)」
演技の勉強を兼ねてさまざまなアルバイトをしてきた小幡さんだったが、歌のレッスン中に、自分の声には他の人にはない魅力があることに気が付いた。「この声を前面に押し出すなら、やはり歌だ」と、歌手を志すようになっていった。
そして専門学校卒業後、ライブハウスで歌手として活動を始める。
しかし、学校を卒業したばかりの駆け出しアーティストが、ライブ活動だけで食べていけるほど世の中は甘くなかった。そのため小幡さんは、音楽活動と並行してアルバイトが欠かせない毎日を送っていた。
「生活費はもちろんですが、ヘアメイクや衣装など、ライブ活動を続けていくには、何かとお金が掛かります。歌を続けるために、いろいろと節約していました」
欲しいものどころか、必要なものを買うことさえままならない生活。食材を買ったらお金がなくなってしまい、シャンプーが買えなかったこともあった。食費がなくなってしまい、イベントで分けてもらった景品のスナック菓子で食事を済ませたこともあった。
そのころのアルバイトは、パスタ店やフレンチレストランなど、飲食系のアルバイトが多かった。その理由を尋ねると「お店の『まかない』で一食分の食費が浮くのが魅力でした(笑)」と正直な答えが返ってきた。まさに食費を切り詰めて夢を追い求めるというスタイルを地でいっていたのだ。
歌手活動も、思うようにはいかなかった。
小幡さんはライブハウスの意向に沿ったジャンルの曲を歌い続けてきたが、それは彼女がやりたいことではなかった。
「売れる=食べていける」歌手になるためには、自分の希望を曲げてでも言われた通りに歌わなければいけないのだろうか。やりたくないことをやって売れたとして、果たして自分は本当に幸せなのだろうか。
いや、そうではない。「やりたいことをやって、それが大勢の人たちに受け入れられた結果の『売れた』でなければ、素直に喜べない。しかも実際問題、今の自分はやりたくないことをやり、かつ売れてもいないではないか」と気が付いたのだ。
2015年2月に大きなライブを開催して区切りが付いたのをきっかけに、小幡さんは自分を見つめ直す。まずは生活できるようにならなければ、やりたいことに専念できる環境を作らなければ、そのためには安定した収入が必要だ、と。
しかし、歌手以外はサービス業や接客業の経験しかない小幡さんは、どのような仕事が世の中にあるのか、どうやったら定収入のある仕事に就けるのか、まったく分からなかったという。
そんなある日、登録型の派遣スタッフとして働く友人が「派遣で働くのもいいよ」と言っていたのを思い出した。そこで小幡さんは、リクルートスタッフィングを含め、複数の派遣会社に登録した。2015年5月のことだった。
しかし、ここでも現実は甘くはなかった。多くの派遣会社は、登録後なかなか仕事の紹介をしてくれなかったのだ。
「オフィスワークの経験がなく、PCのスキルもまったく持ち合わせていませんでしたから、仕方がなかったのかもしれません」
そのような中、いち早く連絡をくれたのがリクルートスタッフィングだったという。登録面談の直後に紹介されたのは、外資系コンピューターメーカーでお客さまの質問やクレームに電話で対応する「テクニカルサポート」の仕事だった。
通常ならば「コンピューターメーカーのテクニカルサポート」と聞けば、未経験者にはハードルが高い。しかも小幡さんは、PCを使ったことすらなかったのだ。しかしリクルートスタッフィングの担当者は「コミュニケーションできる会話力があれば大丈夫だ」と言う。その言葉を信じて、思い切ってチャレンジすることにした。
「仕事を始める前に研修がしっかりしていてイチから教えてもらえたので、不安はありませんでした。実際の業務も、私の担当範囲は『故障しているみたいだが、どうすればいいのか』などのお問い合わせに修理窓口を案内したりするもので、技術力よりもコミュニケーション力が求められるものでした。技術的な部分で難しい問い合わせも来ますが、そういうときは上司にエスカレーションできる体制があるので、安心です」
サポート業務に就いてからまだ半年にも満たないが、小幡さんは仕事にやりがいを見つけ出しているという。
「サポート業務の目的は、顧客満足の向上です。私は技術的な質問には即答はできませんが、お問い合わせくださったお客さまのお話を丁寧に聞くことで、不安を取り除いて差し上げることはできます。たとえ、その場では問題が解決しなかったとしても『ああ、電話をして良かった』と思っていただけるようなサポートを心掛けています」
飲食店などでの接客の経験が生かされている好例と言えよう。また、「声」のみによるコミュニケーションの仕事で、自身の声がお客さまの安心を生み出すことに貢献している点も、小幡さんが仕事に魅力を感じ始めている理由の一つだろう。
派遣スタッフとして働き始めた小幡さんが得た大きな収穫は、アルバイト時代に比べて収入が倍増し、精神的にもゆとりのある生活を送れるようになったことだそうだ。
「アルバイト時代は、お金がなくて本当に大変でした。アルバイトとライブ活動で忙しくて、部屋の掃除や片付けもままならないこともありました。でも今は、生活費に困るようなことはありませんし、休日に部屋の掃除もして、毎日御飯を作って食べています。お弁当も作って職場に持っていっています。そんな当たり前のことをきちんとやれるようになりました」
収入が安定して生活基盤が整うにつれ、心境の変化もあったようだ。
「思えば、掃除・洗濯・炊事といったことは、実家では母が当たり前のようにやってくれていたことでした。でも、なぜか自分では『できない』と思い込んでいました。これって苦手なものから逃げていただけなんです。
昔の私は子どもでした。障害物は誰かが取り除いてくれるものだと思っていました。でも、テクニカルサポートの仕事を始めて、分かったんです。
苦しいことから逃げちゃいけない。強くなりたい。たとえ失敗しても、くじけずに乗り越えて成長したい。そうしたら歌の道でも、いろいろなことを乗り越えながら成長していけると思うし、そうしたいんです」
リクルートスタッフィングの担当者によると、テクニカルサポートなどのコールセンター業務は、小幡さんのようなオフィスワーク未経験者でも、コミュニケ―ション能力を生かしてチャレンジできることが多いという。
しかも、業務を通じて新たなスキルや知識を身に付けるなど、段階的な成長も可能なため、未経験者にこそお勧めしたい仕事であるとのことだ。もし、安定した収入を得て、安心して好きなことを続けたいとあなたが思うなら、派遣という働き方を検討してみてはいかがだろうか。
テクニカルサポートという仕事に出会い、以前より一回りも二回りも成長した小幡さん。そう遠くないいつか、どこかで、あなたも小幡さんの魅力ある歌声を耳にする日が来るかもしれない。
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提供:株式会社リクルートスタッフィング
アイティメディア営業企画/制作:@IT自分戦略研究所 編集部/掲載内容有効期限:2015年12月25日