都会の喧騒(けんそう)から脱出し、大自然に囲まれて、自ら家を建て、田畑を耕す、自給自足の生活をしてみたい――そんな希望をかなえる働き方とは。
春から秋の8カ月間は北海道のニセコで自給自足ライフを送り、冬の4カ月間は東京でエンジニアとして働く――プログラマーの小野浩一さん(46歳)は自然とITを行き来し、人生を満喫している。
彼のユニークなライフスタイルを支えているのが、登録型派遣という働き方だ。
学生時代からよく海外旅行に出かけていた小野さん。いわゆるバックパッカーとしてアジアやオセアニア各国を回り、観光地巡りのみならず、そこで暮らす人たちとの交流に大きな魅力を感じていたという。
「農作業を手伝ったり、現地の人たちと一緒になって何かを作ったりするのがとても面白かった。必要なものは自分たちで作るという、都会にいては決して味わえない、人が持つ根源的な活力のようなものを感じられました」
1991年に大学を卒業し、小野さんが就職したのは大手の重工業企業。機械工学を専攻していたこともあり、配属先では機械設計を任された。
「リサイクルプラントにおける機械設計の仕事で、具体的には積算や見積もりなどを担当していました」
そのまま働き続けていれば、機械設計エンジニアとしてのキャリアを形成していたかもしれない。しかし、「海外へまた行きたい」という思いが日々積み重なり、働き始めて2年がたったころ、小野さんは会社を退職する。
その後3年間、海外で生活をした。インドで本場のヨガを学び、インストラクターの資格まで取得したという。
「ワーキングホリデーを利用してオーストラリアに1年間滞在した後、アジア諸国を回りました。中でもインドは魅力的で、長期間滞在しました」
帰国後、再就職先を探す際に、IT業界へ進むことを小野さんは選択する。1996年のことだ。
「中学生時代にPC-8801でBASICを学んで以来、プログラミングが好きで、大学でも卒論を書くときに、自分でプログラムを組んだりしていました。仕事を再開するに当たって、好きなことをやっていこうと思いました」
このとき、小野さんは登録型の派遣という働き方を選んだ。その後も定期的に海外に出かけたいと考えていた小野さんにとって、期限を定めた働き方もできる登録型派遣は、とても都合が良かったのだ。
派遣会社から紹介された仕事の中から小野さんは、システムソフトウェアの開発だけではなく、システムインフラの運用・保守の仕事も積極的に選んでいた。
「インフラの運用・保守といっても、シェルスクリプトでプログラムを組んでバッチ処理を行うことも多く、プログラミングの面白さという点においては変わりありません」
実はこうした積極的な姿勢が、後々、仕事を選択する際の幅を広げることにつながっている。
そんな小野さんは、いつのころからか壮大な計画を思い描くようになっていた。それは、自給自足の生活を実現したいというものだった。
もともと、モノづくりが好きだった小野さんは、アジア諸国を巡る旅の中で、大量生産やスピード重視のライフスタイルではなく、大自然と向き合いながら、必要なものを自ら作り出して生活を送ることに豊かさや価値観を見い出していったのである。
やがて、小野さんは北海道のニセコ町、羊蹄山のふもとに約5000坪の土地を購入。2009年から北海道での生活を開始した。
自給自足の生活を目指すといっても、もちろん最初から全てがそろうわけではない。まずは、土地を開墾し、切り出した木を使って、家を建てるところからスタートしたという。
「最初に建てた家は、工事現場の足場などに使う単管をフレームにした比較的シンプルなものだったので、数カ月で建てられました」と、いともあっさりと、そのときの様子を語ってくれた小野さん。実は、その後、ツリーハウスを1軒建て、現在は家族が増えたので、3軒目となる大きな家を5年がかりで建てている最中だという。現在建設中のものは、ポスト&ビーム工法といって、切り出した丸太をそのまま柱や梁として利用しながらも、部屋数も多い、本格的な造りの家になる予定だ。
電力は太陽光や風力による発電を導入し、蓄電池に蓄えることにより、自給自足を実現している。
もちろん、家づくりだけではない。畑を耕し、さまざまな野菜を育て、2010年には、実験的にたたみ一畳分程度の大きさの水田を作り、稲作にも挑戦している。現在では、その100倍近くまで水田の面積を増やし、本格的に稲作を行っているという。
育てる作物は、無農薬で有機肥料も一切使わないのが信念だ。稲作こそ手をかけているものの、その他の作物はできる限り自生させているそうだ。
しかし、まだスタートしたばかりの計画だけに、完全な自給自足というわけにはいかない。当面の生活費や、必要なものをそろえるために、何らかの収入が必要である。
そこで小野さんが考え出したのが、登録型派遣を有効活用したワークスタイル――春から秋にかけては北海道で自給自足の生活をし、農閑期である冬場の4カ月間は東京でエンジニアとして仕事をするというものだ。
いわゆる「出稼ぎ」なのだが、従来の出稼ぎとはアプローチが異なるところが面白い。
冬場の4カ月間だけエンジニアとして働きたいというのは、かなりワガママな条件だと思われるが、果たして実現可能なのだろうか。
結論からいえば、2011年末からこの働き方をスタートさせた小野さんは、現在に至るまで「仕事が見つからないのでは?」という不安にかられたことは一度もなかったという。
「2014年末は実験的に北海道で越冬(笑)したのですが、それ以外は毎年派遣会社で仕事を紹介してもらっています。毎回、複数の候補から選べるぐらい仕事があります。しかも、ほとんどの職場で契約の更新を打診されました(笑)。エンジニアのニーズは高いという手応えを感じています」
小野さんはこの働き方に移行するために、すでに登録している派遣会社に加え、新たにリクルートスタッフィングにも登録したという。
「案件が豊富なので選択の幅が広がるのではないかと思いました。実際に登録してみて分かったのは、他の派遣会社に比べてレスポンスがとても早いということ。他社より先に案件を紹介してもらえるのはうれしいですね。案件も評判通り豊富で、これまでにこの冬場だけのワークスタイルを5回やっていますが、そのうち3回は、リクルートスタッフィングから紹介された仕事を選んでいます」
今回の「出稼ぎ」で小野さんが従事しているのは、大手情報処理サービス会社での官公庁向けシステムの運用と既存運用ツールの改修だ。プログラミングは仕事である以上に「大好きなこと」である小野さんは、希望のPower Shellを使えることにも満足しているという。
現在は、冬になるたびに奥さんや子どもたちと一緒に東京に出てくるということを繰り返しているが、小野さんとしても、こうしたワークスタイルをいつまでも続けていくつもりはない。いずれは北海道に根を下ろして、暮らしていけるような方法も模索している。
「子どもが小学校に上がる年齢になるまでには、年間を通じて北海道で暮らせるようにしたいですね。現地でプログラム開発を仕事にできればベストなんですけれど、そこに至るまでには、まだ時間がかかりそうです」
すでに春〜秋の北海道にいる間は、定期的に有償の「自給自足体験&ヨガ合宿」を開催しており、参加者からも好評を得ているという。
「リピーターが増え、合宿後に自らインストラクターの資格を取得した方もいらっしゃいます」
また、小野さんには、自分が海外を訪れたときに現地の人たちと一緒に農作業などを通じて交流できた喜びを、今度は海外から日本を訪れてきた人たちにも提供していきたいという思いもある。
「WWOOF(World Wide Opportunities on Organic Farms)という活動があり、私もその活動に参加し、海外から農業体験を目的に旅行に訪れる方々を受け入れています。私の田畑が世界中の人たちの交流拠点になればうれしいですね」
小野さんの夢は、現在進行形で膨らんでいく。
夢を実現するために、冬の4カ月間だけ東京で働きたい――そんなワガママな働き方ができるのも登録型派遣ならではといえる。
小野さんのように大きな夢への第一歩を踏み出そうとしている人にお勧めしたいのが登録型派遣だ。「さすがに、こんなワガママな条件は無理ではないか?」と、諦める前に、一度リクルートスタッフィングに相談してほしい。そこから、夢を実現するための糸口が見つかるかもしれない。
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提供:株式会社リクルートスタッフィング
アイティメディア営業企画/制作:@IT自分戦略研究所 編集部/掲載内容有効期限:2016年5月4日