上意下達のマネジメントは通用しない――超大手SIer出身PMの挫折と復活えっ、上の言うこと聞かないの?

きっちり仕様の決まった大規模プロジェクトでのウオーターフォール型開発に長年なじんできた櫻井氏。もっと広い世界を見たい、と転職したリクリートテクノロジーズは、全てが超ボトムアップの組織だった。慣れ親しんだやり方でプロジェクトをまとめようとするもあえなく失敗。そこで彼がとった手段とは――。

» 2018年03月30日 10時00分 公開
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ブロードバンド前夜、IT業界に飛び込む

 「リクルートテクノロジーズ」に転職してプロジェクトマネジャーとして活躍している人たちの話を聞いていると、最初から全てがトントン拍子にうまくいったかのように思ってしまう。だが、それまで慣れ親しんできたやり方や文化とリクルートテクノロジーズのギャップに苦しみ、新たに学ぶ中で、自分なりのやり方を見いだした人もいる。櫻井武生(さくらいたけお)氏もその1人だ。

 櫻井氏が大学に在籍していたのは、ブロードバンドという言葉が広がる前の時代。独力で研究室のサーバやネットワークを構築、運用していた経験から、「コンピュータを扱うのは楽しいな」とIT関係の道を選んだという。そして大学卒業後、国内でも有数の大手システムインテグレーターに入社した。

 そのころ企業システムでは、オープン化やWebアプリケーションを用いた基幹システム構築といったトレンドが広がり始めていた。櫻井氏は大手通信事業者向けの顧客・料金・注文管理システムのチームに加わり、サーバ、ネットワークなどのインフラに始まり、アプリケーション基盤開発、さらにはJavaでのアプリケーション開発に至るまで、システム開発の基礎をしっかり身に付けた。

 2010年前後、クラウドやビッグデータ処理といった新規技術を用いた企画開発に携わった後、今度は社会基盤系の大規模システム開発に加わり、プロジェクトマネジメントの何たるかも学んだという。

順風満帆だからこそ感じた、これからへの「不安」

 順調にスキルを積み、40歳を前にして課長に昇進、とはた目には順風満帆に見えた櫻井氏。だが本人は、順調だからこその「不安」にかられるようになったという。

 「ずっと同じ仲間でプロジェクトに携わり、優秀な部下にも恵まれた結果、自分がそんなに頑張らなくてもプロジェクトがうまく回る、ちゃんと伝えなくても阿吽(あうん)の呼吸で皆が動いてくれるようになりました。確かに“楽”でいいんですけれど、ふっと『オレ、何をしているんだろう。もし今の環境から放り出されても、1人の社会人として生きていけるのかな』と不安を感じました」

 今の環境は確かに居心地がいい。だが、キャリアをまっとうする上で、ずっとこの環境の中にいてもいいのだろうか――そんな切迫した思いに駆られ、櫻井氏は転職活動を開始した。

 「プロジェクトマネジャーのキャリアが積める会社」「できればユーザー企業で働きたい」といった条件で幾つかの転職サイトや転職エージェントに登録し、新たな職場探しを始めた。

 「当時携わっていたプロジェクトは外にお客さま(ユーザー)がいましたので、どうしてもユーザーが決めたことをその通りに作っていくことが多かったのです。ビジネスの髄に入り込んで、『目指すものに対し、本当にこれが一番良い方法なのか』と立ち入れないもどかしさがありました」

 複数の企業を受ける中で知ったのが、リクルートテクノロジーズだった。

 「正直に言うと、リクルートは名前ぐらいしか知りませんでした。話を聞いてから調べてみて、『あ、ゼクシィもじゃらんも、あのサービスもこのサービスもリクルートがやっている』と知り、親近感を持ちました」

 外から見て感じたリクルートグループの「イケイケ感」と古巣の文化との違いに不安を感じないわけではなかった。だが、面接官で後の上司にもなる人物がリクルートの中でもベテラン格の人物で、「イケイケの部分もあるが、こういう落ち着いた部分もあり、中途で集まってくる人もいる。いろいろな人が集まり新しい文化が交わる中で面白いことができそうだと感じ、転職を決めました」と同氏は振り返る。事実、中途採用が多いだけに、櫻井氏にも同じような境遇の「同月入社」が数人おり、いい仲間となっているという。

「えっ、上の言うこと聞かないの?」――真逆のカルチャーに直面

 40歳を目前にしての転職。これまでのキャリアを証明するためにも成果を出さなくては――そんな意気込みを持ちながら、早速、リクルートIDとPontaポイントの統合プロジェクトに加わり、双方のシステムのセキュリティレベルを高める部分に携わることになった櫻井氏。だが、文化の違いは想像以上だった。

 「ビックリしたのは、『こうしてください』と言っただけでは、社員はおろかパートナー(協力会社)のメンバーも動かないんです。エグゼクティブ経由で話をしても、『だからどうしたんですか、私はそんなの納得できません』という具合で、鶴の一声が通じないんです。なるほど、これかと思いました」

 前職のような、「言わなくても阿吽の呼吸で通じる」はない。なぜこの施策をやるのか、その背景や実現したい姿をちゃんと説明し、腹落ちしてもらえなければ、たとえ上司の言うことでも動かないことに驚きを感じたそうだ。逆に、いったん腹落ちしさえすれば、その後の動きは非常に早い。

 新しい文化に直面して強く感じたのは、リクルートテクノロジーズで働く人々、それぞれの「こだわり」だ。

 「周りに何か言われて自分の意見を曲げるようだと、この会社には合わないだろうなって思います。確たる信念を持ってやり通すんだ、という熱量が高い人が多いですね」

中途入社者を支援、戦力にするリクルートの「育てる」文化が力に

 結局そのプロジェクトは途中でチームリーダーを降りることになった。

 だが、転職時の面接担当でもあった当時の上司が次のようにフォローしてくれたそうだ。「アサインしてみてうまくいかなかったのは、アサインした方の責任。一度リクルートの中で勉強して、また状況が整ったらリーダーになってもらいたい」――この言葉で、櫻井氏は肩の力がちょっと抜けたという。

 「リクルートには、中途で入ってくる人を育てる文化、戦力にするために支援する文化があるんです。今振り返ると、最初はそこに乗っかって肩の力を抜いてやっていけば良かったと思うんです。でも当時は、『自分で何とかしよう』という思いがちょっと強過ぎたかもしれません」

 櫻井氏は次に、リクルートグループ全体にVDIを導入するプロジェクトに携わることになった。そのときは、急いでアウトプットを出そうとするのではなく、リクルート流のプロジェクトマネジメント手法を学び、それにのっとって進めてみることにした。その経験を通して、表面的なプロジェクトの進め方だけでなく、その背後にある「経緯」や「考え方」も学び、リクルート流の「やり方」を理解できたという。

 「リクルートグループは、ゼロベースでより良いモノを作るところです。プロジェクトマネジメント手法も、どこかから持ってきたものを鵜呑み(うのみ)にするのではなく、それを進化させるべく、みんながより良い方法を考え、腹落ちさせて作っています。現状のやり方にはまだまだ改善すべきところがありますが、自分たちでどんどん変えていけるんです」

 こうして櫻井氏はリクルート流のプロセスを学び、また、「自分たちのサービスをより良いものにしたい」という各事業者の思いをくみ取りながら、仮想デスクトップのメリットを丁寧に説明する専属チームを組織し、VDI導入を進めていった。さまざまなステークホルダーをうまく巻き込みながら導入を成功裏に実施したことで、プロジェクト推進部内で表彰を受けるまでになった。

 櫻井氏は今、20年以上前に構築された独自の勘定系システムを今後も運用するための課題解決に取り組んでいる。前職のやり方を押し付けようとして失敗した一度目、リクルート流のやり方を学んだ二度目に続く三度目のプロジェクトでは、リクルート流のやり方に自分なりのアレンジを加えながらプロジェクトを推進している。

 「前職では、いわゆるシステム開発のプロジェクトしかやったことがありませんでしたが、リクルートテクノロジーズに来て、後進の育成などシステム開発以外のものも含めた広義の『プロジェクトマネジメント』ができるようになってきたと思います。どんなプロジェクトでもマネジメントできるようなポータブルなスキルがちょっとずつ身に付いてきたのではないかな」

 思い切って古巣を飛び出し、新天地でチャレンジした甲斐(かい)が大いにあったといえよう。

写真:くろださくらこ

リクルート テクノロジーズ 採用ページ

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提供:株式会社リクルートテクノロジーズ
アイティメディア営業企画/制作:@IT自分戦略研究所 編集部/掲載内容有効期限:2018年4月29日

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