情報伝達、共有手段として、SNSをはじめとするスマートフォンアプリが社会一般に広く浸透した。だが、全世帯、全住民に確実、迅速に届けなければならない避難情報の場合、デジタルツールだけでは限界がある。東日本大震災の被災経験を持つ陸前高田市は、どう立ち向かったのか。
東日本大震災から12年、甚大な津波被害を受けた陸前高田市(岩手県)はインフラ復興が完了し、以前の活気を取り戻しつつある。こうした中、安心、安全なまちづくりの一貫として実施しているのがクラウドを活用した取り組みだ。
災害発生時、各世帯への確実な情報伝達と安否確認を行えるよう、事前に登録した固定電話/携帯電話に一斉に架電する仕組みと、AI(人工知能)サービスを組み合わせた防災システムをクラウドで構築した。
住民は、自宅あるいは携帯電話で避難情報を受け取ることができる。また自動音声での問い合わせに対し、「避難している」「今○○にいる」などと口頭で回答すると、自動的にテキスト化されクラウドに保存される。災害対策本部は、回答者の正確な安否をデータで把握できる。
2023年8月現在、本格運用に向けて防災システムの改善を続けている段階だという。陸前高田市の中村吉雄氏(防災課 課長)は「プロジェクトの背景には、被災経験から得た教訓と、デジタル技術への期待がありました」と話す。
「災害から命を守る際に重要なのは、自分の命を自分で守ることです。『自助』を行政が支援するために、避難情報を正確かつ確実に伝えることが求められます。この使命に向けて、防災行政無線やWebサイト、SNSなど、あらゆる手段を使って情報を伝えてきましたが、100%カバーできていない現実がありました。スマートフォンなどデジタル機器に不慣れな高齢者には情報が行き届かないことも多かったのです」(中村氏)
特に、ほとんどの世帯が使っている固定電話をどう生かすかが大きなカギになったという。
「防災行政無線やSNSを利用した情報伝達は、人ごととして、聞き流してしまうことにより、避難行動が遅れる傾向が強いのです。電話なら自分宛てにかかってくるため、わがごととして捉えていただけますし、高齢者などデジタル機器に不慣れな人でも、電話をかけたり話したりすることには抵抗がありません。実際、電話で伝えたときは早期に多くの人が避難する実績もありました」(中村氏)
これまでも、職員が手分けして各地区代表に電話で防災情報を伝えてはきた。だが、どうしても時間とマンパワーがかかってしまう上、全世帯に架電するのは非現実的だった。
「時間や労力をかけずに、全世帯に電話で直接、情報を伝えられないか――市の防災関係機関として付き合いのあったNTT東日本にアイデアを相談したところ、クラウドとAI技術を活用すれば実現できそうだと分かったのです」(中村氏)
NTT東日本が提案したのは、アマゾン ウェブ サービス(AWS)のサービス群を活用した同社の「シン・オートコール」という仕組みをベースとした防災システムの開発だった。シン・オートコールは、一斉架電して情報を伝えるだけではなく、相手がどのような応答をしたか、どのような状況にあるかといった「電話をかけた結果」を把握、可視化する機能を持つ。NTT東日本の鈴木 巧氏(ビジネス開発本部 特殊局 担当課長)はこう話す。
「シン・オートコール自体は、防災に限らず、防犯やDX(デジタルトランスフォーメーション)推進でも活用できるソリューションとして開発したものです。今回のシステムは、このシン・オートコールをベースに、2022年ごろから陸前高田市の防災訓練などで試験的に利用してきた結果を踏まえ、独自に開発しました」(鈴木氏)
陸前高田市で稼働予定の防災システムは、コンタクトセンター機能を提供する「Amazon Connect」、対話AIエンジンの「Amazon Lex」、音声のテキスト変換機能を提供する「Amazon Transcribe」の他、マネージドNoSQLデータベースサービスの「Amazon DynamoDB」、イベント発生に応じてコードを自動実行するサーバレスコンピューティングサービス「AWS Lambda」を組み合わせて構築している。
開発に当たっては、モデル地区を選定し、プロトタイプを職員、住民に試してもらうことで感想を集め、「陸前高田市の防災として求められる機能」を追加、フィッティング(調整)していく方法を採った。その対応は非常にきめ細かく、かつ地に足の着いたものだ。
開発当初は「避難しますか? 『はい』なら1を、『いいえ』なら2をプッシュしてください」と回答の選択肢を提示し、プッシュボタンで番号入力してもらうことで安否を確認する仕組みだったが、検証した結果「スマートフォンでダイヤルパッドを表示する方法が分からない」といった声も目立っていた。
「そこで、もっと簡単に情報をフィードバックいただけるよう、口頭で直接話してもらう方法を採用したのです。AWSの音声認識機能、テキスト変換機能を使えば、話し言葉を正しく認識、記録できます。『今○○小学校にいる』『足をけがして困っている』といった安否情報を自分の言葉で、迅速かつ正確に伝えることができます」(中村氏)
だが、方言や地名などは正しく認識できない可能性もある。そこで質問の内容によっては、『はい』『いいえ』で答えてもらえるよう質問を変更した。話された内容を全てテキスト化するのでなく、録音しておいて後から人が聞いて正しい判断ができるようにするといった工夫も施した。
地域特性や住民の声に徹底的に寄り添い、機能を追加、調整していくことで、中村氏が述べた目的――「確実に避難情報を届け、全世帯に自分ごととして捉えていただき、迅速に行動に移せる仕組み」を実現したというわけだ。
防災システム構築のポイントについて、中村氏は「システム開発ありきではなく、目的起点で、陸前高田市が持つ防災の知見と、NTT東日本が持つデジタル技術への知見、住民の意見をうまく組み合わせられたことが挙げられます」と話す。
「災害対策では、各地区が地域特性を基に避難場所などを入念に考えることが重要です。そのため陸前高田市のモデル地区である7つの行政区それぞれで、住民、職員、有識者、NTT東日本のエンジニアを交えた防災訓練や会議を開き、意見を交わしてきました。そうした中で防災の在り方を決め、システムを構築し、訓練では機能や仕組みを住民の方に説明し、実際に体験いただいて、その声をフィードバックしてきました。つまり、関係者全員で意見を交わしてきたのは『いかに陸前高田市の防災を高度化するか』という議論であり、システムはそれを実現する手段の一部なのです。『自分の命は自分で守る』という本来の防災を目指す中で、関係者全員が意見を出したことが大きなポイントだと考えます」(中村氏)
システムのリリースに当たって100%の完成度を求めずに、目的達成にフォーカスし続けたこともポイントの1つだという。
「完成度が60点、70点でも、まずは試してみることが重要だと考えました。そうしたアプローチによって、陸前高田市の職員、住民の方々とともに設定した『避難情報を確実に届け、安否や居場所を正しく把握できること』という最優先課題を常に確認しながら、反響を基にシステムをブラッシュアップしていった格好です」(鈴木氏)
アジャイル開発のアプローチを採ることで、「災害対策は地域特性を基に入念に考えることが重要」といった中村氏の考えに、システム開発の在り方を連動させた格好だ。鈴木氏は、「そうした開発を進める上ではAWSの柔軟性も1つのポイントになりました」と語る。
「Amazon Connectはコールセンター向けのサービスであり、住民が利用したり、防災で活用したりすることはおそらく想定していないと思います。それでも使い方を工夫することで要件にフィッティングできました。サービスを柔軟に組み合わせ、独自の使い方ができる点はAWSの良さだと感じます」(鈴木氏)
ただ、自治体システムの開発で求められるのは柔軟性だけではない。高度な安全性、信頼性も欠かせないポイントとなる。数あるクラウドサービスの中からAWSを選定した理由は何だったのか。
「必要なサービス群があった他、サービス間の連携、開発のしやすさなどを総合的に考慮した結果であることはもちろん、ISMAP(政府情報システムのためのセキュリティ評価制度)にも記載があるように、ガバメントクラウドでの実績があります。災害が起きたときの復旧/バックアップ体制構築にも信頼性のある基盤が求められますが、われわれが通信事業者として求める基盤の基準にも適合するものだったからです」(鈴木氏)
中村氏も、AWSを採用したことは「共同で取り組みを進める基盤として適切なものでした」と評価する。
「NTT東日本とは腹を割って打ち合わせを重ねてきました。そこで私が申し上げたのは『われわれは人口2万人を切る自治体であり、研究開発に充てるような金銭的余裕はない』ことです。ただ、東日本大震災の経験なども受けて、防災の知見やノウハウを多数蓄積しています。それを可能な限りオープンにするので活用してほしいとお伝えしてきました。一方、NTT東日本は、われわれの知見とノウハウを活用し、AWSという『既存のサービス』を使うことで、構築コストやランニングコストを抑えることができます。自治体システムではコストが問題になりがちですが、その心配をすることなく取り組みを継続できたのです。AWSは自治体とパートナーが対等な関係で取り組みを進め、Win-Winの関係になれる基盤になったと考えます」(中村氏)
鈴木氏も「シン・オートコールというソリューションに命を吹き込んだのは、陸前高田市の知見やノウハウです。クラウドを活用することで、対等でフェアな関係の中で、新しい価値を生み出したり、課題を解決したりできると考えています。今後もクラウドを活用した共創を加速していく方針です」と話す。
クラウドには「共有」という価値もある。鈴木氏は「防災の知見やノウハウを発信、共有することで広く役立てられていくことが重要です」と語る。陸前高田市の知見やノウハウを落とし込んだ「防災システムのひな型」として、他の自治体に紹介、共有、活用されていくことが見込まれている。
「多くの皆さまのご協力で、陸前高田市の復興事業がここまで進んできたことには大変感謝しています。今後も市民のために防災システムを改良し続けていきますし、同時に、住民の命を守る手段として全国の自治体に広がっていってほしいと願っています。東日本大震災を経験した自治体だからこその願いであり、支援してくれた各地域への恩返しになればいいと思っています」(中村氏)
社会全体でデジタル化が進み、その利便性を多くの人が享受できるようになった。だが、デジタルの機能面に注目するあまり、「本来やるべきこと」が見失われがちな傾向も強い。特に企業、組織では「開発プロジェクトの完遂」が目的化してしまったり、エンドユーザーの視点が薄く扱いにくいものになってしまったりする例が多い。
その点、本事例は徹底的に「目的起点」であり、その認識が自然と「内製の在り方」につながっている。要件は陸前高田市が、手段はNTT東日本が考えるといった基本的な役割分担を持ちつつも、共通の目的に向けて「腹を割った議論」を重ねている。トライ&エラーを繰り返すことで迷走したり機能が膨らんだりすることなく、正しく改善できているのも、目的と手段を明確に分けている中村氏の認識とNTT東日本との信頼関係あってのことだろう。
ただ、示唆深いのは「腹を割った議論を具現化できる基盤」の重要性にも改めて気付かされる点だ。コスト、信頼性、安全性といった前提条件をクリアした上で、動く成果物を試しながら、求める機能を柔軟に追加、改変することが「本当にできるのか」――内製が言葉だけのものになるか否かは、目的意識、技術力と並んで基盤選定にもかかっているといえる。一度作ったシステムを横展開しやすい点もクラウドならではの利点だ。“あるべき内製”、また“効果的なノウハウ標準化”の好事例として、企業、組織を問わず大いに参考になるはずだ。
「ぼうさいこくたい2023」「地方自治情報化推進フェア」のNTT東日本ブースで「シン・オートコール」を出展(「地方自治情報化推進フェア」ではAWSブース内にも出展)。「防災の他、福祉、防犯、窓口業務などの『声を使う業務』など、多様な用途が考えられます。PC1台で稼働している所を見ていただければ、ご自身の組織におけるさまざまな適用シーンを着想できるのではないでしょうか」(鈴木氏)
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