ついに最後の「Itanium」が登場、HPEは搭載プラットフォームを2025年までサポート:「The Next Platform」で読むグローバルITトレンド(7)(1/2 ページ)
2017年5月、Intelが「Itanium 9700」を発表した。今回は、Itaniumの歴史を振り返り、その未来を考察する。
英国のIT専門媒体、「The Register」とも提携し、エンタープライズITのグローバルトレンドを先取りしている「The Next Platform」から、@IT編集部が独自の視点で“読むべき記事”をピックアップ。プラットフォーム3へのシフトが急速に進む今、IT担当者は何を見据え、何を考えるべきか、バリエーション豊かな記事を通じて、目指すべきゴールを考えるための指標を提供していきます。
突然変異と適者生存による自然淘汰(とうた)が行われる世界では、今ある何らかのものが、その属する種の最後の個体となるのは何ら不思議なことではない。「Itanium 9700」プロセッサ(コードネーム:Kittson)もその運命にある。
Itanium 9700は、2017年5月にIntelがひっそりと発表したプロセッサだ。Itanium 9700の採用は、Hewlett Packard Enterprise(HPE)が「Integrity」ラインのミッドレンジおよびハイエンドシステムに搭載製品を追加する程度にとどまりそうだ。
Itaniumはどのように生まれたか
Itaniumラインには複雑な歴史がある。それはこのプロセッサのアーキテクチャにふさわしいかもしれない。Intelの32ビットx86アーキテクチャから進化し、同社とかつてのHewlett Packard(HP)の提携を機に、非常に実験的で思い切った方向に向かった。
野心的なサーバプロセッサ大手のIntelは、この提携でHPが「PA-RISC」プロセッサの将来を見越して持っていたVLIW(Very Long Instruction Word)とEPIC(Explicitly Parallel Instruction Computing)についての優れたアイデアを、Intelの次世代チップに融合させることを目指した。
それは1990年代のこと。当時は、データセンターが爆発的な成長を遂げ大きな変化が起こっていた。Sun Microsystemsが牛耳っていたUNIX環境がトランザクション処理の主役を担い、AMDが「Opteron」プロセッサ(コードネーム:Hammer)に組み込んだ拡張メモリアーキテクチャを生かし、利幅の大きいサーバ向けビジネスへの進出を考え始めたばかりだった。
サーバ分野は現在よりはるかに同質性が低く、市場も小さかった。それに比例してチップメーカーが取ったリスクは大きかったと同時に、選択肢は広いように見えた。
皮肉にも、20年前よりも現在の方が、サーバプロセッサでデータセンター市場に参入するのははるかに難しい。x86アーキテクチャがコンピュート市場を完全に支配し、ストレージ市場ではかなり強大な勢力となり、仮想ネットワーキング市場でも一定の存在感を発揮しているからだ。
商用インターネットの初期の時代には、コンピュートエコシステムはもっと多様だったが、Web規模の飛躍的な拡大やWindows ServerおよびLinuxプラットフォームの成熟化、Intel社内での激しい競争の結果として、x86アーキテクチャ(具体的には「Xeon」プロセッサ)がデータセンター市場に君臨することになった。
これはまさに、IntelがItaniumで目指したことだった。また、IntelはIBMと共同開発したインターコネクト技術「InfiniBand」についてもそうした浸透を狙っていた。この技術は、クライアントやサーバ、ストレージデバイスを接続するイーサネットやPCI Express(PCIe)といった技術の代替を目的とした。
1989年から、HPはEPICのアイデアを発展させ始めた。同社のPA-RISCラインは頭打ちになるのがはっきりしていたからだ。
最近の言葉で言うなら、EPICはソフトウェア定義型プロセッサの一種で、コードにおける並列処理を明示し、それらをプロセッサ上の各種回路ではなくコンパイラで処理するように設計されていた。これは理論上は素晴らしく聞こえたが、当時の企業向けアプリケーションにおける明示的な並列処理コードの量は、現在より大幅に少なかった。
1994年、HPとIntelはItaniumプロセッサの開発で提携し、その1年後、RISC/UNIXベンダーは自社OSのItaniumへの移植をこぞって表明し始めた。そうせざるを得ないと思われたからだ。さまざまな市場予測では、Itaniumへの移行は確実との見通しが示されていた。
出荷の遅れが期待をしぼませた
ところが、Itaniumプロセッサのリリースが遅れ、x86アーキテクチャのメモリアドレッシングの64ビット拡張への期待はしぼみ始めた。結局、この拡張はAMDによって2003年に実現され、Intelは翌年にその技術を実装した。こうしてItaniumの運命は大きく動いた。Itaniumは大規模NUMAサーバや、RISC/UNIXマシンで運用されてきたデータベースおよびミドルウェアアプリケーション向けという位置付けに追いやられてしまった。
WikipediaのItaniumのページに掲載されている下の有名なグラフは、Itaniumサーバの売上高予測の推移を示している。Itaniumへの期待が当初は過熱したものの、尻すぼみしていったことがよく分かる。
ItaniumプロセッサはIntelを悲嘆に暮れさせたかもしれないが、時には、企業は困難で失敗したプロジェクトを通じて学習する。IBMが失敗したプロジェクトはたくさんある。1950年代の「Stretch」システムとその後継の1970年代の「Future Systems」は、そのうちのほんの2つにすぎない。
ItaniumはPCとサーバの市場を席巻するには至らなかったが、ニッチな市場を切り開いた。採算も取れていただろう。だが、ItaniumはIntelにPR面で苦渋を味わわせ、32ビットXeonと64ビットItaniumの間の市場を攻めるチャンスをAMDのOpteronに与えてしまった。
だが、2010年にIntelが開催した金融アナリスト向けの会合で、同社のデータセンターグループを率いていたカーク・スカウゲン氏(2017年5月現在はLenovoのエンタープライズグループ責任者)は、調査会社IDCのデータを基に「2009年にはXeonプロセッサ搭載サーバの売上高は約220億ドルに達し、Intelが得たXeonプロセッサおよび対応チップセットの売上高は約44億ドルだった」と胸を張った。2009年にIntelは、基本的にOpteronアーキテクチャをコピーした「Xeon 5500」プロセッサ(コードネーム:Nehalem)をリリースしている。
またスカウゲン氏は、2009年のItanium搭載サーバの売上高は約40億ドルだったと述べた。The Next Platformでは、IntelのItaniumおよび対応チップセットの売上高が10億ドル程度だったと推計している。
信じられないかもしれないが、2009年のAMD Opteron搭載サーバの売上高は30億ドルだった。一方、メインフレームやRISC/UNIXサーバ、プロプライエタリな各種ミッドレンジシステムの売上高は160億ドルだったという。
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