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Windows対抗OS
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投稿日時: 2003-11-19 09:25
>信頼性/堅牢性が欲しいシステムでは、ふつうにある要望かと。
なるほど. >出せるとしてもつかまえられなかったらどうするんだ?とか考えていって、 >結局あきらめることになったりするのはよくあることではないかと。 >で、「となりのOS」をみると、何も苦労することなく当然に備えている >機能だったりとか。 それは当然ですね. 極端な例ですが,世界でたった一人/一社しかユーザーのないソフトをオープンソースに してもなんら状況は変わらない,という話もあります.オープンソースは決して 魔法でもなければ打ち出の小槌でもありません.不可能なことだって当然ありますよ. で,例えばLinuxを例に取ると,「高信頼性用Linuxが欲しい」とか「組込用Linuxが欲しい」 とか,そういうユーザーが多数いるのならば,自分たちで作るかそういうコミュニティを育てて いく他ないでしょう.それこそデスクトップ用や通常のサーバー用のLinuxに対して,標準で 組み込み用機能や高信頼性システム用機能を入れろとか言っても,それが設計上無理なもの なら入らないのは当たり前です.実際にも,組込用だとかRT Linuxなんてのはこういう パターンなんでしょう? ある機能を追加する,しないを決める権利は各コミュニティが有するものであって,入れろと いう無理な要求を出す側にあるものではありません.もちろん,自分で別のコミュニティを 育て,そのコミュニティで新しい自分たちのコミュニティ版のLinuxを作るのは自由です. オープンソースが保証する「自由」ってそういうものでしょ? #それともまさか未だに,オープンソースOSのことを「無償OS」と思ってるんじゃ #ないでしょうね. | ||||||||||||
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投稿日時: 2003-11-19 12:34
ども。とりあえず元発言に対するレスって事で。
んと「自己利益優先」なのは商売としてはまぁ当然で。ここで「自分にも利益があるが他人にも利益がある」ものを作るか「他人のことは見ていない」ものを作るかが問題の焦点になるか、と。より正確には「他人のことは見ていない」場合にもういくつか分岐点があるにはあるのですが。 で、「同じ操作性」は、確かに重要です。現実問題、MacでもWindowsでも「マウス(ポインティングデバイス)のクリック」という動作はさほど変わらず。ダブルクリックで起動する、とかいうあたりも一緒ですし。 また、アプリケーションについてもある程度は然り、かと。つまり「慣れているアプリケーションと(操作性がさほど変わらない)同等のものが存在している」事にはそれはそれで意義がある訳で。 しかし、それが「同一のOS上」である必要性がどこにあるのでしょう? 無論「同じOSの同じアプリケーション」であれば、労せずに同じ操作性は確保できますが。しかし、それ以上に抱え込む問題もまた、多々存在します。 もし問題点が理解できない場合は、競争原理とか独占禁止法まわりとかいろいろ確認してみられることを強くお勧めします。 とまぁ、この辺は理想論から。 あとは、商売的には「独占市場にうまく食い込んで稼ぎたい」というシンプルな理由が大きいのではないでしょうか? 通常、ユーザがある程度なれたものを乗り換えるためには「優れた商品である」だけではだめで、「元の使い慣れたものが"乗換えを考えざるを得ないほど"デメリットに満ち溢れている」必要性が往々にしてあるのですが。 現在、乗り換えざるを得ないデメリットがたくさんありますし、それが周知されつつありますから。商売的にはいいタイミングなのではないか、と。 マーフィーの法則より 「万人に受けるものは誰にも受けない」 得てして多くの日本人は不得手とするところなのですが。「自分が何をしたい」のか、そしてそのために「どの選択がよりよい選択なのか」をきちんと考察し、自分なりに調べ、そしてチョイスしていくというのは、現在非常に重要なスキルだと思います。 そしてそのスキルをあげるためにも、複数の選択肢が存在するのは非常に重要なのではないか、と。 ちとだらだらと書いてみました。 | ||||||||||||
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投稿日時: 2003-11-19 21:09
私はその当然なことを言ったまでです。
一般に、オープンソースのOSにおいて、コミュニティにそんな権利はありません。
??? オープンソースは「自由」など保証しません。 Stallman 流の "free" 概念がオープンソースの世界全体で受け入れられている とでも思ってるんじゃないでしょうね。 Stallman の "free" とも合致しませんが。 | ||||||||||||
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投稿日時: 2003-11-19 21:27
>>ある機能を追加する,しないを決める権利は各コミュニティが有するものであって,
>一般に、オープンソースのOSにおいて、コミュニティにそんな権利はありません。 訂正. 「事実上」保有しています. まあ権利と言う単語が嫌だというならば,自由と言ってもいいし,「勝手に行っても 誰からも訴えられないこと」でもいいし.まあその程度のものです. コミュニティと言っても,所詮は同じ目的や利害を共有する個人の集まり(のようなもの) です.それがなんであるにせよ,その目的(たとえばデスクトップLinuxを育て,利用する) が自分の目的(たとえば高信頼性Linuxを利用する)と異なっていて,コミュニティが自分の 「お願い」(たとえば高信頼性Linuxを作ってもらう)を聞いてもらえなかったからと言って, それに文句を言うのは筋違いというものでしょう. #こっちが本題.危うく論点がずれる所だった. [ メッセージ編集済み 編集者: 悪夢を統べるもの 編集日時 2003-11-19 21:51 ] | ||||||||||||
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投稿日時: 2003-11-19 21:33
井上です。
いいところを突いていると思います。MacOS X は、操作性がよく練られているという点で、最良のデスクトップ UNIX じゃないかと個人的には思っています。(なんて書くと、袋叩きに遭うかも…) 最近、手元の iBook に MacOS X 10.3 をインストールしてみたのですが、10.2.x より軽快感が増して、なかなかいい感じに仕上がっています。Apple のハードでないと動かないのが、普及に際しての根本的な問題ではあるのですが。 _________________ www.kojii.net | ||||||||||||
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投稿日時: 2003-11-20 00:07
マイクロカーネル嫌いなひとが多そうだからでしょうか? ![]() まあ、マイクロカーネルを深く恨む御大はともかくとして、他方面にも 反マイクロカーネル派 - McKusick とかもそんな発言してたかな - はいますねえ。 (マイクロカーネル派にいちばん勢いがあった時期において) OS X は10.0のときにしばらく使っていましたが、Aqua の出来が悪いのに ガッカリしました。OS 9 以前の素晴らしい操作性が... # 漢字Talk時代からMacを使ってたクチです。 伝え聞くところでは、このごろは良くなったそうですね。 # 10.0でも ***** とか *** とか *** とかよりは断然使いやすかったですが。 [ メッセージ編集済み 編集者: ぽんす 編集日時 2003-11-20 00:11 ] [ メッセージ編集済み 編集者: ぽんす 編集日時 2003-11-20 00:12 ] | ||||||||||||
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投稿日時: 2003-11-20 11:51
ども。がると申します。
友人にデザイナーがいっぱいいるのでよく話は聞くのですが。 微妙に意見が二分していて、「使いやすい」「使いにくい」の両方の意見がまざっております。 個人的には、なんか「きれーだなー」くらいの印象しかないのですが(笑 ただ、現実問題として、現場ではゆっくりとOS Xに移行してきているみたいですね。 私としては「Termが使えるので」よい操作性になってます(笑 これで、うまく「通常のUNIX資産が使いやすい形で」Mac文化に入り込んでくると、また色々と楽しくなりそうだなぁ、とか一人妄想をたくましくしています。 もともと、Macユーザでもツワモノ達は「アップルスクリプト」とか使い倒してたみたいですし。 # そーいえば。Linux系クライアントで「Macライクな」ものが出てこないのは、やはり以前の「アクアのインタフェースぱくって大騒動」が原因なのだろうか? |
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