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日付の計算は難しい。 つーか@ITさんがんばって
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投稿日時: 2004-03-26 15:12
あの・・・私も「今回の議論が危険」なんて仰られたとは思っていませんが。「このような考え方は危険だ」と仰られたのでしょう? 別に謝っていただこうと思ったわけでもなく、何故「危険性」などという言葉を用いられたのか、どのような危険性があるのかはっきりさせたかったからです。今回のレスにもそれは書かれていませんね。「危険」という言葉は、それ自体が危険ですね(笑)。
「〜すること」という語句は、「〜する」という行為自体を表す名詞句です。名詞句の後に何らかの語句を続けるには、通常、助詞や接続詞を用いるのですが、時として助詞は省略されることがあります。 2つの文節の関係には、 ・主語・述語の関係 ・修飾・被修飾の関係 ・接続の関係 ・並立の関係 ・補助の関係 ・独立の関係 の6通りの型があります。 例えば「足を運ぶこと十数回、ようやく認可がおりた。」という文の場合、これを文節に分解すると、「足を運ぶこと」と「十数回」が主語・述語の関係で、「足を運ぶこと十数回」と「ようやく認可がおりた」が修飾・被修飾の関係になっています。 それでは、「失恋することモテナイ君。」というインチキ文を文節に分解し、文節同士の関係を示していただけますか。 「失恋すること13回、モテナイ君のレッテルを貼られた私は〜」なら意味は通じますがね。
自分自身で確証を持ち合わせていないのに書き込まれたわけですか。言葉という重要な共有財産を語る時に、そのような態度は肯定できません。 # そもそも、日頃からきちんとした文章を読んでいれば、こんなことでつまずくことも # ないのですがね・・・ | ||||||||||||
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投稿日時: 2004-03-26 15:30
「馬から落馬」とか(笑)。 しかし日本語というものは面白いもので、よく誤用が指摘される「すべからく」という言葉は、「学生はすべからく勉強するべきである。」などのように、「〜すべき」が後に来るのが正しい用法なのですが、実は「すべからく」自体に「〜すべきものである」という意味が備わっているので、「すべからく」自体に2重の表現を誘発する性質があるのですね。 | ||||||||||||
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投稿日時: 2004-03-26 16:27
Mickyでございます。
ちょとずれてましたね。 「多数決で単純に多いから正しい」とするのは危険では?という意味で書きました。 あくまで一般論のつもりではいたのですが、 たしかに「危険」という言葉は危険ですね。
詳細な説明ありがとうございました。 そうですね。この文では確かにおかしいですよね。 でも…(まだ、言うかぁ〜〜と思われそうですが…) 「今からさかのぼること」って言うのは、定型句みたいなモノで 接頭的に次に来る過去の一点を修飾(修飾ってのちょと違う気もしますが) しているのでは?と思ったんですね。 単純に「動詞」+「こと」で名詞句になって普段使われているものとは ちょとちがうのかな?と… もちろん、そんな勝手な解釈されても困るといわれればそれまでなのですが… 以後書き込みの際は気をつけたいと思います。 ご迷惑おかけしました。 | ||||||||||||
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投稿日時: 2004-03-26 16:34
いや、それは普通の読解力がある人が読めばわかることなので、いちいち説明する必要もないですよ。 あくまで「そのように解釈できないこともない」と言っているだけだと思いますよ。 | ||||||||||||
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投稿日時: 2004-03-26 17:09
特に意見というわけではなく、ただの雑感です。
言葉は日々使うものだけに、非常に多くの見方が提議され、 文法論が書かれ、時代ごとにはやりすたりを繰り返しています。 今、国語の教科書に採用されている文法論は2通りですが、 どちらも欠点をあげればあげられるもので、結局「正しい日本語」は 使用者の心の中にあるのかな、などと思っています。 「ら抜き言葉」のように誤用が広まってしまった後にも、 「誤用だ」という認識が多くの人に残っていることこそが 国語教育の成果であり、素晴らしいことだと思います。 (なんかえらそうですみません。。。) | ||||||||||||
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投稿日時: 2004-03-26 17:14
永井です。ちゃちゃです、すみません。
「ら抜き言葉は日本語の『進化』だ」という説をどこかで読んだ気がします。 ひどく感銘を受けたので、最近ではむしろ意識的に「ら」を抜いて書いたり しています……。 #どこだったかなー←ひどく感銘を受けた割には扱いがぞんざい | ||||||||||||
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投稿日時: 2004-03-26 18:16
私も単なるちゃちゃです。
関西ではもともと「ら抜き」言葉は普通なので、 誤用だと言われてもピンとこない、という話もあります。
食べれる 食べられる のように可能と受動を区別できることや 「言葉の経済」の法則とも合致する点から言われているのではないでしょうか。 | ||||||||||||
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投稿日時: 2004-03-29 10:03
脱線:
この後に出されている「食べられる」では、「食べれん」。「食べられない」も「食べれん」。もっとも、この場合は「自分には食べられない」で、他者に「食べられない」ことを伝えるときは「食べれへん」。 ただ、子供がことさら「たべれん」を使いたがるので、「どっち?ちゃんと『食べられない』と言いなさい」と躾けるようにしている。。。 ↓↓ローカルネタで、長くも続けようと思わないので編集↓↓ 私は「関西弁」の中でも「播州弁」なので、違うかもしれません。大阪でも、北部(枚方辺り)と南部(河内方面)で、使う言葉が違うじゃないですか。 肯定か否定かは、イントネーションで聞き分けます。よって、書き表すことは不可能!?下がっていけば否定、あがっていけば肯定、かな? あ・・・確かに、「で」とか「の」とか、肯定が「ん」だけで終わることはない、のか。「疑問系」は「ん」で終わることはありますね。 #ちなみに、昨日は奈良へ行っていました [ メッセージ編集済み 編集者: Jitta 編集日時 2004-03-29 12:02 ] [ メッセージ編集済み 編集者: Jitta 編集日時 2004-03-29 13:42 ] |