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事故より親睦会〜教訓は活かされるか?
投稿者 | 投稿内容 | ||||
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投稿日時: 2005-05-06 09:33
おはようございます。
何かの話で、「強きを挫き、弱きを笑う」(大規模な組織や権力の粗探しで鬱憤を晴らし、自分より下の存在を意識することでコンプレックスを解消する) という喩えを見たことがありますが、割と外していないかなと思っています。 新聞や TV 番組が、 ・それ程完全に事実や論理性を尊重している訳ではないこと(これは取材能力の問題/限界かもしれません) ・スポンサーの影響は排除しきれないこと(不利な事は報道しませんよね?) ・感情的に共感を得られそうなネタを追い求めること ※弱者と見なされる立場の人は徹底的にかばうとか、 そうでなくて問題を起こした者/組織は徹底的に叩くとかも含めて というのは商売上仕方の無いことかな、と個人的には思います。 尤も、それを潔く認める報道機関は無いでしょうが。 ※でもまぁ、特に某 A 新聞辺りを盲目的に信じる人がいると、頭の痛いことだと思いますが。 話が逸れたので、本題の「親睦会」について一言。 こんな時にマスコミに叩かれる事を意識せずに、ともすれば不謹慎とも取られかねないことをやっちゃったのは、危機管理意識が足りない…、と思います。 私自身は悪いとも不謹慎とも思いませんが、遺族の方や被害者の方から見ればいい思いはされないのではないでしょうか。 [ メッセージ編集済み 編集者: angel 編集日時 2005-05-06 10:44 ] | ||||
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投稿日時: 2005-05-06 10:07
>私の会社でも親睦会の日に
>システム障害が発生しましたが >主任以上は親睦会に出席でした。 良い悪いというのは別にして、ソフトウェアだと、 ちょっと変更すれば、いくらでも作り直しがきく という現実もあるので(ハードに比べて)、 ミッションクリティカルなシステムでなければ (問題にならないレベルと判断したなら) 別にかまわないのではないでしょうか? #人命にかかわることと、同一の話としては 語れないと思います。 | ||||
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投稿日時: 2005-05-06 10:12
日本人の『文化』としては(善悪は別にして)中世、近世の『村』社会に代表されるように連帯責任と相互扶助が基本なんで、日本人の文化が廃れてきた証じゃないかと感じます。 その中で、唯一残ったのが、かなり古いジョークの『赤信号、みんなで渡れば怖くない』という集団になった時の無責任体質かな? 親睦会よりひどいケースとしては、受託開発したシステムのカットオーバーの日に全員社員旅行に行ってしまって誰も立会いしない会社がありました。 で、結果はいきなりのシステムダウン。 おかげで尻拭いの毎日で1ヶ月以上休み無しになってしまいました。 受入れテストが甘いと言われればその通りですが・・・ JRの事故関連については、 自分の肉親が事故で亡くなったと想定すれば、どういう事か解るんじゃないでしょうか? それでも解らない人には何を言っても解らないでしょうね。 殆どのマスコミは死体に群がるハエみたいなもので、人の不幸で仕事をしてるんで仕方ないでしょう。 現場近くはヘリコプタの爆音がひどくて近くの人は大変だと思います。 | ||||
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投稿日時: 2005-05-06 11:11
人命に関わることと同じ土俵で語るのはムリがあると考えます。
それより、この方々は、 「いずれ、マスコミにかぎつけられ問題行動として報道されるかもしれない」 と、誰 1 人として考えなかったんでしょうか? 「助けに行かない」のは別に良いとしても、 宴会だのボーリング大会だのってのは問題ですね。 # 救助に行く行かないは別問題だと思います。 あの事故を知って、のんきに楽しめるような心境になれる、というところが問題だと思います。 [ シグネチャを削除 ] [ メッセージ編集済み 編集者: じゃんぬねっと 編集日時 2006-10-12 13:47 ] | ||||
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投稿日時: 2005-05-06 11:44
スレタイの話に戻しますが、親睦会をすることと教訓を活かすことは
別問題では、 どんな教訓を活かしたいとおもっているんでしょか なにかの教訓があったのですか? | ||||
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投稿日時: 2005-05-06 13:27
親睦会という点にのみフォーカスを当てると、それ自体は問題ないと思います。
だけど、根拠無く非難される行動であることは充分想定できたはずです。通常、あの規模の不祥事になった場合、会社全体およびグループ企業に自粛の通達が行くのが普通だけど、それが無く催されてしまいました。 その点について、マスコミにとって「分かりやすい絶対悪」がやった「分かりやすい非難できる行動」を報道する手段を与えてしまった。 組織の外の人から見てみれば、一つの組織が区に別れている事はどうでも良く、「一つの組織」としか見ないわけですから。 そういった意味で、組織として「誠意」を演出出来ていない点が問題なのでしょうね。 | ||||
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投稿日時: 2005-05-06 14:15
今日は。
結論は此処に至ると思うので。 今回の事象を総合的に見るならば。 (1)オーバーラン距離虚偽報告 から始まり (2)運転手が乗っていながら、事故後に救助対応をしなかった →若い方は連絡をしている。なのに上司がそのまま来いと言った 電車に限らずこういった交通機関ならばなんかあった場合の 代替要員は居るはず。そういった対応を何故しなかった? →年を取っている方はそういった判断が自分で出来ないのは何故? があり (3)対応が2転3転 し (4)挙げ句の果てに事故後に懇親会行っている →その間に放送を見ているのに何故に現場が自粛とか 判断しないの? となっているからこんなに非難されるって事です。 で、更に何故にこんなに批判されるかと言えば 「信楽高原鉄道事故が全く教訓になっていない」 からこそ言われるのです。 人身事故であろうとシステム障害であろうと結論は一緒で 「初動対応をきちんとしないとダメ」って事です。 それがなっていない以上何を言われるか解らないのは どちらも同じ。 通達が行かなくてもそれなりに自己判断は必要では?って事ですね。 ってこれを突き詰めていくと「リスクマネジメント」が出来ていない となって結局延々議論が続いちゃうんですけどね。 | ||||
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投稿日時: 2005-05-06 14:24
日本国民に多数決を取ったら「悪い」とする人が多いから、です。 この点に理屈があるとも、理屈が必要とも思いません。 感情の問題ですから。 |