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[コラム]世界の中心でサケを咥えたけもの

投稿者投稿内容
りょー
会議室デビュー日: 2003/05/22
投稿数: 5
投稿日時: 2003-05-29 13:23
中澤様ご説明ありがとう、ございます。大変勉強になりました。
またご質問させていただきますがよろしくお願い致します。
りょー
会議室デビュー日: 2003/05/22
投稿数: 5
投稿日時: 2003-06-22 03:12
中澤様ご無沙汰しております。
スレッドを改めて読み直していてまた疑問が出てきました。
家格というものがあって
>摂家は摂政や関白になれる家で、近衛、九条、
鷹司、一条、二条の5家(五摂家)
という、お話をしていただきましたが豊臣秀吉が関白になれたのはなぜなのでしょうか?やはり武力を、背景に強引になってしまったということでしょうか?
それから将軍と関白はどちらがえらいのでしょうか?

質問ばかりでもうしわけありません。
@IT中澤
@ITエディタ
会議室デビュー日: 2001/07/27
投稿数: 96
お住まい・勤務地: 西新宿←→丸の内
投稿日時: 2003-06-23 13:14
> という、お話をしていただきましたが豊臣秀吉が関白になれたのはなぜなのでしょうか?

ポイントは、「豊臣秀吉」が関白になった「のではない」ということです。
これは、コトの経過で見るのが分かりやすいでしょう。

まず、羽柴秀吉は信長にならって平朝臣姓を称していました。
(信長と同様、僭称ですが)

信長の継承者として天下人になると、関白になることを目論んで近衛前久の猶子
(養子みたいなもの)として藤原秀吉と名乗ります。
平氏時代と異なり、今度は猶子なので本当に藤原氏になったことになり、しかも
近衛家は五摂家筆頭ですから関白になる資格も十分となります(建て前としては)。

こうして、「藤原秀吉」として関白に就任。次いで太政大臣に任じられてさらに
天皇より「豊臣」姓をもらった(これを「賜姓」という)というわけです。
豊臣賜姓の段階で6番目の摂家誕生となったわけですが、関白就任の段階では
五摂家の枠組みの中で行われたといえるでしょう。

秀吉の場合、征夷大将軍になろうとして足利義昭に養子にしてくれと頼んで断られた、
なんて話もありますね。

> それから将軍と関白はどちらがえらいのでしょうか?

制度的には「関白>征夷大将軍」ですね。といっても、どちらも律令に規定のない
「令外官」(りょうげのかん)なので、制度もへったくれもないのですが。

関白は天皇に代わって政務を執る者で、従一位の位階を持ちます(正一位は基本的に
生前にはもらえない)。征夷大将軍は必要に応じて任じられる臨時の官で、単なる
地方派遣軍司令官に過ぎません(軍のトップですらないし、軍人そのものが低く
扱われていた)。官位相当も従四位だか正四位(正確なことは忘れた)程度です。

まぁ、制度上の地位と実際の実力というのは、えてして矛盾するものです。

スキルアップ/キャリアアップ(JOB@IT)