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2007年問題
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投稿日時: 2004-03-19 10:44
「2000年問題」は有名だったし、「2038年問題」は古いUNIX系を使ったことのある開発者なら、気にかけていたと思います。
では、「2007年問題」は? 実はこれ、「団塊の世代が定年退職することにより、古い技術を知っている者がいなくなる」という問題だそうです(もっとも、「一番多い年代」なので、数年のスパンを持っているのでしょうが)。 最初に読んだときには気にもしなかったのですが、参照元記事にある、「アナログを知っている奴を連れてこいと言うと、取締役が来た」という行で、ちょっと不安を感じました。 私は「バブル入社」なのですが、私の2期下はもういませんでした(過去形なのは転職したから)。その後もほとんど新人は採っていないので、私はいつまでも「最若年」(短大なので、4年制を出た1期下より若いのだ)でした。そのためというのもナンですが、「部下」はおらず、果たして「知識の伝達」ができただろうか、と考えると、「やっていない」という答えになります。 NHKの「プロジェクトX」で、海底探査艇「深海」のプロジェクトが取り上げられていましたが、「深海」のメンテナンスは定年退職した設計者が、今も年に数日「出社」して行っているそうです。もし、設計者に何かあったら、「深海」は定期メンテナンスの日をもって「動くかどうかわからない」ものになってしまう可能性があります(バランス調整の部分で、「カン」がすべてらしい)。 今更ながら、「知識の継承」や、「教育」について、考えさせられました。 | ||||||||||||
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投稿日時: 2004-03-19 11:46
はにまるです。
所感です。 jittaさんの投稿を読み、 昔、私が記述した技術書の前文を思い出しました。 -- 前文 ---------------------------- 高度な技術、高度な考えから作りだされたプログラムは、 そのプログラムが御客様に提供するサービスの価値以上に プログラム自体その物が社会的価値がある。 ------------------------------------- これは、私が初心者プログラマーの時、色々なプログラムを参考にさせて頂き、 気付いた時に記述した内容です。 今、サービスばかりに目が言っている自分がいます。 サービスが目的、技術は手段。 でも、本当に社会的価値あるものはどっちか。 入社2、3年目の自分に教えられるとは.... 何か見失っていますね。 | ||||||||||||
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投稿日時: 2004-03-19 12:11
NAL-6295です。
暗黙知を形式知に変換する作業が疎かにされ続けた(つまり属人的だった。)事が問題なんでしょうね。 組織にも、暗黙知を所有している人にも、それぞれ責任があります。 話は変わりますが、
サービス単位で考えるという事は、サービスが重要という意味では無く、 結局はどう構築するかを整理しやすくするためにあります。 目的が無ければ、手段は存在しないし。 手段が無ければ、目的に辿りつけないということです。 ちなみに、目的はあるけど見えなければ迷走するし。 手段にこだわって迷走すると目的から遠ざかります。 つまり、どちらが無くても顧客に価値の無いモノを提供してしまうということですね。 まぁ、そういう意味でどっちも疎かにしてはいけない部分だと思いますが個人的にはサービス主体で考える事が、手段を分かりやすくするし、より付加価値の高いモノを提供できる。 と思ってます。 #って、どっかで聞いたような文章になって・・・。うーん。 | ||||||||||||
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投稿日時: 2004-03-19 14:39
どもも、がるです。
限りなく雑感です(笑 知識の継承とか教育とか、大切ですねぇ。 最近…に限らず、わりと常々痛切することが多いです。 # いやぁまそれがあるので@ITさんに無理言ってごり押しプッシュして # 講座をさせてもらったりリアルな講座をさせてもらおうとしてたり # してるのですが :-P いくつかの不安要素の一つが、特に高いスキルの人の多くが ・教育に興味がない こと。こっちにある程度のスキルがあって誘い水を出すと色々と 話をしてくれるのですが、初心者がそこから脱出する、というあたりの ブレークスルーがほとんど存在していない、のが不安材料。 とりあえず草の根レベルで「教育」を意識しつつ、どこかで大きく 取り上げてみたいっていうか取り上げてもらいたい内容ですねぇ。 | ||||||||||||
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投稿日時: 2004-03-19 16:05
永井です。
暗黙知の形式化の重要性・価値に関しては、確かに最近(とは言っても、それなりに経っていますが)頻繁に耳にしますよね。 ちょっと端折りますが、これは組織の全体最適の観点からのアプローチだと思います。 ただ、全体最適を推し進めようとする企業側の姿勢は大変結構なことなのですが、一方でリストラ(の名を騙った首切り)が行われる等、全体への信頼感を損ねるようなアプローチも行われており、構成個々人が安心して全体最適に取り組める状況でない(場合が多い)のも確かです。 「今の生活を守るため」に、「(全体最適・知識の形式化の重要性を)分かっているのに暗黙知をそのまま抱え込んでいる」という方も多いのではないでしょうか。 <休憩> えー……背伸びして難しいテーマに関して発言しようとしたために、もう、最初に何を書こうとしたのか分からなくなってきてしまいましたが……えーと。どう繋げればいいんだ。 困ったので、無理して繋げないですが…… </休憩> この構図、どこかで見たなーと思ったら、「囚人のジレンマ」ですね。 | ||||||||||||
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投稿日時: 2004-03-20 00:10
ふむふむ。企業に永久にいるわけではないから有限回数なわけで、 つまり「常に裏切る」戦略がナッシュ均衡すなわち最適である、と ![]() | ||||||||||||
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投稿日時: 2004-03-20 15:58
はにまるです。
NAL-6295さん返答ありがとうございます。 感傷に浸り過ぎ、飛躍した考えの結果を記述してしまいました。 ![]() 私は「知識の継承」の言葉に注目したのですが、 「知識の継承」をする際は、「知識」を解り易く、重要性も伝える必要があると考えます。 「知識の継承」をする側にとって本当に重要なのは、 この「知識を解り易くする事」、「重要性を考える事」と思います。 その手順を経由しなくても「知識」を持つ物は、「知識」を利用する事が出来ますが、 「知識」が難しい状態の為、自分自身がその知識から新しい考え、深く考える事が出来ない 問題も知らず知らずの内に含んでいると思います。 下記は自慰文書です。 永井さんの投稿文書には、ドキ! ![]() ただ、今回の様に永井さんが解り易く記述して頂いた事により、考え直す事が出来ました。 >サービスが目的、技術は手段。 >でも、本当に社会的価値あるものはどっちか。 を書き直せば、 サービスはお客様にとって価値があり、自分に直接価値がある訳では無い。 技術(広意義の技術)こそが自分の価値を高める物であり、自分とお客を繋げるのは、 技術から発生したサービスである。 その技術が暗黙知のままでは必ず技術の停滞、陳腐化が起きサービスの低下を招く。 これは「技術が全て」では無く、「技術が重要」の意味であり、 技術が重要だからこそ、「知識の継承」と言うプロセスを経て自分の技術力を高め、 自分自身の価値を高める必要がある と考えました。 追記 って格好いい事ばかり書いているのもなんなので、 自慰文書は自分が成長中の状態にいるから記述出来るのですが、 正直、努力する事に疲れたら、「知識の継承」はせずに自己保身に走ります。 ![]() | ||||||||||||
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投稿日時: 2004-03-20 17:06
こんにちわ.
自分もそう感じます.自分はもともとユーザーでしたが,いろいろ思うところあって,今はエンジニアやっています.ユーザーだったころに接したエンジニアを見て,「この人たちには任せられない」と感じて,自分で学び始めたところから今に至っています.その際に強く感じたのは,「本や文字だけの情報では技術屋はつとまらないのではないか?」ということでした.
今の会社で自分も「教育のあり方」について考えさせられました.自分の会社では,新人は「集団で教育してからそれぞれの実働組織に配置」します.大きな会社はおおむねそうなのでしょう.でも,ここにとても強く疑問を感じています.机の上での「お勉強」ならとてもよくできるのですが,現場に来た新人は「結構自分って仕事できると思うし,もう勉強は十分してきた」と感じているらしいのです.で,結果として「言われたことを言われたとおりにやる」だけの機械じみた仕事をしてくれます(^^; でも,「命令」は理解できても「訓令」は理解できないのです.つまり,「こうしろ」と言われればできるけど,「ここが目標,それを基に考えてみて」と言われると「無駄だから教えろ」という話になります.とくにその辺を強く感じるのは,「googる」です.google で検索して,手段だけは見つけてきますが,「なぜそうなのか?」にはあまり興味がないみたいなのです.個人の影響力で古い機材を集めて好きなように研究できる環境を作ってもまったく利用しようとしないし,要するに「自発的な学び」の姿勢がないと感じます. 長々と書いていてややこしくなりそうなのでこの辺で留めますが,つまり「学ぶ側の姿勢」にも問題があるのではないでしょうか?その意味で
は「上からの見方なのかな?」とも感じてしまいます.「知識の継承」は世間的にはとても重要な問題です.が,個人にとってはもしかして「他人事」なのではないかと.さらに言うと,今の若者にはその傾向が顕著に感じられてならないのです. ※自分もまだ世間的には「青二才」といわれる年代ですが... この掲示板のように「討論」することの意義も感じていないことも多いようですし... その辺,この掲示板で激論を交わしているお歴々はどのように感じておられますか? |