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はじめてのパソコンは?

投稿者投稿内容
ed17
ベテラン
会議室デビュー日: 2002/05/24
投稿数: 53
投稿日時: 2002-05-29 09:27
引用:

@IT藤村さんの書き込み (2002-05-28 20:50) より:
私にとっての初体験はエプソンさんの手になる、初代98互換機でした。
(なんという名称だったか...確かPC-286Sとか)
搭載CPUが 80286 12MHz。確か対抗純正機がV30で8MHz だった記憶があります。
FDDが5インチ時代です。

パワフルで若干安く、デザインが良いという個人的には名機で、互換性上のトラブル(いたちごっこな状態で、エプソンさんはパッチ出しまくりでしたが)はほとんど経験しなかったですね。


初代は「PC-286model 0」ですね。当初外部記憶装置の種類でmodel1,2,3(ちょっと
記憶曖昧)をアナウンスしましたが、NECとの著作権問題でBASIC ROMを外したFDD
モデルのmodel0が発売されました。i80286-10MHzで、当時のPC-9801VX0/2/4の8MHz
よりも高速でした(NECはPC-98XLに10MHzの286を搭載したので差別化のため8MHzに
したのでしょう)。対抗上NECは急遽10MHzモデル(VX01/21/41)を前倒しして発売
しました。EPSONはそれを迎え撃つカタチで80286-12MHzのPC-286Vを発売。あのころ
は結構にぎやかでした。確かAMDの16MHzの286互換チップを使ったモデル(PC-286X)
なんてのもありましたか。
私は初代ラップトップのPC-286L-H10-N(名前にも関わらずV30-10MHzでHDDが10MB、
モノクロ(1ビット)白色液晶)→PC-386Book-L(386SX-16、8階調モノクロ)と
買いました。
互換性は、NECが仕掛けた「EPSON封じ」コードを外すツールをEPSONが供給して
いましたが、いたちごっこでしたね。まあ、DOS以外は世話になりませんでしたが。

EPSONのおかげで市場原理が働き、PC-98のコストパフォーマンスが向上したことは
確かですが、それも狭い日本の中での比較論に過ぎず、Compaqショック、Windows
ショックという黒船到来とともに歴史のひとコマとして消え去りました。
Junbow
ぬし
会議室デビュー日: 2002/01/24
投稿数: 373
お住まい・勤務地: saga.jp
投稿日時: 2002-05-29 10:17
 さすがに、いろいろ懐かしい名前が出てきますねぇ。
 ところで、「松」と「梅」の機能の違いが、雑誌の広告ではわかり
ませんでした。ご存知ですか?? (「桐」はわかってます(笑))
>NEC PC-98互換機
 シャープさんの「MZ書院」のシリーズで、PC98Vソフトを動かせる
エミュレーション機能が載ったものがありました。あと、どこか、
互換機を出していたような気がするのですが・・・
ed17
ベテラン
会議室デビュー日: 2002/05/24
投稿数: 53
投稿日時: 2002-05-29 15:47
引用:

Junbowさんの書き込み (2002-05-29 10:17) より:
 ところで、「松」と「梅」の機能の違いが、雑誌の広告ではわかり
ませんでした。ご存知ですか?? (「桐」はわかってます(笑))


「日本語ワードプロセッサ」→「松」&「梅」→「松85」→「新松」→「松Ver5」
→「松Ver6」(番外で「松風」)
と進んでいったのは覚えているんですが、「梅」はみたこともつかったことも
ないのでどういうものなの当時から知りません。これ知ってたら相当なK3ファン
かも、という話を仲間内でしたことがあったような(笑)

#そういえば、「蘭」というのもあって、よく使いました。
アイティメディア藤村
@ITスタッフ
会議室デビュー日: 2001/07/27
投稿数: 244
お住まい・勤務地: 飯能<->丸の内
投稿日時: 2002-05-29 17:23
引用:

ed17さんの書き込み (2002-05-29 15:47) より:
「日本語ワードプロセッサ」→「松」&「梅」→「松85」→「新松」→「松Ver5」
→「松Ver6」(番外で「松風」)
と進んでいったのは覚えているんですが、「梅」はみたこともつかったことも
ないのでどういうものなの当時から知りません。これ知ってたら相当なK3ファン
かも、という話を仲間内でしたことがあったような(笑)

#そういえば、「蘭」というのもあって、よく使いました。



「鶴」というドローツールが「新松」にバンドルされていませんでしたか?

_________________
アイティメディアの藤村からでした。
井上孝司
ぬし
会議室デビュー日: 2001/09/08
投稿数: 668
お住まい・勤務地: 東京都
投稿日時: 2002-05-29 19:20
引用:

@IT藤村さんの書き込み (2002-05-29 17:23) より:
「鶴」というドローツールが「新松」にバンドルされていませんでしたか?


ありましたー。大学の卒論を書くのに、「花子 Ver.1」ともども使った記憶があります。
よく考えたら、640x400 の狭い画面でワープロもグラフィックも、よくやってましたよねぇ。あの頃は。

# 「1-2-3 R2J」に「椎茸」というのが付いてましたね
_________________
<author>
<name>井上 孝司</name> <web>www.kojii.net</web>
</author>

[ メッセージ編集済み 編集者: 井上孝司 編集日時 2002-05-29 19:21 ]
じじ
会議室デビュー日: 2002/05/01
投稿数: 15
お住まい・勤務地: 岡山
投稿日時: 2002-05-30 17:40
往年の名機がずらずらと、出てきて懐かしいですね。私はハンドルネームのままに孫持ちのじじですが、最初に購入したパソコンは8801でした。画面は白黒でFDDは買えなくてカセットテープにN88ベーシックで元利均等の返済計算書を作ってみたりしました。
孫の父親が中学生になった時に二台目の8801を買いましたが、これはいくらか進化して画面はカラーになり、5.25のFDDが二基搭載されていました。これは二人の息子のゲーム機と化していました。何だかゲームをコピーツールで友人達と交換していましたが、今から思えば子どもとは云え如何わしいことをしていたのですね。
私が本格的仕事等にパソコンを導入したのは、Macintoshと出会った時からですね。
ウインドウの中をマウスでクリック、最初の出会いは衝撃でした。
早速に512kMacを購入しました。白黒の8インチ当時とすれば風変わりなデザインでした。日本語が未だ載らず、ローマ字と半角のカタカナだけでした。
それでもマウスを利用してスケッチを描いたり、マルチプランで事業計画を作成し、なんだかんだ当時150万円以上かけたように記憶していますが高いとは思いませんでしたね。
今でも、私はMacが離せません。この書き込みもG4でしています。(書き込み違反ですか?)
尤も、仕事はDOS_Vを使っての方が多いかも知れません。
自作機でJW_CADを使って図面を描いています。
目下Linuxの勉強を始めました。みなさん宜しくご指導下さい。
小林章彦
@ITエディタ
会議室デビュー日: 2002/01/01
投稿数: 26
投稿日時: 2002-05-30 21:35
System Insiderの小林です。

「PCエンサイクロペディア」の日本のPC史を振り返る(後編) を公開しました。
今回は、AXからPC互換機への道筋を辿ってます。このあたりになると、雑誌に評価記事などを
書いていたので、鮮明にいろいろと思い出したりもするのですが...

引用:

じじさんの書き込み (2002-05-30 17:40) より:
今でも、私はMacが離せません。この書き込みもG4でしています。(書き込み違反ですか?)




いえいえ、Macでの書き込みも歓迎です。
Macが出たときは、本当に感激したものです。とても高くて買えませんでしたが。
某スーパーアスキー(某になってませんが)の最初のころは、Macintosh IIcx
で自らグラフやら図版を描いたものです。この頃は、Macで図版を書けるデザイナー
なんていなくて。今とは大違いですね。

みなさん、意外とZ80系から8086系と順当(?)な道を歩いているようですが、
はじめてのパソコンがX-68000って人はいないのでしょうか?
ラフィン
ぬし
会議室デビュー日: 2002/05/23
投稿数: 809
お住まい・勤務地: 外野
投稿日時: 2002-05-30 21:43
引用:


みなさん、意外とZ80系から8086系と順当(?)な道を歩いているようですが、
はじめてのパソコンがX-68000って人はいないのでしょうか?




 そういえばFM-7が出てきませんね。かなり売れていた印象がありましたが。

[ メッセージ編集済み 編集者: ラフィン 編集日時 2002-05-30 21:44 ]

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