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日本のPC史、一太郎の起源
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投稿日時: 2002-05-31 19:08
System Insiderの小林です。
フォローありがとうございます。 ということで、JS-WORDとjX-WORDはかなり違うワープロソフトになっております。 確か、ジャストシステムとしてもjX-WORDが一太郎の元祖という言い方をしていた と思います。 | ||||||||
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投稿日時: 2002-05-31 19:21
へ、そうなんですか?
ま、どうでもいいと言へば、そうなんですけど でも、未だにMS-IMEが使えない身としては、 KTISを持ったJS-WORDの方が、あるいは 同じ98であったり、JUSTSYSTEMの生い立ちを 聞くにつけ、ルーツはJS-WORDと思ってしまいます t2 | ||||||||
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投稿日時: 2002-06-01 13:03
ジャストシステム発展の直接の要因は一太郎のヒットでしょうが、そのきっかけに なったのは(つまり徳島県の一ソフトハウスが全国区になったのは)、JS-WORDの 開発にあったわけですから、「事業のルーツ」をJS-WORDにしてもおかしく無いとは 思います。ただ、浮川夫妻が「太郎」という名前に込めた思い入れからみて、公式 にはjx-WORD太郎からがルーツだということなんでしょうね。 ちなみに、当時GUI採用のワープロとして、ダイナウェアのダイナワード(?)とか いうのもありましたね。マイナーなままで消えてしまいましたが、もしPC-9801が IBM-PCのような交換可能なグラフィックスボードを採用していたら、こういう ソフトの発展の可能性もあったのかなあ、などと思いました。一太郎もVer.1か2で ハイレゾ対応版を出していましたが、後が続きませんでしたしね。 ところで、元麻布氏の記事で、 > 専用 > のグラフィックス・コントローラ(GDC:Graphic Display Controller)の標準搭 > 載といった工夫が施された。 というところで、「専用」は違いますね。些細な点への突っ込みですが、GDC (μPD7220シリーズ)はPC98用に開発されたわけではないと思います。同時期に 発表されたN5200/05やN6300/55でも使われていますし、当時の電子デバイス事業 部門(PC-8001/8801はこちらで事業化)はコンピュータ事業部門がPC-9801を開発 しているとは知らされていなかったので、頼まれて専用デバイスを作るなどという ようなことはありえなかったのです。また、PC-9801の開発期間(確か半年程度)で、 あれだけのデバイスを開発・量産化することは当時は不可能でした。 参考:http://www.aozora.gr.jp/cards/gopc.html (私の記憶にも自信がないのですが 、一太郎とジャストシステムの件は一応これで 確認できました) | ||||||||
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投稿日時: 2002-06-01 16:59
duet、母は翻訳ソフトには頼ってませんでしたねぇ。辞書で英語の原稿を見ながら、一太郎で日本語を書き込んでました。
多分違いますね。私は現役大学生ですから。まぁ、さすがに10代ではないですが(苦笑)。 | ||||||||
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投稿日時: 2002-06-03 19:41
「大地」の記憶と共に、うちの家を探したら、jx-word太郎がPC98用に
出たときの、月刊誌・Oh!PCがありました。 >PC-100は、触ったことありませんが、JS-WORDは本社で数分動かしました >当時、マウス対応は、画期的な事だったのでしょうね(デバドラもないし) そういえば、そうですね。 まぁ、日本語対応CRT縦置き対応MS-DOSは 動いていましたし、後の Just Windowほどの窓システムはないにしても、 mouse.sys でハンドリングして、範囲指定程度はできたんじゃないでしょ うか? そうそう、PC-100に付属のロードランナーも、マウスで穴掘りまで 操作できましたね(^^) |