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はじめてのパソコンは?

投稿者投稿内容
ed17
ベテラン
会議室デビュー日: 2002/05/24
投稿数: 53
投稿日時: 2002-06-07 13:56
引用:

ラフィンさんの書き込み (2002-06-07 12:44) より:
 プログラムはキーボードから打つのがあたりまえで、保存媒体はカセットテープ、しかもケーブルは別売り。
 読み込みは一発で成功するとは限らず、リトライも...
 書き込みが失敗していた日には... (哀)

 フロッピーになった頃はIPL起動でOSもフロッピーに、あわせて320KBの世界でしたね。

 #こうしてどんどん終わらないスレッドに...




そういえば、プログラム記録専用と称したC-10とかC-20とかいう長さのカセット
テープが発売されていましたね。まだ、CD記録時間に合わせた多種類のライン
ナップはないころ(C-30/46/60/90/120くらいしかなかった)の話です。

IPLといえばPC-8001をCP/Mで使うためのIPLはカセットテープに記録してよませて
いました。正味2,3秒で読めるので、テープ両面に何十回も記録しておいて適当な
場所から読みこませていました。後にPROMに焼いて空きスロット..もとい空きROM
ソケットに差しましたけど。

記録方式もKCSとかサッポロシティスタンダード(Googleしてね)とか各種あった
ものです。PC-8001はKCSの倍速(でも600bps)、SHARPはBasicを全部テープから
読ませる関係でもう少し高速でした。ちなみに、私が初めて使ったPCに挙げた
PFC-15は、TEACのデジタルカセット(MT-2)を使用して、Basicインタプリタや
ユーザプログラム・データを読みこんで使っていました。結構高速でそんなに
気にならなかったのは、卒研で紙テープ200mぶんのデータとかを汎用機に読ませ
る生活を送っていたからです
Junbow
ぬし
会議室デビュー日: 2002/01/24
投稿数: 373
お住まい・勤務地: saga.jp
投稿日時: 2002-06-07 15:01
 「札幌・・」って、やっぱり、高橋名人なソフト会社の作った方式なのでしょうか?(笑)

 紙テープといえば、小さい頃の夏休み、父の仕事について行ったときに、FANUCの
NC旋盤をプログラムするための黄色いマシンで、紙テープにローマ字で自分の
名前を彫ってもらったときは、むちゃくちゃ感動しました。
sanuc
会議室デビュー日: 2002/06/05
投稿数: 4
投稿日時: 2002-06-07 23:52
引用:

Junbowさんの書き込み (2002-06-07 15:01) より:
 紙テープといえば、小さい頃の夏休み、父の仕事について行ったときに、FANUCの
NC旋盤をプログラムするための黄色いマシンで、紙テープにローマ字で自分の
名前を彫ってもらったときは、むちゃくちゃ感動しました。



FANUCの「自動プロ」ですね。
コメントとか管理識別用に、本来のISOでもEIAでもないコードがパンチされていたの
を観てすぐには読めませんでした(笑)。
自分の勤めていたトコでは、旋盤やマシニングともに頑なな職人さんが多く、自動プ
ロの吐き出すコードでは納得できず、結局ガリゴリ書いてたなぁ。
それをIBMのボールタイプなTTYでよく代打ちさせられたっけ...。


[ メッセージ編集済み 編集者: sanuc 編集日時 2002-06-07 23:53 ]
ラフィン
ぬし
会議室デビュー日: 2002/05/23
投稿数: 809
お住まい・勤務地: 外野
投稿日時: 2002-06-08 00:32
 JunbowさんとsanucさんのFANUCは20年ぐらい違いそうですね。

 Junbowさんのはプログラムを紙テープに物理的に穴あけて作るやつで、穴あける機械もそこそこ大きいやつ。
 sanucさんのはモニタ見ながら対話式にプログラムが組めるやつで、PCで組んでもOKのやつ。
...じゃないかな?

 私もそういった職場でブルーカラーの方でしたので、「手に伝わる感触はNCにはわからんだろう」といった職人の考えはわかりますね。
tasuku
常連さん
会議室デビュー日: 2001/08/11
投稿数: 28
投稿日時: 2002-06-08 01:58
引用:

かきまろさんの書き込み (2002-06-07 11:40) より:

PC88時代のマイナー機筆頭株FP-1100、私もこれがデビューです。
音源(AY-3910とかだったかな?)も内蔵時計もないが、10進演算は
するという地味なヤツだった。
サードパーティのハードサポートもなく、関連雑誌も殆どなかった。
でもそのせいか自分でプログラムを書くようになったのかも。
どうしても音が欲しくて音源ボード作成して突っ込んだら、フューズが
飛んでそれ以来懲りて付き合わなくなりましたが。



FP-1100は、FM-7と同様にDual CPUデザインで、VRAM描画をSub CPUが
担当していましたが、FM-7と違ってSubCPUが電卓系?
の良くわからないCPUだったんで、当時のアセンブラ記述のゲームを
書くのが難しくて...。 その辺もメジャーになれなかった原因かも
知れませんね。

FPには色々苦労させられましたが、自分で作らざるを得なくて
マシン語も覚えたし、それが今の仕事の基礎になってくれてます。

最近、自分で中身までいじれる時代に学生でいられた世代の
ソフトウェア技術者は、(私も含めて)
PCの進化と同じ歩調で歩けた分、幸せだったのかなぁと感じます。

sanuc
会議室デビュー日: 2002/06/05
投稿数: 4
投稿日時: 2002-06-08 11:33
引用:

ラフィンさんの書き込み (2002-06-08 00:32) より:
 Junbowさんのはプログラムを紙テープに物理的に穴あけて作るやつで、穴あける機械もそこそこ大きいやつ。
 sanucさんのはモニタ見ながら対話式にプログラムが組めるやつで、PCで組んでもOKのやつ。
...じゃないかな?


いえいえ、テープパンチャ付いてます > 初期の自動プロ
ISO or EIAコード(紙テープのキャラクタビット)でパンチされる本来のG, S, T, M等の
ビット列ではない「人が観て文字に見えるパンチ穴の羅列」のことをJunbowさんが書かれていたので、つい...。

ちなみに8bitパソコンでも自動プロは随分と出ていたんです。
CNCはFANUC社だけではなかったので、OSP, MELDAS, YASNUC, MAZACなどに向けて、起動時
にpost-processorをローディングできるようになってました。もちろん、パンチャ付きです。


[ メッセージ編集済み 編集者: sanuc 編集日時 2002-06-08 11:35 ]
ラフィン
ぬし
会議室デビュー日: 2002/05/23
投稿数: 809
お住まい・勤務地: 外野
投稿日時: 2002-06-08 16:50
 こんにちは、sanucさん。
引用:

いえいえ、テープパンチャ付いてます > 初期の自動プロ


 「マシニングは新しい」みたいなイメージから勝手なこと書いちゃいましたね。

 私はずっと「経験・カン・度胸」でしたね。
 というか、NCやMC以外の仕事を拾ってたんですけどね。

 パソコンをはずれたコンピューターの話題でしたね。
 まあ、このスレッドはどのみちわき道にはそれるということで...
井上孝司
ぬし
会議室デビュー日: 2001/09/08
投稿数: 668
お住まい・勤務地: 東京都
投稿日時: 2002-06-08 17:19
井上です。
学生の頃に、TK-80 (だったか、その系統のワンボードマイコン) で、パルスモーターを制御するプログラムをマシン語で書かされたことがありました。でも、当時の機械科という場所はコンピュータオンチが揃っていたので、皆で頭を抱えたものです。
結局、初めのうちにその実習をやった私が書いた、動作確認もしていないコードを、クラス中で写してくれたものです
_________________
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