長瀬嘉秀のソフトウェア開発最新事情(5)


長瀬嘉秀
テクノロジックアート
2003/6/7


 ソフトウェアの開発手法を巡る動きが活発化している。ウォーターフォール型開発手法の神話はすでに崩れ去ったのか? 反復型開発手法の雄「RUP」は果たして定着するのか? アジャイル開発プロセスの思想が一時的なブームに終わってしまう可能性はないか? 開発手法の潮流を観察し続ける長瀬氏の連載コラム。(編集局)


第5回 ワード・カニンガムが指摘するXPの限界

 今年のXP2003は、5月25日から29日まで、イタリアのジェノバで行われた。昨年(2002年)の開催地はサルディニア島というリゾート地。観光地から歴史的な港町へと舞台を移したわけだ。ジェノバはミラノから電車で1時間半ほどの地中海に隣接した町だ。私はミラノ経由でセリエAの試合を見た後、XP2003が行われる会場に到着した。大スポンサーはマイクロソフトとマーチン・ファウラー氏のソートワークス社だけという事情からか、今年の開催場所は昨年のホテルから大学になっていた。参加者も今年は31カ国220人ほどで、昨年と比較して100人ほど減っていた。やはりソフトウェア業界はヨーロッパでも不況なのかもしれない。

 XP2003の基調講演は、シシリア島出身のマイケル・A・クスマノ氏による「Strategy for Software Companies:What to think about, in Good Times and Bad」だった。クスマノ氏は、『マイクロソフト・シークレット』の著者として著名な作家であり、MIT Sloan School of Managementの教授でもある。また、『日本の自動車産業』や『日本のソフトウエア戦略』という著書もあり、日本とも、とても関係の深い人物でもある。

MIT Sloan School of Managementの教授 マイケル・A・クスマノ氏

 講演の内容は、“ソフトウェア関連企業の戦略”と題し、ソフトウェアビジネスを展開している企業をいくつかの特徴で分類しながら、それぞれが今後向かう方向性を考察した内容だった。ソフトウェア関連企業は、「製品」または「サービス」を主力にしているかどうかで、大きく2つに分けられる。「製品」カテゴリに属するのは、例えばマイクロソフトやアドビ・システムズのような企業、「サービス」カテゴリに属するのは、EDSのようにユーザーのシステム構築を請け負っている企業である。また、システムの保守、運用にかかわっている企業も「サービス」カテゴリに分類される。「製品」と「サービス」の両方を持っている「ハイブリッド」カテゴリに属する企業もある。日本では一般には知られていないかもしれないが、IBMは、収益全体に占めるサービスの比率が73%(2001年)という企業であり、メーカーというよりもむしろサービス企業といえるかもしれない。

 クスマノ氏は、「製品」「サービス」両カテゴリのメリットと問題点を指摘する。「製品」のメリットは、当たれば非常に高い収益を得られることである。極端にいえば、売り上げの99%が収益となる可能性がある。しかし、ヒットするようなキラーアプリケーションを開発できるかどうかはまさに賭けといえよう。さらに、売り上げが不安定というデメリットもある。一方、「サービス」のメリットは収益が安定していることである。ただし、収益率は「製品」よりも低く、技術者の数に比例して売り上げが上がっていく。

 以上のカテゴリ分析を基に、クスマノ氏が、Business Objects、i2、People Soft、Oracle、SAPといった代表的な企業を取り上げ、主力製品の売り上げを比較した結果、興味深いことが明らかとなった。すべての企業が「製品」から「サービス」に売り上げの主力を移してきているのである。すなわち、ソフトウェア関連企業としては「サービス」がビジネスの主体になってきているということである。ちなみに、米国のベンチャーキャピタルの多くは「製品」を持っているかどうかで評価を行うため、スタートアップ直前のベンチャー企業が「サービス」だけを主力にすることはとても難しいという状況がある。
 
 さて、このような分析の結果から導き出される結論は、すべからく「製品」と「サービス」を両立させる「ハイブリッド」型のソフトウェア関連企業となるべきであるということだ。つまり、安定して収益を確保できる「サービス」事業とスケーラブルな売り上げを見込める「製品」という両輪を持つビジネスモデルを採用すべきである、ということである。

 クスマノ氏の話を聞き、日本だけではなく、米国のソフトウェア関連企業にとっても難しい時代が来ている、と実感した。米国とは逆に、日本のソフトウェア関連企業のほとんどは「サービス」ビジネスが主力である。彼らは「製品」について、今後どのような展開を考えているのだろうか。課題は山積する。

XPの生みの親、ワード・カニンガム氏

 もう1つの基調講演は、XPの生みの親のワード・カニンガム氏の「Exploring the Limits Alignment and Material Place on Agile Methods」だ。カニンガム氏は講演の中で、XPの限界を指摘、「(XPの)組織での価値」と「(XPを導入した開発における)成果物の特質」という2つのトピックについて具体的な考察を行い、アジャイル開発プロセスにとって重要なポイントは何かを提示する試みを行った。

 「(XPの)組織での価値」というトピックで、カニンガム氏が指摘するXPの4つの価値とその対立物を下記に示す。前者が、XPが組織に提供できる価値であり、後者がその対立概念と考えればいい。

    Communication vs. Secrecy

    Simplicity vs. Size/Growth

    Feedback vs. Non-Commitment

    Courage vs. Scapegoating

 組織内には、コミュニケーションを行うことで生じる価値がある一方、あえてコミュニケーションを断絶し、情報を秘密にすることで生じる価値もある。当然、組織には、外部向けのコミットメントと内部向けのコミットメントという2種類のコミュニケーションが存在する。これは、XPでいうところのユーザー(顧客)向けのコミットメントと(社内の)プログラマが行うコードのリファクタリングに当たる。外部向けのコミットメントは、戦略として組織のトップ層から降りてくる。内部向けのコミットメントは、下からの報告として上に上がる。XPにおけるユーザー(ビジネス側)とプログラマ(開発側)という関係は、基本的には階層のない関係だが、もし階層がある場合、トップ同士のコミットメントが行われれば、強制力は強いが速度は遅い伝達となり、逆に組織の下部層同士のコミットメントであれば、速度は速いが、強制力は弱い伝達となる。XPをはじめとしたアジャイルプロセスをソフトウェア開発に導入する場合には、このような状況を検討しなければならない、とカニンガム氏はいう。

 次に、カニンガム氏は「(XPを導入した開発における)成果物の特質」については、3つの重要なポイントを指摘した。すなわち、

  1. どのような順序でも構築できる
  2. 抽象の積み重ねである
  3. 変更のコストが低い

 開発プロセスが上記のような特質を持つのと同様、プログラム言語も高速な開発を前提としたものに変わる必要があるとする。例えば、Excelのマクロは、コードを書けば、すぐにエラーが分かるという非常に簡便な仕様だが、実現できる機能は限定されている。一般のプログラム言語は、コンパイル作業を挟む必要があり、エラー発見には少々時間がかかるというマイナス面を克服できていない。マクロとプログラム言語の中間の性質を持つスクリプト言語は、抽象化したセットを使えば、すぐさまプログラムを作成できるという優れものだ。次世代のプログラム言語は、スクリプト言語のようにすぐに作成でき、エラーの早期発見が可能なテストファースト仕様になっていることが望ましい。

 以上、「組織での価値」は環境面について、「成果物の特質」は技術面についての話である。これらの問題を取り上げることで、カニンガム氏が示そうとしたのは、XPをはじめとしたアジャイルプロセスを導入していくうえでのキーポイントと、今後の方向を示唆することである。話題自体が組織論からプログラム言語の考察という幅広いもので、しかも英語での講演ということもあり、消化不良の感が少々あるが、カニンガム氏らしい奥の深い講演であることに変わりはなかったと思う。

 そのほか、XP2003では「アジャイルプロセス管理」「方法論とツール」「ペアプログラミング」「テスティング」「実践報告」などのテーマでセッションが行われた。特に、開発ツール「Naked Objects」とソートワーク社による「CruiseControl.NET」のセッションは非常に興味深い内容だった。なお、ほとんどのセッションは、実践レベルのXPプロジェクトをテーマとしている。しかも、その多くが大規模な企業システム開発に適用した結果の報告だったことも付け加えておく。

『アジャイルソフトウェア開発エコシステム』の著者、ジム・ハイスミス氏

 最後の基調講演には『アジャイルソフトウェア開発エコシステム』の著者であるジム・ハイスミス氏が登壇した。ハイスミス氏は「アジャイル開発プロセスは、初期の段階からようやく実践時期に差し掛かっている」と指摘した。日本は米国(欧州の一部の国も含む)からおよそ2年遅れて技術が導入される傾向がある。そう考えれば、2004年には、日本でもアジャイル開発プロセスの広がりを期待できるのではないか。楽しみな年になりそうである。

 さて、2004年に開催予定のXP2004の開催地は、ドイツのGarmischらしい。Garmischはアルプスの麓(ふもと)にあるリゾート地で、ノイシュバインシュタイン城の近くである。来年は都市ではなく、快適な環境でXPについて、熱い議論が繰り広げられるだろう。今回日本からの参加者は2人だけだったので、来年はぜひ、多くの方に参加してほしいと思う。論文の提出も歓迎する。

プロフィール
長瀬嘉秀(ながせ よしひで)

1986年東京理科大学理学部応用数学科卒業後、朝日新聞社を経て、1989年株式会社テクノロジックアートを設立。OSF(Open Software Foundation)のテクニカルコンサルタントとしてDCE関連のオープンシステムの推進を行う。OSF日本ベンダ協議会DCE技術検討委員会の主査。現在、株式会社テクノロジックアート代表取締役。著書に「分散コンピューティング環境 DCE」(共著、共立出版)、「ソフトウェアパターン再考」(共著、日科技連出版社)、「コンポーネントモデリングガイド」(共著、ピアソン・エデュケーション)など多数。また「独習UML」(監訳、翔泳社)、「XP エクストリーム・プログラミング入門」(監訳、ピアソン・エデュケーション)、「UMLコンポーネント設計」(監訳、ピアソン・エデュケーション)、「入門Cocoa」(監訳、オライリー・ジャパン)、「Webサービス エッセンシャルズ」(監訳、オライリー・ジャパン)など海外の最新テクノロジに関する書籍の翻訳作業も精力的に行う。

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