自由を求めて−MicrosoftのHailStormの先にあるモノ 渡邉利和 |
約2年ほど前のことになるが、フロリダからニューヨークまで4日間ほどかけてドライブしたことがある。その途中立ち寄ったフィラデルフィアの街で、「Liberty Bell」というものを見た。独立戦争時の歴史遺産であり、米国の独立を象徴する鐘だという。現在進行中の対テロ戦の作戦名も「不朽の自由」だ。こちらは「Enduring Freedom」であり、Libertyではないが、いずれにしても、どうやら米国では何らかの攻撃や抑圧に対抗して立ち上がる際には「自由」を旗印に掲げることになるようだ。ITの世界では、「Liberty Alliance Project」が発表されているが、これは何に対して立ち上がったのだろうか(Liberty Alliance Projectのホームページ)?
Liberty Allianceが対抗するもの
Liberty Alliance Projectは、MicrosoftのPassportおよびHailStorm(.NET My Services)に対抗するための連合プロジェクトであり、インターネット環境での認証サービスのオープンな標準を定めようとするものだ。実のところ、プロジェクトは発足したばかりで、まだ正式な仕様も確定してはいないので、いつ何ができあがるか、という点に関してははっきりしたことは何も分からない。
一方で、MicrosoftのPassportに関しては、Windows XPの出荷開始もあり、着々と環境整備が進んでいる(Microsoftの「Passportに関するニュースリリース」)。この状況では、Liberty Alliance Projectそのものについて見ていくよりも、実はMicrosoftの動向に注目した方が、少なくとも「何に対抗しようとしているのか」については分かりやすい。
ただ、Microsoftにしても、Passportで何を目指しているのか、その全貌は必ずしも明らかになっているわけではない。キーワードとして「シングル・サインオン」といわれてはいるが、現状ではPassportで認証を行うだけでそのまま利用可能になるサイトがそう多くあるわけでもない。いずれにしても現時点では憶測混じりの可能性の問題となるので、ここでは筆者が個人的に想定するシナリオを書いてみたい。
Passportが夢見る世界
Passportが提供するのは、統一的なユーザー認証のメカニズムである。実際には、Microsoftが提供するPassportサーバで認証を受けたユーザーは、PassportをサポートするほかのWebサイトには改めて認証作業を行うことなく入っていくことができるようになる。イメージとしては、Microsoftから通行手形の発行を受け、それを持っていけば自由に出入りできる、という感じだろうか。現在でも、ユーザー登録を行い、IDとパスワードを入力してからアクセスする形式になっているWebサイトはそう珍しいことではない。単なる情報の閲覧に使われている場合もあれば、Webメールなど個別的なサービスの提供のために利用されている場合もある。Passportが普及すれば、このIDとパスワードをWebサイトごとにバラバラに管理する必要がなくなるので、ユーザーにとっては便利になる。もちろん、この環境でIDとパスワードが漏洩すると被害も大きくなるが、それはまた別の話だ。
このような、「アプリケーションごとにバラバラに管理しているユーザー認証を統合し、1回ログイン操作を行うだけで済むようにする」という発想自体はそう新しいものでもない。数年前にLDAP(Lightweight Directory Access Protocol:ディレクトリ・サービスへアクセスするための標準インターフェイス)サーバが注目を集めた際に、ディレクトリ・サーバのメリットの1つとして挙げられたのが、このシングル・サインオン機能である。
シングル・サインオンの実現は、ユーザーにとっては利便性につながる話であり、特にマイナスはないようにも思える。しかし、実際にはこれは「ユーザー・データベースの構築」という話であり、広範な個人情報収集にもつながる。つまり、問題はシングル・サインオンそのものではなく、個人情報を格納したデータベースができあがることにあるといえる。とはいえ、筆者はシングル・サインオン機能の提供自体が問題になる可能性も高いと考えている。
シングル・サインオンがインターネットの「関所」になる
ここからは筆者の憶測から生まれたシナリオなのだが、PassportとHailStormは、インターネットのサービスに対する「関所」として機能する可能性のある存在だと思う。HailStormは開発コード名で、正式には.NET My Servicesという名称になっているのだが、これは「MicrosoftによるWebサービスのサンプル実装であり、かつWebサービスのための“基本ライブラリ”である」といってよいだろう(マイクロソフトの「.NET My Servicesの紹介ページ」)。ここには、カレンダーやアドレス帳といった、PIM(Personal Information Manager)ソフトウェアが扱うような個人的な情報を格納し、ユーザーがWeb経由で利用できるようにする一方、Webサービスを提供するサービス・プロバイダからも利用できるようにする計画だ。例えば、旅行サイトで航空券を購入すると、フライトの日時がHailStormのmyCalendarに自動的に反映される、といった使い方ができるようになる。こうした統合も、もちろんユーザーにとっては便利なものだ。ただし、こうした形のサービス利用が普及していくと、気が付くと「インターネット上のあらゆるサービスの利用が、まずMicrosoftを経由してから」という図式ができあがることになるかもしれない。
注目すべき点として、MicrosoftはHailStormの利用に関して有料化する方針を明らかにしていることだ。ユーザーからも、ほかのサービス・プロバイダからも利用料を徴収する計画なのである。これがいくらくらいで、どのような手段で課金するか、という点も重要な問題なのだが、現状では明らかになっていないので、ここではおいておこう。とりあえず、「課金する」という1点だけでも、極めて重要な意味を持つと考えるからである。
HailStormがインターネットの小額課金モデルになる?
インターネット上でのサービス提供には、常に課金問題がつきまとっている。広告収入に依存した「無料モデル」は、ドットコム・バブルの崩壊や、その後の世界的な景気後退によってすでに崩壊したものといわれている。ただ、では有料化の方向に進むかというと、これも簡単ではない。いわゆるマイクロペイメント(小額課金)の問題である。オンラインでのサービス利用に対して現金のやりとりは馴染まないし、かといってクレジットカードで数十円程度の利用料金を徴収するのは手数料負担が馬鹿にならない。プリペイド・カード方式など、いくつかの電子決済手段も提案されたが、広く普及したものはなく、事実上すべて失敗したといって過言でない状況だ。ユーザーが気軽に料金を支払える適切な手段は、いまだに確立されていないのだ。
ここで、MicrosoftがPassportやHailStormの利用に課金するようになったらどうだろうか。これはごく基本的なサービスであるため、クレジットカードを使って毎月利用料金が引き落とされてもユーザーとしてはあまり抵抗がないかもしれない。そして、ほかのサービス・プロバイダのサービス利用料金の回収を、Microsoftが代行したらどうだろうか。つまりPassportを使って認証し、利用したWeb上のサービスに関しては、Microsoftが月々のPassportまたはHailStormの利用料金と合算してユーザーに請求するわけだ。これだと、複数のユーザーの利用料金を合算したうえで、Microsoftと各サービス・プロバイダ間の決済処理を行えば済むため、個々のユーザーごとに決済を行うよりも効率的だし、従来からのクレジットカード決済の仕組みを変更せずにそのまま有料サービスへ移行する道が開けることになる。このモデルは、NTTがダイヤルQ2で、NTTドコモがiモードですでに導入しており、成功している。つまり前例があり、成功する可能性の高いビジネス・モデルなわけだ。
現時点では、Microsoftは決済代行を行う、などという発表は公式にはしていない。したがって、上記のシナリオは筆者の個人的な考えに過ぎない。ただ、こうでもしない限り、Webサービスは上手くいかないだろうとも思う。オンラインで「サービス」をコンポーネント化して提供するというWebサービスの発想は、「サービスの利用課金をどう行うか」を考えることなしには立ち上がらないだろう。.NET構想でWebサービスを推進する一方で、PassportとHailStormに取り組むMicrosoftは、ビジネスという面においては極めて有能な企業であると改めて感心する、というのが正直な感想だ。その意味では、このシナリオの実現可能性はかなり高いのではないかと考えている。
自由はどこにあるのか?
さてPassportとHailStormを使い、インターネット上のサービスを利用するユーザーをその入り口のところで捕捉して課金する、というコンセプトが実現すると、インターネットが「Microsoftのためのサービス・ネットワーク」化することも考えられる。もちろん、インターネット上のWebサイトすべてを掌握することはあり得ないだろうが、ユーザーが料金を支払って利用するサイトの大半を押さえることに成功すれば、事実上インターネットを独占するのに等しい状況になるだろう。現時点ではまだ実現していないが、Passportに代わる選択肢が提供されなければ、主要な有料サイトの多くが、Passport/HailStormのサポートに踏み切ることになると思われる。この流れを変えられるかどうかは分からないにしても、少なくとも代替となる選択肢を提供しないことには始まらない。Liberty Alliance Projectが発足した背景には、そうした判断があったものと思われる。
昔習った知識でもう記憶も曖昧だが、米国独立戦争の発端となったのは、英国の高額の課税に反対して課税対象となった紅茶を海に投げ捨てる「ボストン茶会事件(Boston Tea Party)」だったと記憶している。ただ、独立戦争でLiberty Bellをシンボルとして戦った米国民も、当時と同じように一致団結してLiberty Alliance Projectに賛同するとは思えない。課税反対なら国民の共感も得やすいだろうが、Passport対Liberty Alliance Projectという構図だと、どちらに付くのが有利かは立場によって異なるからだ。有料化に踏み切りたくて悩んでいるWebサイト運営者やWebサービスの提供を考えるサービス・プロバイダにとっては、「どっちでもいいから早くデファクト・スタンダードとなってくれ」というのが本音ではないだろうか。
ただ、意図的な誘導かもしれないが、Microsoftのライセンス戦略などが「Microsoft税」などと表現されるのを見かけることが、最近増えてきたように思う。Passportで入り口をおさえて課金するのも、見方によってはMicrosoftによる「インターネット利用税」の徴収だともいえるだろう。さて、インターネットの世界で「Tea Party」は再現するだろうか。ユーザーにとっても無関心ではいられない重大な変革がまさに起ころうとしていると思うのだが。
関連リンク | |
Liberty Alliance Projectについて | |
Passportに関するニュースリリース | |
.NET My Servicesの紹介ページ |
「Opinion:渡邉利和」 |
渡邉 利和(わたなべ としかず)
PCにハマッた国文学科の学生というおよそ実務には不向きな人間が、「パソコン雑誌の編集者にならなれるかも」と考えて(株)アスキーに入社。約1年間技術支援部門に所属してハイレベルのUNIXハッカーの仕事ぶりを身近に見る機会を得た。その後月刊スーパーアスキーの創刊に参加。創刊3号目の1990年10月号でTCP/IPネットワークの特集を担当。UNIX、TCP/IP、そしてインターネットを興味のままに眺めているうちにここまで辿り着く。現在はフリーライターと称する失業者。(toshi-w@tt.rim.or.jp)
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