やり手ビジネスマン、ナヴィンがビジネス化
BitTorrent、立ち上がる商業P2Pネットワーク(後編)
2007/10/24
BitTorrentプロトコルはオープンなもので、さまざま人々やベンダによって異なるプラットフォーム向けに実装されている。中央管理サーバである「トラッカー」と呼ばれるWebサイトも、コーヘンや、企業としてのBitTorrent社の思惑とは無関係に立ち上がり、そのうち一部が海賊版コンテンツを大量に配布するようになった。全米のインターネットトラフィックの40%がBitTorrentによるものだという調査もある。P2Pコンテンツのトラフィックを制限するISPも多く、制限の妥当性を巡って議論も起こっている。いずれにしても、現在やり取りされているコンテンツが、ライセンス上問題のないコンテンツだけで占められるということはないだろう。
米国の音楽レーベル企業による業界団体「RIAA」(Recording Industry Association of America)や、映画関連の業界団体「MPAA」(Motion Picture Association of America)は海賊版コンテンツを流通させるトラッカーサイトに対して、多くの訴訟を起こした。Supernova.orgやTorrentSpy、LokiTorrentなど、いくつものトラッカーサイトが閉鎖に追い込まれた。Winnyと異なり、基本的にメタ情報を管理・配信するトラッカーサイトが存在するBitTorrentネットワークでは、違法コンテンツの配布元を抑えるのは容易だ。ピアには匿名性もない。
日本でWinMXやWinnyがそうであったように、欧米でも「P2P=海賊行為」というダークな印象が先行していたのは確かだが、ほかのP2Pソフトと異なり、BitTorrentはビジネス界から熱い注目を集めるようになる。
やり手ビジネスマンがBitTorrentをビジネス化
2004年のBitTorrent社創業時に共同創業者として加わった米ヤフー出身のアシュウィン・ナヴィン(Ashwin Navin)がビジネス戦略面での良きパートナーとなった。ナヴィンは2005年にハリウッドへ向かい、映画やテレビの制作会社と契約を取り付けた。ベンチャーキャピタリストから総額3500万ドル(約40億円)を調達することにも成功する。一部の隙もなくスーツを着こなし、自信に満ちた口調で滔々(とうとう)とビジネスモデルを開陳するナヴィンは、コーヘンとは好対照だ。ナヴィンは、ヤフーで企業戦略やM&Aを担当する以前は、ゴールドマン・サックスやメリル・リンチの投資担当アナリストとしてウォールストリートを闊歩していたエリートビジネスマンだ。
ナヴィンはシリコンバレーのあるアントレプレナーの言葉だが、と前置きして言う。「成功というのは、不可避にやってくる未来を、誰に目にも自明になる前につかむことだ。BitTorrentは、まさにそうした技術だ」。
風変わりな天才肌の発明家と優秀なビジネスマン。この2人の出会いがBitTorrent社のビジネスを軌道に乗せつつある。10月17日にはBitTorrentはさらに新たなCEOを迎えて陣容を固めたが、コーヘンは「ようやくCEOから卒業して、自分の得意なプロトコル設計に専念できる」と話している。
ナヴィンは、BitTorretを商業的に成功させるビジネスモデルを2つ考え出した。
1つは、Webブラウザベースで動画や音楽、ゲームなどのコンテンツをダウンロード購入、もしくは無償視聴できるWebサイトの運営だ。2007年2月に立ち上げた「BitTorrent Entertainment Network」には、20th Century Fox、Comedy Central、MTV、Paramount、Warner Brothersなどを含む40社が立ち上げ時点で参加し、9月末日時点で55社のメディア企業が、約1万タイトルの映画やテレビ番組を提供している。日系企業では角川ホールディングス傘下の角川ピクチャーズUSAが約60本の新旧の映画コンテンツを提供している。コンテンツにはDRM(デジタル著作権保護)が施されており、ダウンロード購入のほかにも割安なレンタル視聴が可能だ。
国内では9月に設立されたBitTorrent日本法人に対して、角川グループホールディングスが9億9000万円の出資を決めている。国内向けサービスも来年にはスタートする。「現在の日本市場でのP2Pに対する誤解は、2年前のアメリカにあったものと同じだ」(ナヴィン)と自信を見せる。コンテンツはDRMで保護されているうえに、サーバが持つコンテンツのハッシュ情報とダウンロードしたローカルPC上のコンテンツを照合するため、コンテンツが改ざんされたり、悪意のあるコードがP2Pネットワークに侵入することは考えづらい。
違法コンテンツをダウンロードする若者の多くは、コンテンツに対する対価を支払うのを拒んでいるというよりも、P2Pネットワークに利便性を感じて、録画機器やレンタルショップ代わりに使っているといわれる。そうであれば、正規コンテンツを配布するサイトの利用者が、いずれ違法コンテンツサイトの利用者の数をしのぐようになることはあるだろう。そこにBitTorrentの成算がある。
ナヴィンは、BitTorrentのアーキテクチャは日本市場でこそ生かされるという。なぜなら、日本ではFTTHなど広帯域ブロードバンドが普及していて、クライアント側のリソースが余っている反面、配信サーバ側の帯域当たりのコストやデータセンターのコストが高いからだ。
NASやルータ、STBにBitTorrentを統合
同社が考えたもう1つの戦略はBitTorrentのSDK(開発キット)を配布してサードパーティ製のデバイスやソリューションでBitTorrentプロトコルの利用を拡大することだ。BitTorrentはCPUやメモリリソースをあまり消費しないコンパクトな実装「μ Torrent」(マイクロトレント)を持つ米マイクロトレント社を2006年末に買収しており、より広く組み込み市場に参入しようとしている。
すでに国内でも2006年9月にプラネックスコミュニケーションズがBitTorrentを搭載した無線LANルータを発売しているが、アイ・オー・データ機器やバッファローといった家庭向けPC周辺機器ベンダも、NASにBitTorrentを搭載することを考えている。「テラバイト単位の大容量を埋めるコンテンツをどうするかと頭をひねっている。BitTorrentを搭載すればコンテンツのダウンロードをNAS単体で行えるようになり、メディアサーバと連携してテレビで楽しめるようになる」(アイ・オー・データ機器 説明担当者)。現在、NASという名称で販売されている機器も、ISPが配るハードディスク入りのセットトップボックスとなれば、ビデオ・オン・デマンド市場は拡大するだろう。NASとルータが統合されていれば、NAT越えの問題もなく設定が容易だ。一般消費者にも受け入れやすいだろう。ISPやコンテンツホルダーから見れば、重装備の配信サーバやコンテンツ・デリバリー・ネットワーク(CDN)が不要で参入しやすい。実際、TVチューナーやセットトップボックス製品を手がけるコヴェンティブはBitTorrent対応のSTBを試作。関西でFTTHサービスを提供する関西電力グループのケイ・オプティコムが導入を計画しているという。
B2B市場でもBitTorrentは注目されている。神奈川県・横浜市に本社を置くハイマックスは、企業の拠点間通信にP2Pを応用した「F-Orc」(Fission Orchestra)を開発。独自にBitTorrentプロトコルを実装し、現在映像ニュースの配信会社や企業内のeラーニングシステム市場への販売を進めている。法人ニーズをくみ取り、コンテンツの有効期限設定やVPN通信に対応。Webベースの配信管理コンソールや、ルータのポートフォワーディング設定を不要とする独自技術「NAT Traverse」も実装した。
BitTorrentのP2Pネットワークは、既存のCDNと競合し、CDNを不要にする面もあるように思われる。しかし、この点についてBitTorrentは「CDNを補完し共存できるもの」(ナヴィン)と説明している。10月9日に同社が発表した「BitTorrent DNA」は従来の配信インフラとP2Pのハイブリッドを実現する技術だ。新たに拡張されたプロトコルではストリーミング配信にも対応した。10月23日にはCDN事業最大手のJストリームとの提携を発表。「コンテンツ配信にはID管理や課金システムまでが必要で、両者は共存していく」(Jストリーム 説明担当者)という。
情報流通革命の旗手として発言力を増すコーヘン
米国でスタートしたBitTorrent Entertainment Networkで少し検索してみれば分かるが、まだメディア企業は“様子見”という感もぬぐえない。コンテンツ提供企業リストにはそうそうたるグローバル企業が名を連ねるが、最近のメジャーな映画の名前を入れても、なかなか出てこない。ダウンロードを北米ユーザーに限定したコンテンツも多い。「DVDの時代が終わるのは、もはや明らか。問題は終わるのかどうかではなく、いつ終わるかだ」というナヴィンの威勢のいい言葉とは裏腹に、コンテンツの取りそろえには、既存の流通システムへの影響を考えて及び腰になるメディア企業側の警戒感がにじむ。
そうしたメディア業界の警戒感を先回りして察したかのように、著作権保護に対してBitTorrent社は敏感だ。DRMによる保護やセキュリティへの配慮を何度も繰り返して強調する。DRMという技術そのものに異を唱える過激な反対論者からは「屈した」と評されることもあるが、彼らはメディア企業に受け入れられる現実路線を選択したのだ。
ただ興味深いのは、BitTorretの若い2人には、そうした現実主義路線と、本物のイノベーションへのパッションとが同居しているように見えることだ。多くの技術者がそうであるように、もともとコーヘンもナヴィンもDRMの反対論者として知られていた。
コーヘンはDRMは過渡期の技術でWindows Media PlayerのDRMは頭痛の種だといい、ナヴィンは英ガーディアン誌のインタビューに応えて「次のステップはDRMフリーの世界だ」と言い切っている。DRMの代わりに、配信時に電子透かしの技術などでユーザー識別情報を入れ、誰が再配布したかが後から分かるような仕組みで海賊行為を抑制するようなアイデアがあるという。
今ではおくびにも出さないことだが、BitTorrent社は2005年、中央管理サーバを不要とした“トラッカーレス”版のBitTorrentをリリースした過去がある。これは流通するコンテンツのインデックスとなるハッシュテーブルをP2Pの分散ネットワークで共有する仕組みを取り入れたもので、Winnyに近い技術だ。
コーヘンは今年春に行われたカンファレンス、VON New Video Summitで講演し、既存のメディアや放送局は全部なくなり、最終的にはすべてIPに置き換わるのだという主張をして物議を醸した。IPとP2Pによる情報流通革命の旗手としての本音が抑えきれず漏れ出たのだろうが、メディア企業とパートナーシップを組もうという同社の戦略からすれば、あまりにも迂闊な発言だ。
かといって、彼らが語る中長期なビジョンによって、現在のメディア企業とのパートナーシップが壊れるようなことは、これまでのところない。日本ではBitTorrentは知名度も低いのでピンと来ないが、コーヘンは米国ではすでにP2Pを象徴するアイコンとなり、大きな発言力を持てる地点にまで来ているのだろう。日本や米国において、向こう2、3年でBitTorrentが成功裏にP2P配信ビジネスを立ち上げることができるのかは見物だ。しかし本当の見物は、彼らが既存の枠組みから逸脱してイノベートしていくことになる、その先の未来にあるのではないだろうか。
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