エンタープライズ市場に浸透するか
Google Appsは常に「バージョン・ベスト」、米グーグル副社長
2009/11/05
コンシューマ向けサービスでは押しも押されもせぬ存在となった感のあるグーグルだが、エンタープライズ市場では、オラクル、マイクロソフト、IBMなど大手ベンダに及ばない。そもそも、クラウド・コンピューティングやSaaS自体が、まだ企業ユーザーの間では普及段階にさしかかったかどうかだ。グーグルにとってエンタープライズ市場の展望は明るいのか。グーグルで製品管理担当副社長を務めるブラッドリー・ホロウィッツ氏に話を聞いた。
――2007年2月に企業向けサービス「Google Apps Premier Edition」を出して2年になります。現状の普及はいかがですか?
ホロウィッツ氏 エンタープライズ事業は全世界で非常に好調です。現在、200万以上の企業にサインアップいただいています。不況の影響もあるかもしれませんが、オンプレミス型で企業内でITリソースを管理していくよりも、グーグルに委ねたほうがより効率的で安価だという見方に傾いているのだと思います。
――クラウドは必ずしも安くないという批判もあります。
ホロウィッツ氏 ええ、クラウドはそれほど安くないという意見は公平だと思います。なぜならクラウドというのは定義があいまいだからです。グーグルのクラウドもあれば、別の会社の異なる概念を指す場合もあります。多くの企業がクラウドという言葉を使うようにもなってもいます。
しかし、グーグルのクラウドは非常に安いのです。プレミア版では年間1ユーザー当たり50ドルしかかかりません。これに25GBのメールボックス、Googleドキュメント、Google Sites、Google Talkなど、すべて含まれます。企業内でどのようなITシステムを運用・管理しているかにもよりますが、サーバやIT管理者、それからネットワーク帯域、それにもちろんソフトウェアのライセンスなどを入れて考えると、グーグルのサービスを使うことで、だいたい2分の1から3分の1のコストで済みます。それに、Google Appsは単に安いだけではなく、より多くの機能を提供しているので簡単に比較はできないと思います。
――Gmailは障害が多いようですが、この点を企業ユーザーにどう説明されますか?
ホロウィッツ氏 まず第一に指摘させていただきたいのは、従来のオンプレミス型のソフトウェアが、頻繁にシステムダウンなどの障害を引き起こしていたという事実です。こうした障害はニュースにならないだけです。今日も東京のあちこちで、システムダウンのためにメールが読めない人が大勢いるはずです。
グーグルは顕微鏡の下で観察されているようなもので、これはわれわれにとって大きなチャレンジです。インターネットの性質上、グーグルに障害が起これば、国際的なニュースとして取り上げられ、非常に目立ちます。
われわれのサービスは顕微鏡の下にある、それがわれわれの置かれた状況だと理解していますが、さらに透明性を上げるよう取り組んでいます。ダッシュボードを用意して、いずれかのシステムが停止していればユーザーに分かるようにしていますし、いつ障害が復旧するかの見通しも公表しています。
今のところアップタイムは99.9%ですが、これはほとんどの私企業のIT管理部門よりもいい運用成績だと思います。それに、まだこれが限界ではなく、データセンターのアーキテクチャも改変に取り組み、99.99%を目指しています。
――安定性よりも新機能の実装を優先しているということはありませんか?
ホロウィッツ氏 新機能も何も加えず、ただじっとしていてシステムを安定させるようなことをわれわれはしませんし、だからといって安定性に注意を払わずに新機能を実装することもすべきだと考えていません。バランスが必要です。非常に速いペースでイノベーションを続ける方法を模索しています。例えば、Gmail Labsなどはいい例ですが、ユーザーにリスクを承知してもらった上で実験的な機能を提供しています。新機能の提供と安定性の向上は同時に実現できると考えています。
――Google Apps Scriptは興味深い取り組みだと思いますが、中長期的なプランと位置付けを教えてください。
ホロウィッツ氏 Google Apps Scriptは、われわれにとって非常に興味深いプロダクトです。Webの世界全体をスクリプティング可能な、豊かなものにするポテンシャルを持っています。これは強力なコンセプトで、最終的にはわれわれの戦略上、重要な柱となってくるでしょう。
ただ、まだ初期段階なので、その可能性の大きさに気付いている人は少ないと思います。これはグーグルではよくあるやり方ですが、何かを大々的にアナウンスするよりも、ごく限られた数の開発者に公開して、われわれ自身も一緒になってさまざまな試みから学んでいくという方法を取ります。Google Apps Scriptもそうです。
―― Google Apps Scriptは基本的にJavaScriptとライブラリ集ということですよね。それとも何か変更を加えるのですか?
ホロウィッツ氏 違うのは、オブジェクトをコントロールするためのオブジェクトモデルですね。例えば、Google Spreadsheetsにメソッドが紐付いているとしたら、それはJavaScriptから呼ぶことができます。セルの内容を読んだり、セルに書いたりといったことです。
さらにサードパーティーのWebサイトでも、このようなメソッドを公開可能です。例えばeBayのサービスを呼び出して、オークション価格を読み取り、スプレッドシートに現在価格を書き込むということができるようになるでしょう。そうなれば、Web全体がプログラミング可能なオブジェクトの巨大な集合になり、相互に作用し合うことができるようになります。
ただ、繰り返しますが、まだGoogle Apps Scriptは早期段階です。確かに興味深いプロダクトですが、これが本当に正しいモデルかどうか検証していくところだと言うだけに止めておいて、まだ大げさなお約束をしたくはないところですけれども。
――あなたはヤフー在籍中にYahoo Pipesという素晴らしいプロダクトを作りました。私は今でもRSSフィードのフィルタリングに使っていて、便利だと思っていますが、こうしたGUI開発環境をGoogle Appsにも持ち込むということを考えたことはありますか?
ホロウィッツ氏 ええ(笑)。Yahoo PipesのようなGUIは美しいものです。同時に非常に難しいものでもあります。もう1度同じものを作るのが難しい製品ですね。
ただ、私にはグラフィカルな開発環境に本当に価値があるのかどうか、よく分かりません。なぜならほとんどのプログラマは、GUIより直接コードを扱うほうを好みますし、逆にエンドユーザーの多くにとっては、有用なパイプを作るにはYahoo Pipesでも十分に洗練されているとは言えません。パイプ処理の背後にあるコンセプトの理解も難しいでしょう。
ですから、グラフィカルなパイプビルダーに潜在的な“スイートスポット”があるのかどうか、ちょっと私には分かりかねるのです。エンドユーザーにとっては「パイプって何?」という感じでしょうしね(笑)。だから難しいプロダクトですね。非常にエレガントなのですけれども。
日本企業はむしろクラウドに強い関心
――日本企業はクラウド採用に消極的と言われます。
ホロウィッツ氏 それは日本企業に限った話ではありません。むしろ日本ではクラウドに対して強い関心があると思います。今回のわれわれのイベントチケットは売り切れで、立ち見が出たセッションもあります。大阪に衛星中継もしています。非常に強い関心をお寄せいただいています。正確なデータはありませんが、人口当たりで比較すると、米国よりも日本のほうがクラウドコンピューティングに強い関心があると言って良いと思います。これから来年にかけて、この強い関心が実際のビジネスに結びついていくと考えています。
――日本企業のGoogle Apps採用事例は?
ユニチャーム、ガリバー、TOTOなどがあります。Google Appsは社員10人のスタートアップだけではなく、大企業での採用も進んでいるのです。
――企業は外部にデータを移すことを敬遠しているという議論があります。
セキュリティの問題や情報漏えいが一切起こらない神秘のパラダイスと比べてみれば、確かにクラウドは完璧ではありません。しかし、われわれはもっと現実を見なければいけません。企業が購入するノートPCのうち10台に1台は1年以内に紛失しているという統計データがあります。同様に、USBドライブ所有者の66%が紛失経験があり、このうち60%以上のドライブに企業の内部情報が含まれているというのです。企業が持つ60%のデータは何も保護のない状態でデスクトップPCやノートPCに保存されています。
つまり、われわれが現在住んでいる世界というのは、もともと完璧からはほど遠いものなのです。ですから、「クラウドコンピューティングは完璧か」と問うのではなく、個々のIT資産のセキュリティに気を配っている現在のモデルに比べて、クラウドコンピューティングにはメリットがあるだろうか、と問うべきです。
毎晩、企業のデータが入った物理的なデバイスとともに人々がビルから出て行くのに比べて、クラウドコンピューティングにメリットがあるでしょうか? 私には答えは明白に思えます。クラウドのほうがずっとセキュアなのです。
――エンタープライズ市場、特に日本ではインテグレーション・ビジネスが重要になると思いますが、この点で取り組みの方針を教えてください。
ホロウィッツ氏 クラウド移行によってゼロからやり直す必要がないように、レガシーシステムからの移行ツールやサービスを多く提供しています。SharePoint、Outlook、BlackBerry、こうした環境やツールから移行、もしくは相互運用できるように、あらゆるツールと統合を進めてきました。
安定したAPIを提供することも重要です。インテグレータや企業内の開発者は、こうしたAPIを使って、グーグルからデータを引き出したり、逆にアップロードしたりできます。
エコシステムも重要です。例えばLotus Notesのデータをグーグルのクラウドに移行するツールを、あるインテグレータが作ったとしたら、そのツールはきっと、特定顧客だけにとってメリットがあるものではないはずです。それはサービスとして再販可能なはずです。“マーケットプレイス”などの場所を含むエコシステムを作っていくことになると思います。
――それはiPhoneやAndroidのApp Storeのようなものですか?
ええ、今日明日にApp Storeのようなものを発表するという話ではありませんが、それが中長期的なビジョンです。成功しているソフトウェアプラットフォームというのは、そういうマーケットを推奨しているものです。インテグレータがビジネスを作り、育てることができる場所です。
Google Appsのバージョンは「100万.0」
――非常にばかげた質問です。SaaSではバージョン番号がありませんが、あえてGoogle Appsの現在のバージョンに番号を付けるとすると、バージョンいくつでしょうか?
ホロウィッツ氏 バージョンは100万.0ですね(笑)
これはクラウドの最大の利点の1つです。大量の新機能を準備して、一気にリリースするということが不要です。リリース後には苦痛を伴うアップグレードが待っています。1000台のデスクトップがあったらどうでしょう? 互換性をどうするか、といった問題も悩ましいところです。
われわれは何かサービスに変更を加えたら、修正であれ、機能追加であれ、品質テストが終われば、すぐにサービスに反映させ、すべてのユーザーが利益を得るのです。バージョン番号がいくつかという質問に答えづらくなるという問題はありますが(笑)、われわれのサービスは常に「バージョン・ベスト」なのです。全員が常に最良のものを使っています。
――バージョンを戻すよう要望する声はありませんか?
ホロウィッツ氏 いつでも新しいほうがベターなので、それはありません。誰も「バージョン・ワース」に戻りたくありませんよね。
しかし、ご質問の意味は分かります。確かに、変更に対して否定的な人たちというのは常にいます。その変更がいいものであれ、悪いものであれ、です。
しかし、変更に否定的なユーザーというのはごく少数派です。こんにちのユーザーの多くは、ソフトウェアというものは生きていて進化するものだと理解しています。Facebookも変わり続けていますし、Twitterもそうです。私だけ以前のバージョンのTwitterに戻るということはできないのです。
――しかし、Facebookが何か変更を加えると、たくさん苦情が聞こえてきます。前のほうが良かったのに、と。
ホロウィッツ氏 ヤフーでFlickrを運営しているときに学んだ重要な教訓があります。変更しようが変更しまいが、ユーザーというのは不平をいい、声高に叫ぶものです。変更が小さくても大きくても、何かを黒にしても白にしても。ある少数の割合の人々は、何を変えても苛立つのです。ですから、どういう声に耳を傾けるかというフィルターを自分自身の中に持たなければいけません。この点、Facebookは非常に素晴らしい仕事をしていると思います。彼らは何か間違ったことをしたと思ったら、臆することなく「やっちゃいました」と間違いを認めて元のバージョンに戻すか、違った方法を探るかしています。
何事でもそうですが、バランスが重要です。気まぐれなユーザーの大きな声に流されてしまうのでもなく、ユーザーの声を無視して重要な問題に気付く機会を逃してしまうのでもなく、この2つの間でバランスを取ることです。
グーグル内部では「ユーザーの声に耳を傾ける」という考えが絶対的に支配しています。ユーザーの声を聞けば、後は自然と付いてくるというのがわれわれのマントラの1つなのです。しかし一方で、すべてのユーザーを100%満足させるプロダクトなど見たことがありません。これはベストなプロダクトで最大多数のユーザーを満足させるという最適化の問題なのです。
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