シリコンバレー発、Webスタートアップの肖像(2)
本当に解決すべき問題は何か? ZumoDrive創業者に聞いた
2011/06/29
Dropbox共同創業者のアンドリュー・ヒューストン氏は天才肌のエンジニアで、その才能こそが競合がひしめくクラウド・ストレージ市場にあっても、Dropboxを成功へと導いたように見える(参考記事:なぜY Combinatorだけ特別? Dropbox創業者に聞いた)。コンシューマ向けのオンライン・ストレージサービスがどうあるべきか、その設計・実装は難しく、ユーザー体験まで含めた“正解”は誰にも分からなかったし、今でも分からない。ヒューストン氏は、実名Q&Aサイトの「Quora」で、初期のDropboxサービスの設計について振り返り、Dropboxのシンプルな設計は制約の中から生まれたもので、後にそれが正解だったと分かったものだと述懐している(リンク)。
Dropboxは2008年9月に最初のサービスをリリースしているが、その5カ月後には、同じY Combinatorから、もう1つ別のオンラインストレージサービス「ZumoDrive」が登場している。ZumoDriveは、Dropboxとは異なるアプローチでこの問題に取り組んだ。ZumoDriveのたどった道のりをたどると、シリコバレー界隈で最近「リーン・スタートアップ」(lean startup)」呼ばれる種類のスタートアップ(もしくは方法論)の実例という印象を受ける。
ZumoDriveはリーン・スタートアップの成功例と言えそうだが、まず、リーン・スタートアップについて説明しよう。
リーン・スタートアップとは?
Webスタートアップの領域でリーン・スタートアップという用語を最初に使ったのは、CTOとして創業経験のあるエンジニアで、スタートアップ関連ブログやイベントでの講演、著作で活躍するエリック・リース氏だ。2008年9月のブログで、「リーン」とは低燃費という意味だと書いている。オープンソースやアジャイル開発、クラウドなどのツール・方法論を利用することで、低予算で経済的にプロダクトの開発を進められる。アジャイル開発とは、2週間程度の短いサイクルで、途中経過であっても実際に動くものを見ながら開発を進めるスタイルだ。アジャイル開発の対極にあるのは、半年や1年といったプロジェクト期間で「要求、仕様、分析、設計、実装、検査、運用」とフェーズに分けて完成品を作る「ウォーターフォール型」だ。
シリコンバレーに10年以上住むリース氏は、自分自身や周囲が失敗するのを何度も目にし、成功する会社と、失敗する会社の違いは何かと考えた末、リーン・スタートアップという方法論に至ったという(インタビュー動画、講演動画)。
誰も使わないものを6カ月かけて作っても意味がない
リース氏がCTOとして参加したスタートアップは、その当時流行していた3Dアバターを使ってメッセンジャー(IM)が使えるというアイデアを実現しようとしていたが、6カ月かけて作ったプロダクトは全くヒットせず、誰もダウンロードしなかったという。3Dアバター付きIMには市場がなかったのだ。12種類の異なるIMに対応するために書いた何千行ものコードが全て無意味となったことに気付いたとき、何も12種類のIMに対応する必要はなかったのではないかという疑問を感じたという。6種でも良かったし、3種でも良かった……。
ちょっと待てよ、と、さらに思考実験を進めたリース氏はゾッとしたという。
もしも最初からソフトウェアを一切作らずに、ただスクリーンショットを載せたWebページを1つ用意して、「ダウンロードしたいですか」と聞いていたら、それだけでも「3Dアバター付きIMなんて誰も欲しがらない」ということが学べたのではないか。どのバグを優先して潰すべきか議論した何カ月ものCTOとしての時間と、デザイナが3時間でできる仕事に違いがあるのか?
リース氏は、ソフトウェアのスタートアップにとって重要なのは、いつまでにどんな機能を実装してリリースするかという“マイルストーン”の達成でも、それをスケジュール通りに行うことでもないという。どんな機能がユーザーに受け入れられて、どれが受け入れられないかを学ぶための“ラーニング・マイルストーン”を短期間に数多く繰り返すことだ、と指摘している。どういう優先順位でどの機能を実装するべきかを議論しているよりも、全部実装してしまって実験したほうが早いし、科学的なアプローチでもあり得るとまでいう。
「これはイノベーションのプロセス自体に、再製造プロセスを適用するということです。基本的な考え方は、何か新しい技術を実装する前に、実際の顧客とともに、安く、素早くアイデアを試してみて、そこから学ぶためのフィードバックを得るというものです。継続的にアイデアを試す。アイデアの失敗がその会社の失敗である必要なんかないんですよ」(リース氏)
あるアイデアがうまくいかないと分かったときに、やり方を変えることを、リース氏は“ピボット”(pivot:旋回)と呼んでいる。Y Combinatorのスタートアップにも、ピボットを2度、3度と経験して始めて離陸した会社が少なくない。
ZumoDriveも、そんな1つだ。
ZumoDriveが目指したもう1つの“正解”
ZumoDriveを提供するZectorは、元々オンラインでバージョン管理が可能な文書保存スペースを提供する「Versionate」というサービスを2007年1月から提供していた。これはWordやPDF、Photoshopなどのファイルでありながら、ブラウザ上でWikiに近い操作性を提供するオンラインのWebサービスだった。しかし、その後、Zectorはオンラインストレージ市場へ軸足をシフトする。
Zector創業者のデイビッド・ザオ氏は、Zectorを立ち上げたころを振り返って、こう話す。
「元々私はアマゾンでKindleのような電子書籍、音楽、ビデオなどデジタル系のプロダクトのチームにエンジニアとして参加していました。ジェフ・ベゾスCEOはビジョナリーですね。ソニーのようなほかの企業が音楽をインプットするデバイスを作っていたときに、“なあ、コンテンツを配布するには無線が必要じゃない?”ってね。そう見抜いていましたよ。そうすれば、ケーブルをつないだりせずに、どこでも使えるよねって。プロトタイプを前にして、ジェフ・ベゾスCEOが、いや、これじゃダメだ、こんなのは出荷できないと言っていたのを良く覚えていますね」
「2、3年ほどチームにいましたが、もう新しいことを何も学んでいないなと思って、高校時代からの友だちで、当時マイクロソフトに勤めていたケビンを共同創業者として誘って起業しました。2人ともシアトルにいました。2人で何をやるかは決めていませんでした。われわれにあったのは、Word文書を扱うWikiのようなものとか、いくつかのアイデアだけです」
「結局、Google DocsのようなWebアプリを3カ月間で2度作りました。このときには非常に多くのことを学びましたね」
2人がY Combinatorに申し込んだのは、その後のことだったという。
「2007年にY Combinatorに加わるためにシアトルからシリコンバレーに引っ越してきて、7月の半ばにはプロダクトをローンチしました。ローンチしてすぐに、製品自体はイケてると思ったものの、これがコンシューマ市場で大成功するようなものではないと気付きました。われわれは企業の情報システム部門を相手にするビジネスをしたくはなかったんです。そういうのは2人とも好きじゃないんです」
仮想ドライブとしてオンライン・ストレージを提供
Versionateは、オンラインの共同文書編集ツールとしては優れていたものの、企業ユーザー向けとしてニッチ市場を狙うアプリケーションでしかなかった。なぜなら、使い始めてもらうためには、対象となるユーザーを先に説得する必要があったからだ。
「使ってもらわないと始まらない。このとき、より本質的な問題は、どうやってユーザーに文書ファイルをWebに持っていってもらうのか、というところだと気付いたんです」
ZumoDriveにとって、これが1つ目のピボットとなった。
「この問題を最も手っ取り早く解決する方法は、仮想ドライブを使うことだと気付きました。ハードディスクやUSBのドライブの使い方なら誰でも知ってるでしょ?」
こうして、“ZドライブとしてOSにマウントするオンライン・ストレージ”というZumoDriveが生まれた。ZumoDriveのクライアント・ソフトウェアをインストールすると、Windows/Mac/Linuxのいずれでも、オンラインのストレージが外付けドライブのように認識される。オンライン上のファイルの管理や複数バージョンの管理は、Versionateの開発の蓄積が活かせた。
ところが、さらに別の気付きがやってくる。一般のコンシューマにとって、オンラインで管理すべき文書などというものは存在しないということだ。それは大多数の個人ユーザーにとって大きな問題でなかったのだ。
「徐々にZumoDriveはコンテンツやメディアの方向へ進化したんです。人々にとって何が大切なのかを考えた結果、それは、自分の音楽や写真、ビデオを、どの端末でも、どこにいても視聴できることだということに気付いたんです」
ZumoDriveはリリース当初から写真アルバム機能や音楽再生機能が充実していた。ZumoDriveにフォルダを作って写真を放り込んでおけば、Webサイトからアルバムのように開くことができた。
個人向けのオンライン・ストレージの用途としては、バックアップもあるが、それは目指さなかったという。
「オンライン・バックアップに需要があることは理解しています。それは価値があることでしょう。ただ、われわれはバックアップよりも、もっと現実的な問題にフォーカスしたかったんです」
オンライン・ストレージにはバックアップやビジネス文書共有などさまざまなニーズがあり得るが、Zectorはフォーカスを絞ることを選んだという。
「この選択は意図的です。まず第一に、あらゆることを全部やろうとしたら、その全てについて中途半端になってしまいます。もう1つ問題なのは、コンシューマに伝わるメッセージです」
「人々は、あなたのプロダクトやサービスのことを10個の異なる理由で知ってくれたりはしません。グーグルと言えば“検索”です。メールもあるかもしれませんし、地図もあるかもしれません。でも、そんなもんですよね。グーグルと聞いて開発者向けのオンランストレージのことなんて、ふつうは考えませんよね。グーグルは巨大でファンも大勢います。それでも、うまくやれることの数は、いくつぐらいでしょうか」
「企業ってどこもそうですよね。アマゾンもそうで、アマゾンが何をやってるかというと、オンラインで人々に商品を届けているんですよ。Eコマース。今はいろいろとやっていて、AWSもありますが、それでも数としては多くありません。われわれも“これだ”という1つのことで広く知られるようになりたいんです。ほかのことは、後になってからでもできますしね」
解くべき問題領域を探し続ける
オンラインのビジネス文書共同編集→個人ファイルのクラウド化→個人のメディアファイル、と、解決する問題領域をずらしていったZectorだが、2009年の段階では、まだZumoDriveは難しい問題を抱えていた。
1つは、クラウドが便利だといっても、ストレージ単価が安くないこと。もう1つは、人によっては100GBを超えることもあるメディアライブラリを、クラウドにアップロードするのは時間がかかりすぎて現実的でないという点だ。
そこでZectorは2010年の7月に、“パーソナル・クラウド”として「ZumoCast」をリリースした。家庭内にあるPCやNAS上のメディアファイルを、クラウド経由でiPhoneやiPadにストリーミングするというアイデアだ。これならストレージ容量は十分に大きく、アップロードの手間もない。また、動画であれば、iPhoneやiPadで視聴する場合、画面サイズに合わせてPC上でオンザフライでトランスコードするため、事前にiPhone向けに動画を変換するといった手間もない。
「ZumoCastでカギとなるのは、ルータの存在などをユーザーに意識させることなく、きちんと動くということです。ソフトウェアのバージョンやルータの設定など、ユーザーに考えさせてはいけないんです」
実際にZumoCastを使ってみると、アップロードの手間なしに、iPhoneやiPadからライブラリにアクセスできて便利だ。PCの電源を切ってしまうと利用できないことや、トランスコード時にCPU負荷が非常に高くなるなど、「これで全て解決だ」というほど万人向けという感じではないが、クラウドに全部をアップロードするのをためらうほどのライブラリを持っているユーザーには優れたサービスだ。
Motorola Mobilityによる買収で成功
ZumoDriveとZumoCastを提供するZectorは、記者がザオ氏にインタビューした半年後の2010年12月に、モトローラの100%子会社でモバイル部門が独立したMotrola Mobilityに買収された。当初2人で始めたスタートアップは15人を超え、2007年6月のY Combinatorによる1万5000ドルの投資に続いて、2007年11月、2009年12月には、それぞれ100万ドル、150万ドルと投資を受けて走り続けた。この間、「そもそも解くべき問題とは何か」と考えながら、少しずつ問題領域を変えていった。同時に、ネットブックの流行やiPhoneをはじめとするモバイル・デバイスの興隆を背景に、モバイル向けアプリも次々と提供して、オンライン・ストレージ市場における有力プレイヤーとしてのポジションを確立した。
Motorolla MobilityによるZector買収の条件は明らかにされていないが、ザオ氏自身の言葉によれば、
「私も共同創業者も、われわれに投資してくれた人々も、みんな十分経済的に報われました。大金持ちになったとは言えませんが、収入のことを心配せずに好きなことを続けられるだけの経済的な自由は手に入れました」
ということだ。買収後にはチームを取り巻く環境はいろいろと変わってしまったものの、今もザオ氏はZumoDriveやZumoCastといったソフトウェア・サービスに取り組んでいるという。
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