Webスタートアップの肖像(3)シリコンバレー

Y Combinatorに見るスタートアップ成功の秘訣、“ピボット”とは?

2011/07/12

ycfront.jpg シリコンバレーにあるY Combinatorのオフィス入り口

 米シリコンバレーの有力ベンチャーキャピタル、Y Combinatorが出資するスタートアップには、創業時には小さくても、後に大きく成功するものが少なくない。評価額の落差が大きいことから、外部から見ていると、そうした成功の多くが一夜にして起こったように見える。

 しかし実際には、当初のプロダクト(アイデア)に市場がないことが分かって路線を変更したり、全く違うアイデアに取り組むことも少なくない。そうした路線変更を“ピボット”と呼ぶ。最近は、このピボットをどれだけ素早く、数多く行えるかが、スタートアップ成功の秘訣の1つとまで言われるようになっている。

 前回の記事で紹介したオンライン・ストレージのZumoDriveは、Motorola Mobilityに買収されるまでの間に、少なくとも3度はピボットを経験している。

 Y Combinatorから出資を受けたAirBnBとPicwingもまた、ピボットを経て成功したスタートアップだ。

評価額10億ドルのモンスター級も、黎明期は苦汁

 AirBnBは、ユーザー間で空き部屋や空いているベッドの貸し借りを行う個人間の宿泊斡旋サービスだ(参考記事:ネットで部屋を貸し借りして“人間らしい旅”を)。2011年5月末に評価額が10億ドル(約800億円)となり、1億ドル(約80億円)以上の追加投資を受けたと報道された。今でこそモンスター級の成功を収めつつあるが、AirBnBは当初は閑古鳥が鳴く、寂しいサービスだった。

airbnbweb.png 現在のAirBnB(http://www.airbnb.com/)

 AirBnB共同創業者のブライアン・チェスキー氏は、創業後1000日間の大部分は、サービスが鳴かず飛ばずで先行きが見えず、無力に感じる時期が続いたという(動画へのリンク)。実験的なサイト立ち上げで注目を集め、自信を得た共同創業者の2人は、そのアイデアと可能性に興奮しながらAirBnBをオープンした。

 しかし、サービスローンチ直後、AirBnBに登録したユーザーはわずか3人だけだった。

 個人の部屋を貸し借りして泊まるというAirBnBのアイデアに眉をひそめる人は多かった。ベンチャーキャピタルの多くもAirBnBを相手にしなかった。

 AirBnBは、米国でよくある政治、アート、IT関連イベントなどで市場があるように思われた。こうしたイベントでは非常に多くの人が短期間に一都市に集まるため、ホテルのキャパが足りなくなるからだ。そこで、AirBnBは“カンファレンスのためのAirBnB”と位置付けて、サービスを再びローンチした。

airbnb01.png 創業時の自分たちの経験を振り返りつつ、Y Combinatorの卒業生として、それを若き創業者たちに向かって講演で話すブライアン・チェスキー氏

 チェスキー氏は2008年のオバマ大統領のキャンペーンをチャンスと捉えたという。アメリカのある地方都市で開催されたキャンペーン会場のキャパは8万人。一方、その都市のホテルのキャパは全部足しても2万しかない。このときに、ブロガーを中心にAirBnBの存在をアピールすることで、すぐにメディアもAirBnBの存在を取り上げるようになり話題となった。これで800人が部屋を登録したという。

 小さな成功だった。しかし、それでもAirBnBは全く立ち上がる気配すらない。毎日イベントがあるわけではないからだ。

 この頃、チェスキー氏らは一種のジョークとして、オバマ大統領をキャラクターにあしらったシリアルをデザインした。“ベッド&ブレックファースト”を名乗る以上、ゲストに朝食を出さないといけないからと、特製のシリアルを作ってホストに配った。「どうせほかにやることはないし、トラフィックもなかったし、楽しかったからね」と振り返る。

 当時話題だった米国大統領選のオバマ対マケインに合わせて、オバマやマケインのイラストをあしらったパッケージのシリアルを作り、テーマ曲まで用意した。このシリアルは意外なほどに反響を呼び、後にCNNやMSNBCまでもがこのシリアルのことを取り上げたという。

airbnb02.png AirBnBがある時期、ジョークとして作っていた特製シリアル

ラーメン代稼ぎと、AirBnBの転換点

 笑い話のようだが、AirBnBの2人は、近所のスーパーでシリアルを大量に買い込んだという。特製シリアルは売れて、チェスキー氏個人のクレジットカード4枚で合計2万ドルにもなろうとしていた借金は払えたが、肝心のAirBnBのサービスは全然伸びない。食べるものもない。2、3カ月ほどは、売れ残ったマケイン議員のほうのシリアルを食べて暮らしたという。

 Y Combinatorには“ラーメン代稼ぎ”(ramen profitable)という言葉がある。クラウドやオープンソースの普及によって、Webスタートアップに必要なコストは下がる一方だ。極端な話、創業者が食べていけるだけの稼ぎ、つまりラーメン代さえ稼げれば、サービスを続けられる。起業は失敗だったといって撤退することなく、プロダクトの改善(ピボット)を続けることが可能だということだ。

 AirBnBは、まさにラーメン代稼ぎの典型例だ。シリアルを食べてしのいでいた時期に、1つの転機が訪れる。

 ニューヨークの1人のミュージシャンが、ツアー中にアパートの自室を全て貸し出すというアイテムをAirBnBに登録した。これがAirBnBのビジネスを根底から変えてしまったのだという。

 「彼が登録する以前は、(貸し手である)ホストは家にいなければいけないというルールがあったんですよ。そうじゃないと朝ごはんが出せませんからねぇ……」(チェスキー氏)

 AirBnBは名称に“ベッド&ブレックファースト”とあるように、朝食を出すこと、つまりホストが家にいることが前提だった。ところが、ニューヨークのミュージシャンの1件で、実はそうでない物件登録のニーズが多くあるということに気付いたのだという。

 AirBnBの当初のアイデアは、主にベッドや部屋の貸し借りだったが、“あらゆるスペースの貸し借り”へとビジネスモデルを転換した。イギリスのお城を1つをまるまるごと一夜2000ドルで結婚式などのために貸し出すという物件や、客船を貸し出す登録、エスキモーのイグルー(かまくら)のような特殊なものまであるという。

 AirBnB成功の要因は、ほかにもいくつか考えられそうだ。ただ、「部屋の貸し借りの仲介サービスWebスタートアップ」が、3年後に「10億ドルの評価額」というニュースになるまでの間に、サービスが立ち上がる気配がない時期が長く続いたことは間違いない。

写真プリントサービス「Picwing」のピボット

 もう1つ、Y Combinator卒業組で、成功したピボットの例と言えるのが「Picwing」だ。Picwingは、一風変わった写真共有サービスだ。

 PicwingのWebサイトに行けばアルバム機能はあるが、コメントや共有ボタンなどソーシャル機能はない。代わりに、あらかじめ設定しておいた住所へと、毎月2回、アップロード済み写真を自動でプリントアウトして郵送してくれる。PCやモバイル向けのアプリで写真をドラッグ&ドロップするか、特定のメールアドレスへ写真を添付して送るだけで、確実に「実家の母」や「遠く離れた場所に住む家族」の元へ、プリント写真を送ることができる。

 6.95ドル(565円)の標準コースなら、月に2回、それぞれ15枚までの写真を1カ所に送ってくれる。枚数や頻度、送り先に指定する住所の数によって料金は変わる。例えば月2回、送付先が3カ所なら16.95ドル(1377円)だ。

 Picwingの共同創業者で、事実上1人で運営していたエドワード・キム氏に話を聞いた。

picwingweb.png 写真のプリント・郵送サービス「Picwing」

WiFiデジタル・フォトフレームで創業

 「2008年の夏に創業したんですが、当初、実はLinuxベースのWiFiデジタル・フォトフレームを作っていました。それが最初の製品ですね。これを買って祖父母にプレゼントすれば、後はWebサイトに写真をアップロードしたりメールで送ったりすることで、写真を送れるというアイデアです」

 「ただ、これは難しかったですね。そもそも、おばあちゃんの家にはWiFi環境がないというのが大きな問題でした」

 Picwingが創業した2008年は経済環境が悪く、出資をなかなか募れず、苦労したという。

 「非常につらい時期でしたね。フォトフレームは売れないし、出資も得られない……。われわれはガレージでフォトフレームを1つ1つ手作りしていたんです。ええ、本物のスタートアップですよね(笑)」

 「そんなある日、フォトフレームの組み立て中にドリルが手から滑り落ちたんです。腕に大きな穴が開いてしまい、私は救急病院に運ばれて何針も縫いました。このとき、もうフォトフレームは駄目だと悟ったんです」

drill.jpg ドリルを使った作業中の事故で腕に開けてしまった穴の傷跡を見せてくれたPicwing創業者のエドワード・キム氏

 WiFi接続のフォトフレーム・ガジェットには市場がないこと、今のままのアプローチでは何の問題も解決できないと悟ったキム氏は、デジタル写真プリントをやろうと決めたという。

 「代わりに実際のプリント写真を送るようにサービスを変更したんです。おじいちゃんやおばあちゃんは、やっぱり手に持ったり冷蔵庫に貼っておける紙の写真のほうがデジタル写真より好きなんですよ」

mail.jpg Picwingはデジタルデータの写真をプリントして定期的に設定した住所へと郵送してくれる

 現在Picwingが想定している利用者層は、小さな子どものいる若い夫婦だという。自分たちはネットもデバイスも使いこなせるものの、親の世代は紙の写真を送ってほしいと思っているようなケースだ。送る側は、今さら紙の写真は面倒だと感じている。プリンタの設定は手間だし、定期的にプリントと郵送の作業をするのはもっと面倒だ。一方、受け取る側は、孫の写真の郵送を忘れがちな子ども夫婦にいつも怒っている、というのがPicwingの利用がマッチする構図だ。

 送る側はケータイやスマフォで写真を撮るだけで、後はPicwingが写真をプリントして送付してくれる。デスクトップアプリやiPhone/Androidアプリも用意した。

 「送る側は写真を選択したり、プリント写真の裏に印字する文字をWebやメールで入力できます」

 少し驚くのは、Picwingが完全にソフトウェアだけの会社だということだ。Picwingがプリント・郵送サービスを外注しているEzPrintという企業についてキム氏は、「たぶん、どこかアメリカの中部に拠点があると思いますが詳しくは知りません。まあそれは問題じゃないですよね」と場所すら知らない。サーバについても、VPSのサーバが1台とAmazonのストレージを使っているだけという。写真共有サービスと違い、Webサイト自体にはほとんどトラフィックもないのでサーバは1台で十分という。

 「オンラインの写真共有サービスは、今後もどんどん大きくなると思います。それでもプリント写真がなくなることはないでしょう、20年後にも紙の写真はあると思いますよ」

 「デジタルデータをiPadなどに転送するサービスに対して、課金なんてできませんよね。せいぜいアプリの購入時だけで、月額では払ってくれません。でも、物理的に触れられる写真だとユーザーは料金を払ってくれやすいんです。今まで親に送っていた孫の写真を止めるのは罪悪感があるからだと思いますが、Picwingはキャンセル率も低いんです」

 写真プリントは原価が安いため、Picwingの利益率は6割を超えるという。オンラインの写真共有サービスの多くがフリーミアムモデルで苦戦する一方、非デジタル世代とデジタル世代を結ぶ堅実なビジネスでPicwingは売り上げを伸ばしている。2011年7月現在、未発表ながら、すでにある企業への事業売却が決まっているという。現在、キム氏はWebブラウザ経由でAndroid端末が操作できる「HandsetCloud.com」を立ち上げて、2度目の起業に挑戦中だ。Android向けアプリのテストのための有料サービスで、ネット経由で多種のAndroidの実機を操作することができる。料金は1時間12ドル、3時間30ドル、20時間で140ドルなどとなっている。

 キム氏は、自身がPicwingで経験した方針転換と、Y Combinatorの周囲の創業者たちのことを振り返り、こう語る。「ピボットという概念はすごく大事です。2度、3度とピボットを経験して初めて成功するスタートアップが多いですし、むしろ、オリジナルのアイデアに留まるスタートアップ企業というのはまれでしょうね」。

 Y Combinatorが投資するスタートアップの成功率(大幅な黒字化、もしくは買収)は高い。CloudKick、Picwing、ZumoDriveなど記者がインタビューしたスタートアップのいくつかも、インタビュー後の1年の間に買収された。そうした成功の背後には、さまざまな形でのピボットがあるようだ。

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(@IT 西村賢)

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