[Analysis]
エンジニアは英語を学ぶべきか
2009/07/22
ある日、情報処理推進機構(IPA)関連の方とミーティングをしていた時に「いまどき、成功を願う優秀なソフトウェアエンジニアなら米国に行かないとダメでしょう」という発言を聞いた。大手通信会社出身で、ソフトウェア関連団体の長などの経歴を持つ方なのだが、正直、分かっていないなと思った。
大多数のエンジニアは英語が苦手
英語圏である米国がソフトウェア産業の主要拠点であることは事実である。人材の層は厚く、新しいトレンドの多くは米国発であり、市場としての規模も大きい。人材、市場と環境が整っているために、投資家も資金を提供しやすい。ソフトウェア企業の起業には最適の環境である。
筆者はIPAの「未踏ソフトウェア創造事業」などで、何人もの優秀な日本人エンジニアと接してきたが、コミュニケーション手段としての英語に違和感を持たない人は一握りだった。極めて優秀なエンジニアだが、英語は苦手という人がほとんどなのだ。私自身の学生時代を振り返ってみると、問題を解くのが楽しい数学に比べ、スーザンがどうしたとか意味のない文章を無理矢理読まされる英語は苦痛だった。おそらく「英語が苦手」とは理系に進む人に共通の傾向ではないだろうか。理系が多い日本のエンジニアが英語を得意としないのはむしろ自然なのだ。
それで冒頭の方の発言に従うと、英語が苦手で米国に行く予定もないエンジニアには成功の可能性はないのだろうか? あるいは、エンジニアは英語の勉強にいそしんで米国への旅支度をするべきなのだろうか?
ソフトウェアのスキルとは
ソフトウェアとは、その言葉通り、変更の容易な「ソフト」を作成、修正することにより、柔軟に機能を提供できる仕組みのことである。私見だが、ソフトウェアエンジニアにとって最も重要なスキルは「ソフトウェアで解ける課題の発見能力」であると思う。
課題を解く手段としてはRDB、Web系スクリプティング、通信インフラなどがあるのだが、これらは結局、手段に過ぎない。実のところ、課題がすでに「ソフトウェア技術」として知識に還元されている段階では、それほど大きな付加価値を生まない。
最も大きな付加価値は、いままでITが適用されていなかったような領域にITを適用することだ。それにより初めて大幅な生産性や使い勝手の向上を達成し「えっこんなことできるの!?」という驚きをユーザーに与えられるのである。Webや携帯電話が重要なのも、これらの技術が高度だからではなく、よりITスキルの低い大多数の人たちに、ソフトウェアを活用した直接のサービスを届けられるからである。
そして、ITが適用されていない未踏の領域にITを適用する際に重要となるのが、対象となる適用領域をよく知ること、ITリテラシーの低い人たちから彼らの業務やIT化に必要なヒント、そして操作などで感じる困難を聞き取ることである。
エリートコミュニティの罠
さて、冒頭の発言は、英語で行われる国際標準化団体の会合にしばしば参加する人材とともに長年働いてきたことにより、我が国のソフトウェアエンジニアの大多数は英語が苦手であるという事実が見えなくなっているためになされたものなのだろう。しかし、この発言から推測されるさらに重要なこととは、サービスに、そしてよりエンドユーザーに近接しつつあるソフトウェアのトレンドが、この発言者には見えていないということである。
ソフトウェアがサービス化するならば、よりIT化の進度が遅い環境、よりエンドユーザーに近い現場の方が有利であり成功する確率が高い。ソフトウェアに関しても、外資系パッケージベンダの多くは成功を収めたが、サービス系では進出に苦慮している会社が多いのも事実だ。これはエンドユーザーに近い現場への認識不足だろう。ご存じのようにパッケージの時代はすでに終わりつつあるのだ。
また、華々しく日本に進出する外資系企業も、創業メンバーと話をしてみると、地道な苦労や初期ユーザーからの罵倒など、初期の細やかな調整過程を経て初めてビジネスとして成熟していったことが分かる。その際に重要なのはチーム内外のコミュニケーションなのだ。
こうしたディテールは、米国での成功事例や、完成品からはなかなか見えてこない。このため卓越したIT技術や華々しいギーク、巧妙なビジネスモデルのみを成功要因のように考え、米国という「先進的なコミュニティ」に加わることが重要であると考えてしまうわけだ。事実は、「ITのコミュニティから出て、IT化されていない荒野に踏み出す」なのだが。
英語は学ぶべきか
結論として言えば、すでに英語が堪能で、柔軟なコミュニケーション能力として使えるのであれば米国に行ってソフトウェアの仕事をすることはよい選択肢となる。しかし成熟したエンジニアにとっては、いまさら英語を学んで米国に行くより、IT化の低い国内サービスの現場の人たちの視点からビジネスの種を探すことこそ、エンジニアとして成功する秘訣であると思われる。その際に用いられる技術は高度ではないほどよい。そうした領域は、国内のいたるところに残されている。
一方、新しく社会に出た新人諸君。君たちは別だ。目的ではなく手段としての英語力は鍛えておいて損はない。例えば筆者と同じように、小規模な段階の外資系企業に入れば、理系でも否応なくビジネス英語のスキルが身につく。仕事で使わざるを得ないからだ。同じように、英語しか存在しない最新の技術文書は怠けずに読むべきだ。いまや、Webで幅広い海外の文献を参照できるし、ポッドキャストでリスニングを鍛えることもできる。国内でほかの人が習得していない技術と知識で、ITに弱い人たちと戦う。有利な戦いをしたいのであれば若いときに苦労をする、その価値はあるだろう。
(日本ソフトウェア投資 代表取締役社長 酒井裕司)
[著者略歴]
「大学在学中よりCADアプリケーションを作成し、ロータス株式会社にて 1-2-3/Windows、ノーツなどの国際開発マネージメントを担当。その後、ベンチャー投資分野に転身し、JAFCO、イグナイトジャパンジェネラルパートナーとして国内、米国での投資活動に従事。現在は日本ソフトウェア投資代表取締役社長
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