[Analysis]
W3Cは賞味期限切れ組織?
2010/01/19
「W3Cの賞味期限はあと何年ぐらいだと思いますか?」。先日、あるパーティーでこう聞かれた。私は虚を衝かれたように、思わず真意を聞き返した。なぜなら、私にこの質問をしたのは、日本人として唯一、W3CのXMLワーキンググループで1997〜98年のXML 1.0の標準化プロセスに携わった村田真氏だったからだ。村田氏は現在、Office Open XML(主にMicrosoft Officeで用いられる文書形式)の標準化についても情報処理学会 情報規格調査会の専門委員として国際標準化に携わっているなど、この道のエキスパートだ。
驚きはしたが、やはりとも思った。W3Cはもう標準化組織としての黄金期を過ぎ、権威が失われつつある。もしかすると標準化プロセスにしても、もっと良い別のやり方があるのではないか。このところずっとそう感じていたからだ。
W3Cのウィジェット標準を知っていますか?
村田氏の見立てでは、もしW3Cがウィジェットの標準化で失敗したら、W3Cの賞味期限切れは誰の目にも明らかになるだろうというものだった。そして私には、2009年12月に勧告候補案(Candidate Recommendation)が出た「Widget Packaging and Configuration」は、採用や普及という点で失敗しそうに見える。@IT読者のみなさんにお聞きしたいが、W3Cがウィジェットの標準規格を策定していたことをご存知の方はどのぐらいいるだろうか?
デスクトップ画面やWebブラウザのスタート画面、あるいはスマートフォンの待ち受け画面に、小さなウィンドウを区切ってリアルタイムに更新される情報を表示する。こうしたウィジェットという技術概念自体は、今後も重要であり続けると思うし、さまざまに形を変えてわれわれの生活(われわれを取り巻くディスプレイ)に入ってくることになると思う。しかし、そのとき使われているのが「W3Cの標準」であるようには思えないのだ。
ウィジェットはかなり古くからあるアイデアだが、“プラットフォーム”としてサードパーティにも参加を呼びかけ、そのことによって一般に広まったのはWindows Vista以降だろう。Yahoo! Widgets、Google Desktop、Dashboard(Mac OS X)、Screenlets(Linux)、iGoogle、Opera Widgetsなど、デスクトップ向け、Webブラウザ向けのウィジェット・プラットフォームは数多い。これだけ増えれば標準化によって開発者にもユーザーにもメリットが大きいことは自明だし、そのとき利用する要素技術はWeb標準のものとしたW3Cのウィジェット案は正しいと思う。W3Cのウィジェット案はXMLによる設定ファイルや、スクリプト、画像などをディレクトリに保存して、zipで1つに圧縮するというシンプルでごく標準的なアプローチを取っている。
市場ニーズを汲み、キャッチアップできているか?
しかし、W3Cのウィジェット案にはどうも説得力がない。なぜだろうか。
1つは、W3Cのウィジェット案がやっと勧告候補という段階であるにも関わらず、すでにデスクトップ向けウィジェットというアイデアが時代遅れに見えることだ。もちろん、WindowsでもMacでも(ついでに言えばUbuntuのようなLinuxでも)、まだウィジェットを使っているユーザーは少なくないと思う。ただ、いずれもOS標準で添付されているから使っているのであって、わざわざYahoo!やOperaのものをダウンロードするかというと疑問だ。ウィジェットがWeb標準の技術を使うのなら、Webブラウザでいいじゃないかと考えるのは自然だし、そう進化していくのではないかと思う。むしろ注目すべきは、MozillaのJetPackとGoogle Chromeのextensionの交わるあたりではないだろうか。
マイクロソフトにせよ、アップルにせよ、デスクトップ向けとして今さら後方互換性を壊すやり方でW3Cの標準を採用するようにも思えない。それを望むユーザーの声も大きいように思えない。
一方Web向けウィジェットやブログパーツを見てみると、さまざまな規格が乱立している上に、OpenSocialに代表されるように、単純なウィジェットよりもソーシャル・アプリケーション・ホスティングのほうに技術革新の重心が移りつつあるように見える。
どっちにしてもW3Cは遅きに失した感がある。W3Cにおけるウィジェットの標準化は2006年に始まっているが、3年も経っていまだに仕様が決まらないスピード感のなさもそうだが、本当に市場の動きやニーズを汲み取れているのだろうかという疑問を感じる。
W3Cは、CSSやRDFといった重要な標準化を行っている一方で、近年はXLink、OWL、GRDDL、SMIL、P3P、SPARQL、VoiceXMLなどほとんど使われていない規格を出して「ハズレ」が増えている。一方で、RESTやOpenID、OAuth、JSON、ATOM、Canvasなどホットな標準技術が、必要性を感じた現場のエンジニアたちからどんどん生まれて、普及している。そうした技術はフォーマルな組織ではなくコミュニティベースで開発され、発展している。
W3Cと微妙な距離を置くHTML5
W3Cの権威は墜ちた。もはや大企業の代表やアカデミックな少数の専門家が年単位で仕様を決める時代は終わったのかもしれない。私が特にそう感じるようになったのはHTML5の策定プロセスを見るようになってからだ。
そもそも、HTML5が登場した背景には、W3Cが現実のニーズにそぐわない“ビジョン”の元にXHTML2の開発を目指していたことがある。ビジョンは大まかにWeb全体のXML化と、セマンティックWebの実現だ。いずれも2000年前後には一般紙にも取り上げられ、Webを発明したティム・バーナーズ=リー氏が取り組む次世代のインターネットということになっていた。
一方、そうしたバーナーズ=リー氏のビジョンとは無関係に、現実のWebは途方もない速度で進化し、HTMLやJavaScriptには大小さまざまな使いづらさが出てきていた。こうした現場のニーズを汲みとって、現場のWebブラウザベンダの開発者たちが草の根的に始めた活動がWHAT WG(Web Hypertext Application Technology Working Group)だった。
それは後にHTML5と改名され、2007年にはW3C側にもHTMLワーキンググループが誕生した。この辺りの事情をOpera Softwareの創業者で現CEOのヨン・ フォン・テッツナー氏は、2008年末の@ITのインタビューでこう語っている。
「われわれOperaとアップル、Mozillaが、どこか隅っこのほうに集まって合意するだけではなく、HTML5という標準技術をすべての人々にサポートしてほしいと考えたからです。われわれがWHAT WGというグループを作ったのは、その当時W3Cが新しいWeb標準策定に向けて前進していなかったからです。だからわれわれはW3Cの外で開発、策定を行い、それをW3Cに持っていったのです。彼らはそれまでXHTMLの開発をやっていましたが、われわれの提案を受けてHTML5の開発を再開しました」
WHAT WG(ブラウザベンダ)がW3CにHTML5を持ち込んだ理由は明らかだ。W3CこそがHTMLを所有する唯一絶対の組織であることに異を唱える人は少ないと思われたからだ。例えば、2007年1月の時点でマイクロソフトでIE開発チームに在籍するクリス・ウィルソン氏は、こう述べている。
「はっきりさせておきたいのですが、“HTML 5”という仕様の呼び方とは対照的に、私の個人的見解では、HTMLはWHAT-WGの手にあるのではなく、またそうであったためしもありません。それはW3Cに帰属するものなのです」
ウィルソン氏は、それまで数年のWHAT WGの活動を望ましいものだとして、だからこそ新たにW3CでHTML WGでHTML 4.01を進化させようじゃないかと呼びかけていた。
W3Cはハンコをつくだけの組織か?
HTML5の開発は、W3Cとの合意ののちも、相変わらずWHAT WGのメンバーのリーダーシップのもとに進められている。この1月にも仕様を5つに分離するなど開発は活発だ。こうした様子から、W3CはWHAT WGから出てきた仕様案に権威付けのハンコをつくだけの“Stamp Organization”に成り下がったのではないか、という印象を私は受けている。
WHAT WGでも、W3CのHTMLワーキンググループでも中心的役割を果たしているイアン・ヒクソン氏は2008年11月時点で、「HTML5は伝統的なW3Cのアプローチは取らないし、今後も自分がエディターであるうちは、合意形成というやり方は絶対に取らない」と発言している。何百人もの参加者がいるW3CのHTML WGのようなプロジェクトでは、こうしたやり方では何ひとつ達成できないし、ロバストな仕様は作れないとしている。
私はもうW3CがHTMLを所有していると言えない地点にまで来てしまったように感じている。
決定的だったのは、2つの出来事だ。
1つは2009年7月にW3CがXHTML2の取り組みをやめて、HTML5に注力すると発表したことだ。バーナーズ=リー氏は2006年10月の時点で、Web全体をXMLに移行するとしたビジョンには無理があったと認め、HTMLに再注力することを言明していた。しかし、まさか本家であるW3CがHTMLのXML化の本流と思われたXHTML2の開発を断念する日がこれほど早く来るとは予想していなかった。XMLベースのHTMLの策定は続けるものの、HTML5こそが本流であると認めたというのは、私には“実務家の勝利”に思えた。
もう1つ、W3Cの権威失墜が明らかだと感じた出来事は、WHAT WGがW3Cの頭越しにHTML5のラスト・コールを発表したことだ。
WHAT WGのイアン・ヒクソン氏は2009年10月27日、同グループのメーリングリスト上でHTML5および関連仕様の「Web Workers」、「Microdata Vocabularies」などを最終草案(Last Call)とすると宣言し、関係者の間で物議を醸した。W3CのHTML WGのエディターも務めているヒクソン氏は注意深く、これはWHAT WGの最終草案であって、W3Cのものではないと釘をさしてはいた。とはいえ、この突然の「ラスト・コール」はW3Cの顔に泥を塗るようなもので、W3Cの関係者は激怒したという。
ここで私の目を引いたのは、こうした一連の出来事に対して、よほどHTML5の動向を注視している人を除いて、誰も気にしていないことだった。W3CがHTML公布の役割を奪われたとして、それで何か困るかと言えば、誰も困らないような気もする。Firefox、Chrome、Safari、Operaと動く実装があって互換性もそれなりに保たれている。それはオープンな議論で決めた仕様なのだから、大事なのは規格がフィックスすることであって、どの組織がハンコをつくかではないのではないか。
もともとインターネットはそうだった?
イアン・ヒクソン氏は、W3Cのやり方は取らないとする説明に続けて、こうも述べている。HTML5の仕様には、コンセンサスが得られたものしか入っていないという。
「大方の賛同を得られていないもので、今後決定されるようなものは、1つも把握していないし、実装はスペックの進化を追いかけている(すなわち、ラフ・コンセンサスと動くコードがあるということ)」
WHAT WGがW3Cに対して新しいやり方を押し付けているというよりも、W3Cのほうがインターネット的なやり方から乖離(かいり)してしまったのではないだろうか。動くコードがあって、多様なプレイヤーのニーズを取り入れながら漸進的に仕様を進化させていく。これはインターネットが成功した原理そのものではなかっただろうか。OSIモデルよりTCP/IP、X.400よりもSMTP、というように。極論すると、実装で競争して、動くもの、より使いやすいものが選ばれて、それを後から抽象化することで標準化するほうがインターネット的なのではないか?
イアン・ヒクソン氏は、規格策定の参加者たちが合意に達することに重きを置きすぎるW3Cの意思決定ポリシーは古く、考え直すべきだなどと指摘するメールの中で、以下のように説明している。合意のための数百人がかりの投票をするのではなく、まず代表者であるエディターがスペックを作ってみて、これに対するコメントを募る。加えて、あらゆる掲示板やブログ、各種実装のリバースエンジニアリング、開発者の声を参考にして、エディターがより多くの関係者が満足するようスペックを修正する。仕様に対して言いたいことがあれば、それが客観的で妥当な議論である限り、誰の声にでも耳を傾ける。どうしてもスペック修正で解決できない大きな反対意見があるときだけはグループ全体で投票を行う。
このプロセスを繰り返すことで仕様を作り上げていくのだ、という。実装も、このイテレーションに追従することで、実際にそれが使い物になるかどうかが分かる。むしろ、実装の実験が先行するケースすら散見する。試してみないと分からないとでも言わんばかりに。
上記のプロセスは、ヒクソン氏がHTML WGのエディターになる前に、「こういう前提条件であればW3CのHTML WGエディターとなって良い」として述べたものだが、その立場は今も変わっていない。HTML5の議論ではW3Cのワーキンググループのメーリングリストを使ってはいるが、従来のW3Cとは異なったアプローチを採用していることがうかがえる。
かつて、W3Cから何か新しい仕様のバージョンアップがあれば、一斉にニュースのヘッドラインを飾るという時代があった。今は違う。W3CはHTML5コミュニティを異質なワーキンググループとしてホストしているが、実はもうW3Cの方こそ賞味期限が切れてしまっているのではないだろうか? 少数の大手ベンダの代表者やアカデミシャンによる投票より、現場のエンジニアや利用者の声を反映した仕様、理論家より実務家、理論より使いやすい実装、理屈より実験・経験による議論、投票より緩やかな合意形成――。このコモン・ロー的なアプローチこそインターネットの本質だったとすれば、W3Cは少し立て直しが必要なのかもしれない。読者のみなさんは、どう思うだろうか?
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