じじくさいこと言うなよ! 学生たち:古川享氏×外村仁氏 対談
5月26日、教育とテクノロジーの祭典「Edu×Tech Fes 2013」が開催された。その中から、古川享氏と外村仁氏による対談をレポートする。
5月26日、教育とテクノロジーの祭典「Edu×Tech Fes 2013」が開催された。今年のテーマは、「×(クロス)」。「人と人とのかけ算から、どのような相乗効果が生まれるのか」という切り口から日本のIT教育の未来を探った。その中から今回は、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科(以下、KMD)教授 古川享氏と、Evernote Japan 会長/First Compass Group ジェネラルパートナー 外村仁氏による対談をレポートする。古川氏は大きなレンズのカメラを片手に、外村氏はGoogle Glassをかけて登場した。
古川氏は言う。「自分は、60歳手前。現役として活躍できる残りの時間は、10年だろう。本気を出せば、あと2つくらい面白いことはできる。しかし、自分の子どもや学生にキーワードを渡したら、10個面白いことができるかもしれない。だから、今日この場に来ている」――。
「なぜプログラミングを始めたのか?」「母親の喜ぶ顔が見たかったから」
1つ目の議題は、ICT/プログラミング教育について。古川氏は、これからのIT教育について次のように語った。「プログラミングはアプローチの1つ。プログラミングを目的にスキルを磨くのではなく、感性を磨くためにプログラミングを使う。プログラミングを目的化するのではなく、それを使ってどのようなことを実現したいのかを思い描くことこそ重要だ。もっと楽しいものを見たいのか、それとも家族に優しくしてあげたいのか。そういうことを、プログラミングを使って実現する」(古川氏)。
一方、外村氏は「うちの子が10年後にいきいきと働き、楽しく暮すためにはこれからどんな教育が必要なのだろうか?」と会場に問いかけた。「若いうちからプログラミング教育をすることは、コーディングを上手くさせるためではない。例えば、昔のプログラミングは『三角形の面積を答えなさい』のような演習的なものだった。しかし、今僕らが必要としているのは、そういうものではない。今の時代、演習ははっきり言っていらない。プログラミングは計算機ではない」(外村氏)。
外村氏は続ける。「昔なら、困っている人がいれば励ましの手紙を書いた。しかし、今はプログラミングによってソリューションとして応援の気持ちを渡すことができるかもしれない。『誰かが困っていたら助けたい』『何かを作って喜んでもらいたい』そういうサイクルを生み出すツールなのだ」(同氏)。
以前、ビル・ゲイツ氏に「なぜプログラミングを始めたのか」「なぜパソコンなんて作ろうと思ったのか」と尋ねた人がいたそうだ。そのとき、彼はこう答えたという。――「自分の母親の喜んでいる顔が見たかった」。
「あなたはデザインする人で、わたしはデザインしない人」ではない
続いての議題は、「デザイン」。外村氏は、デザインについて「これまでは、『あなたはデザインする人、わたしはデザインしない人』と、別の人がやる専門的なことという価値観だった。なぜなら、昔『デザイナー』と呼ばれていた人たちは、絵を描く人や何か形を作る人だったから。しかし、今の『デザイナー』は違う。デザインを専門に勉強した経験の有無にかかわらず、皆がデザイナーなのだ。デザインの勉強というのは、絵心の話ではない。職業が営業であっても開発であっても、皆がデザイナーなのだ」と述べた。
古川氏も、外村氏と同様の見解をみせる。「社会の中で、もし自分自身が問題を発見したら、それをどうやって解決するかという発想がすでにデザインだ。だから、社長さんも、エンジニアも、お父さんも、お母さんも、常にデザインを意識しなければならない。『よりよい生活や人間関係、社会を作るためにはどうあるべきか』を考えることが、デザインの根源。『デザイン』と聞くと、きれいなものや形のいいものを想像するかもしれない。あるいは、外見を作ることだけにエネルギーを注ぐ人もいるかもしれない。しかし、今世界で求められている『デザインセンス』とは、例えば『ブランドがガタガタに崩れ、営業利益が下降してしまっている会社をどう立て直すか』を考え実行する力。色や形ではない。『あなたは何を欲しているんですか』ということをしっかりと聞き取り、どういうものを作るのが美しいのか、もしくはどんな優しいものなのかを思い描くこと。外見ではなく、もっと人間の心の底にあるようなものを指している」(古川氏)。
「そんなこと考えるなんて、バカじゃないか!」と怒鳴るビル・ゲイツ氏が謝った瞬間
3つ目は、「自分をアピールして人を説得する力」について。古川氏には、常に学生に言い聞かせていることがあると言う。「たくさんのことを覚える必要はない。必要なのは、会いたかった人とエレベータでたまたま乗り合わせたときに、口説く力。例えば、エレベータに乗っている時間はだいたい45秒から90秒。この間に相手を口説く。これは、短時間で自分を理解してもらったり、何かを交渉をするといったレベルの話ではない。『この人間にすごく興味を感じた』『時間を作るからもっとその話を聴かせてくれないか』と言わせるような、人間としての牽引力・吸引力だ」(古川氏)。しかし、日本ではこれが下手な学生が多いと言う。なぜか。
古川氏によると、アメリカでは教育に「Show and tell」がさかんに取り入れられているようだ。幼稚園に入ると、いきなりプレゼンの授業がある。「プレゼンの授業」と聞いて私たちは真っ先に「え! スライドを使うの?」と思い浮かべるだろう。しかし、そうではない。幼稚園の先生は、「一番好きなおもちゃを持ってらっしゃい」と言う。――「一番好きなおもちゃを持ってらっしゃい。そのおもちゃについて、みんなに説明してください。誰がプレゼントしてくれて、その人のことをどれくらいあなたが愛しているのかを語ってください」。
すると、子どもたちは、そのおもちゃがどんなに面白いものかを語り始める。そして、ストーリーを作る。ストーリーの結末は人それぞれ。「何とか親を説得して買ってもらおうよ!」というストーリーにする子もいれば、「このおもちゃ、すごく面白いんだよ! だから一緒に遊ばない?」とストーリーを作る子もいる。こうして、力を付けていく。一方、日本の場合はどうか。第一声に、「学校に、おもちゃを持ってきてはいけない」と言われる。規則にがんじがらめにされて、そこで終わりだ。
幼少期から「Show and tell」を学んできた人は、「自分自身」をアピールするのではなく、「自分自身がどんなに素晴らしい人間関係を作っているか」をアピールするようになるという。ビル・ゲイツ氏やスティーブ・ジョブズ氏も、実はそうだ。「自己主張がすごい人」「勢いでしゃべる人」「相手の説得に長けている人」と勘違いされがちだが、実は「傾聴能力」が並外れて高いのだと古川氏は言う。
例えば、こんなエピソードがある。会議で古川氏が話をしていると、ビル・ゲイツ氏は「そんなことを考えるなんて、バカじゃないか! 誰もそんなものは必要としていない!」とものすごい勢いで怒鳴ったそうだ。部屋は一気に凍りつきシーンとなった。しかし、古川氏は自己主張を続けた。すると、ビル・ゲイツ氏は「そうかもしれない」と思い直したという。皆の前で「悪かった。俺が言い過ぎたと思う。お前のほうが正しい」と、謝ったそうだ。さらに彼のすごいところは、謝って終わりではなかったことだ。ビル・ゲイツ氏は続けて、こう言った。「お前が言っていることの方が正しい。だから、この先はお前がやれ。お前が、実施しろ」――そう言うと、お金も人も、すべてのリソースを古川氏に引き渡した。
親の“しごと”は「トライして失敗したことを、ほめる」こと
4つ目のテーマは「親のしごと」。外村氏は、「2つの視点でほめてあげることだ」と言う。1つは人と違うことをしたとき、もう1つはトライして失敗したときである。これは、子どもに限らず、同僚でも夫婦でも同じことが言える。
「親は、もっと子どもをほめるべき。特に、人と違うことをしたときは、重点的にほめる。他の人が気付かなかったことに気が付いたときには、『よくそれに気が付いたね』と言ってあげる。それだけで、人は自信をもって前へ進める。また、親として、評価の軸を変えていく必要もある。今までは学校の成績やいい大学、大企業に入ることが評価軸だったかもしれない。その軸が悪いとは言わないが、少し違う軸でも評価してあげる。例えば、『失敗をほめる』というよりは、極端に言えば『失敗したことがないならだめよ!』くらいに、トライして失敗したことを評価してあげる」(外村氏)。
古川氏も同じく、失敗の重要性を語った。「スタンフォード大学やカリフォルニア大学バークレー校、海外のベンチャーキャピタルなどに学生がプレゼンをしに行くと、プレゼンの中身はそっちのけで、まず必ず『あなたは人生でどういう失敗をしたことがありますか?』と聞かれる。そのとき、『私は順風満帆で、失敗なんてしたことなんてありません』と答えたらそこで終了。『出口はあちら。どうぞ、お帰りください』となる。失敗から何を学んだのかを引き出して、初めてその人のキャラクターやプレゼンの中身が分かる。どういう経験を積んで、これから先どういうジャンプができて、もし失敗したらどうやって立ち直るのか。それを見極めている」(古川氏)。
先生の新しい“しごと”と“価値”
学校の教育現場も変化している。「『先生から何かを教えてもらい、教えてもらったことを吸収する』というスタイルはもう古い。先生と生徒の関係は、もはや『情報を一方的に送り出す人と、情報を一方的に受ける人』の関係ではない。学生から大きく学ぶことだってたくさんある。だから、年齢に関係なく、お互いに存在を認め合えばいい。KMDの学生は、私のことを『Samさん』と呼ぶ。私は○○先生や○○教授と呼ばれたら振り向かない。私も学生のことを男女かかわらず『○○さん』と呼ぶようにしている。それは、お互いの存在を認め合うという意味を込めてのことだ。先輩や教師というものは、学生が何かをやるために必要な資源として存在する。あなたの成功を、皆、助けたいと思っている。だから、やる前から『それって難しいんじゃないですかね』と心配をするな。自分のリソースとして教師を使えばいい。批評家のふりをして、じじくさいこと言うなよ! 学生たち」(古川氏)。
終わりに、筆者がKMDに在学中、Samさんから一番最初にもらった言葉を記す。――「教授を踏み台だと思え。踏み台にして、飛び上がれ!」
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