若手が知らないメインフレームと銀行系システムの歴史&基礎知識:FinTech時代、銀行系システムはどうあるべきか(1)(1/2 ページ)
本連載では、銀行系システムについて、その要件や歴史を整理しつつ、スマートフォンを使う銀行取引やブロックチェーンなど、新しい技術が及ぼす影響を考察していきます。初回は、メインフレームと銀行系システムの歴史と基礎知識についてです。
「Finance(金融)」と「Technology(技術)」を足した造語である「FinTech」。その旗印の下、IT技術によって金融に関わるさまざまな業務や処理を利便化し、ビジネスの拡大を図る動きが国内金融業界から大きな注目を浴びています。特に金融業界の中心である“銀行”が運用するシステムについては話題に事欠きません。
例えば、ブロックチェーンによって銀行の勘定系システムが変わるという話があれば、2016年10月から日本でも利用可能になるApple Payなど「決済」技術の革新によって、決済のコストが急速に低下し、その主導権は銀行から企業に移るという意見もあります(参考)。
若いITエンジニアを中心に「レガシーで古臭いメインフレームのみで動いている」「コボラーの吹きだまり」とネガティブなイメージを持たれることが多い銀行のシステムは、新しい技術によって、今後どうなっていくのでしょうか。
本連載「FinTech時代、銀行系システムはどうあるべきか」では、銀行系システムについて、その要件や歴史を整理しつつ、スマートフォンを使う銀行取引やブロックチェーンなど、新しい技術が及ぼす影響を考察していきます。ただ、先端の事象を理解するためには、その前提となる歴史を知っておく必要があります。そこで初回は、メインフレームと銀行系システムの歴史から話を進めていきましょう。
「銀行系システム」は、どんな種類に分けられる?
銀行業務の中でも、主要なのは「預金」「貸付」「為替」といわれています。個人や企業からお金を預かるのが「預金」業務で、商品としては普通預金、各種定期預金、当座預金などがあります。預金で預かったお金を資金が必要な人に貸し出すのが「貸付」業務で、企業に対する貸付だけではなく、住宅ローンをはじめとする個人向けの貸付が含まれます。お金を別の銀行にある他の口座に送ったり、手形や小切手の代金を受け取ったりするのが「為替」業務です。
これらの主要業務を処理するシステムが、銀行の「勘定系システム」です。その他の銀行業務を処理・サポートするシステムとして、「情報系システム」「国際系システム」「証券系システム」「対外系システム」「営業店システム」などがあります。
銀行によってはシステムの呼び方やシステムの分割方法が異なる場合があります。そのため一口に「勘定系」といっても、どの業務を処理するシステムなのかによって、業務要件・システム要件が異なるため注意が必要です。
情報系は、収益管理・与信管理・ALM(Asset Liability Management)という金融リスク管理や、CRM(Customer Relationship Management)などによる顧客情報を処理するシステムの総称ですが、これらの業務の性質上、銀行の営業戦略が最も反映されるシステムであるといえるでしょう。
銀行オンラインシステムの歴史
銀行のオンラインシステムは、主要銀行が10年ごとに新システムに更改してきたように「第1〜3次」など世代で呼ばれています。しかし、世代分けには厳密な定義はありません。ここからは、主に勘定系システムの性格に注目して、銀行オンラインシステムの歴史を振り返ってみましょう。
東京オリンピック後に稼働した「第1次オンラインシステム」
1965年(昭和40年)に稼働した三井銀行(2016年現在は三井住友銀行)の普通預金オンラインシステムが日本最初の銀行勘定系オンラインシステムといってよいでしょう。これ以降、都市銀行を中心に普通預金のオンライン化が進みました。実は内国為替オンラインシステムが前年の1964年に東海銀行(2016年現在は三菱東京UFJ銀行)で稼働していますが、「即時性が求められず、データの蓄積は基本的に不要である」という為替業務の性質のため、「第1次」オンラインシステムの開始とは評価されていないようです。
それまでの銀行システムは主に「パンチカード」システムによるオフラインシステムでした。パンチカードを事務センターに集めて集中管理して事務の効率化を図っていましたが、パンチカードを支店から事務センターに運搬し再び支店に戻されるまで、その顧客の入出金は「仕掛」(しかかり)中の状態でした。それがオンラインになり、台帳の更新が数十秒で完了するようになり、業務の処理効率が飛躍的に向上しました。
この世代のオンラインシステムの特徴は、預金システムと為替システムが別々に登場してきたように、「普通預金オンライン」「内国為替オンライン」といった単科目のオンラインシステムでした。オンライン化の直接的な目的は、個々の業務における事務処理の効率化・省力化でした。
普通預金のオンラインシステムが既にこの時点からオンラインリアルタイム処理であるという点が、当時の諸外国のリアルタイム性を求めないバッチ処理を基本とする銀行システムと最も異なる点です。この「オンラインリアルタイム」という性格が、この後登場する日本の銀行オンラインシステムを特徴付けています。
システム規模について見てみましょう。
第1次オンラインシステムは、業務プログラムも、それらをオンラインとして制御するコントロールプログラムも手作りでした。全体で20万〜50万ステップの処理が全てアセンブラで開発されており、都市銀行では約1MIPS(Million Instructions Per Second:100万命令毎秒)の機械で月に約900万件の処理をこなしていました。
図1は最初のオンラインシステムを稼働させた三井銀行のシステム構成イメージ図です。1964年の東京オリンピックで活躍したシステムを使用し、2台の機械を使用して処理を行っていました。メモリは、文字数で表現するキャラクタマシンを使用していたため現在との比較は困難ですが、「IBM 1410」が6万文字、「IBM 1440」が1万6000文字の記憶容量でした。1964年に発売された最初のバイトマシンであるメインフレーム「IBM System/360」が使用されるのは後のことです。
「単科目」から「総合」へ――「第2次オンラインシステム
第1次オンラインシステムの成功によって、パンチカード使用時よりも業務の効率化が図られましたが、単科目のオンラインシステムだったため、複数の科目にまたがった処理する必要がある場合は人手を介する必要があり、効率と正確性に限界がありました。また、処理量の急速な増大により機器の性能が限界に近づいたという問題も出てきました。これは、預金や為替以外の業務のオンラインシステム化が遅れていたという背景があります。
1970年代前半から各種検討を重ね、名寄せした顧客情報に基づき複数の商品の契約情報を結び付け、顧客情報の一元管理ができるシステムで複数科目を同時に処理する「総合オンラインシステム」が構築されることになりました。いわゆる「総合口座」ができたのも、総合オンラインシステムがあったからこそです。第1次オンラインシステムと第2次オンラインシステムの最大の差異は、「単科目オンラインシステムか総合オンラインシステムか」にあるといえます。
さらにこの世代のオンラインシステムを特徴付けるものに、振込・引落の一括処理の開始があります。この処理は、「センターカット」あるいは「集中記帳」などと呼ばれています。バッチ処理については、オンラインシステムと同じ業務プログラムを活用した処理を採用している銀行が登場しています。振込・引落データを磁気テープで取引先から提供してもらい、処理終了後に結果を返す口座振替業務が開始・普及し始めたのも、この世代です。
第2次オンラインシステムの構築と前後して、現金の払い出し専用のCD(Cash Dispenser:現金自動支払い機)が普及し、銀行オンラインシステムが急速に拡大していきました。その後現金の預け入れも可能なATM(Automatic Teller Machine:現金自動預け払い機)がCDを置き換えるようになりました。そして、CD/ATMの相互利用のための金融機関相互ネットワーク構築がこの時期から始まりました。この頃は、まだ都市銀行上位行・下位行、地方銀行などと業態によってネットワークが分断されてはいましたが、銀行利用者の利便性が向上しました。
銀行間のネットワークでもう1つ忘れてならない、「全国銀行データ通信システム(以下、全銀システム)」も、この時期に誕生し、日本経済取引のインフラとして成長してきています。
この世代の都市銀行システムの規模は、第1次オンラインシステムに比べて大きくなっていますが、プログラムは、制御系も含めて、まだ200万ステップ程度です。約10MIPSの機械で月間3100万件程度の取引を処理していました。
図2は都銀での第2次オンラインシステムのイメージです。単一のオンラインプログラムの中で、ファイル制御や通信制御などの制御系プログラムと業務処理プログラムが稼働しており、可用性を高めるため、「ホットスタンバイ」機能も開発されました。主演算装置として当時はIBM S/370モデル168を採用した銀行が多かったようです。搭載されたメモリ量に関する記述は見つけられませんでしたが、IBM S/370モデル168では搭載できる最大メモリが8MBでしたので、プログラムのコンパクトさをうかがい知ることができます。
メインフレームでロングライフの確保に成功した「第3次オンラインシステム」
第2次オンラインシステム構築以降も、銀行の業務処理量の増加はとどまることを知りませんでした。金融自由化に伴う新商品の相次ぐ開発や、地方銀行のサンデーバンキング開始に伴うサービス時間の延長などをはじめとする、システムに対する要求も厳しさを増してきました。
第2次オンラインシステムまでの銀行は、制御系プログラムと業務プログラムを併せて開発し、制御系プログラムは処理スピードを追求してハードウェアの特性を考慮しながらチューニングしていました。しかし、既存のオンラインシステムの手直しだけでは、ITの技術革新に追い付かないことが明らかであったため、どの銀行でも、システムの仕組みを抜本的に見直し、柔軟性や拡張性を備えた新規システムを他の銀行に先駆けて構築することが、経営上の最重要課題と位置付られてきました。
検討の結果とられた手法は、「システムの柔軟性と開発コストを削減するために、ハードウェア(メインフレーム)および、制御プログラムはITベンダーに任せ、ベンダーが提供するパッケージ製品を使用し、業務プログラム部分のみを自行開発、つまり内製する」というものです。このような方針転換をすることで、ハードウェアと制御系ソフトウェアのバージョンアップを行えば、業務プログラムを手直しすることなくITの技術革新に追従できるようになりました。
このようなシステム全体の見直しは、メガバンクでは社史にも記載されているように、経営を脅かしかねない2万人月もの開発工数を要した一大プロジェクトとなりましたが、最終的に「21世紀を展望した半永久的なシステムライフの確保」ができるシステムが構築されました。第3次オンラインシステムの稼働は1980年代後半から1990年代前半で昭和60年代から平成にかけて行われました。
第3次オンラインシステムは、業務プログラムの改修はありますが、基本的な部分は構築当時の構成のまま、ハードウェアの更新と制御系ソフトウェアのバージョンアップを経て現在に至るので、当初目的としたロングライフの確保に成功した事例といえます。
第3次オンラインシステムのシステム規模はどうなったのでしょうか。利用可能なメモリ量が64〜128MBと大幅に増え、機器の命令処理スピードも向上するという「ITの技術革新」が起こりました。このため業務プログラムは、コンパクトでメモリ使用量も少ないアセンブラから、COBOLやPL/Iといった当時の高級言語でも開発可能になりました。生産性が向上したことで、700万ステップもの業務プログラムの開発に成功しています。
この当時は、全体で約230MIPSの機械で月間5400万件程度の処理を行っていました。図3は都銀などのシステムイメージ図です。手作りのデータプログラムに代わり、DBMS(データベース管理システム)が採用されています。後に災害対策システムも構築されています。
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