検索
連載

量子コンピューティングは“物理実験”の段階にあり、企業はアルゴリズムの研究に集中せよ暗号解読やDB検索以外にも用途あり(1/2 ページ)

エンタープライズ分野のITリーダーのために量子コンピューティング分野を調査しているChirag Dekate氏(GartnerでResearch Director、HPC Servers、Emerging Tech.を務める)に、一般企業と国が今、何をすればよいのかを聞いた。前半ではDekate氏が2018年4月27日に講演した内容を紹介。後半では既存の暗号が解読されてしまう課題などを同氏にインタビューした。

Share
Tweet
LINE
Hatena

 処理性能が飛躍的に高まるとして、量子コンピューティングに対する期待が高まっている。そのような期待は正しいのだろうか。

 2018年4月27日に開催された「ガートナーITインフラストラクチャ、オペレーション・マネジメント&データセンター サミット2018」(東京)では、同社でResearch Director、HPC Servers、Emerging Tech.を務めるChirag Dekate氏が「量子コンピューティング――十分理解されず懸念もある『大胆な破壊』」と題して、量子コンピューティングの現状と近い将来の姿を示した。本稿では講演の要旨をレポートする。

指数関数的な性能向上「ムーアの法則」を引き継ぐ量子コンピューティング

 各国の大学や大企業、スタートアップ企業が量子コンピューティングへの取り組みを進め、加速しつつある(図1)。量子コンピューティング戦略を策定するITリーダーの割合は現在、全体の1%にとどまるが、2022年までに20%程度まで増えると予測しているという。

図1
図1 量子コンピューティングに取り組む先進企業と大学 ガートナーITインフラストラクチャ、オペレーション・マネジメント&データセンター サミット2018、「量子コンピューティング――十分理解されず懸念もある『大胆な破壊』」より

 量子コンピューティングが重要な理由はこうだ。シリコン半導体を応用したコンピュータ技術の進化は、現在が最終段階であり、次世代の技術が求められている。過去30年にわたり、IT産業は半導体の密度と性能が指数関数的に増加する「ムーアの法則」に乗って成長してきた。しかし今やシリコン微細加工技術が限界に近づき、半導体の性能の伸びは鈍化している(図2、※1)。

※1 加工技術の限界とは、回路を構成する「部品」の寸法がケイ素(シリコン)原子間距離の10倍程度まで近づいていることをいう。



図2
図2 シリコンベース・コンピューティングが最終段階に突入 片対数グラフであるため、各点が一直線上にプロットされる限り、ムーアの法則に従った指数関数的な成長が続いたことになる。しかし、2010年以降、グラフの傾きが鈍化している。

 シリコン半導体では、トランジスタの数と性能がほぼ比例する。これに対して、量子コンピュータでは内蔵する「量子ビット」の数が増えると、性能が指数関数的に向上する。

 現在の技術で扱うことができる量子ビットの数は少なく、既存の量子コンピュータの計算能力は、現在のシリコンベースの高性能なコンピュータには及ばない。だが、量子ビット数が向上していけば話は変わってくる。現在では考えられないような、高度な応用が可能となるだろう。

暗号解読やDB検索以外にも用途あり

 量子コンピューティングでは、暗号解読に役立つ素因数分解の「ショアのアルゴリズム」や、データベース検索の「グローバーのアルゴリズム」が有名だ。

 だが、それ以外にも量子コンピューティングが有効となるユースケースは幾つもある。以下では5つのユースケースに注目したい。

  1. 最適化問題 問題の規模に応じて計算時間が指数関数的に増加する。ここで量子コンピューティングが有効となる
  2. 個別化医療 2万種類を超えるタンパク質と薬物の相互作用をモデリングする
  3. 化学 量子シミュレーションは原子を1個追加するごとに複雑性が指数関数的に増加するものの、この課題を量子コンピューティングが解決できる
  4. 材料科学 原子の相互作用を計算し、新材料の発見に要する期間を短縮する
  5. 生体模倣 例えば光合成のようなプロセスをシミュレートする

 注意しておきたいことは、量子コンピューティングは成熟した技術ではなく、研究の初期段階ということだ。半導体でいえばトランジスタの発明から最初の集積回路(IC)の誕生の間ぐらいだろう(※2)。

 最初のトランジスタは補聴器の小型化のために作られた。今のようなITの基盤になるとは考えられていなかった。量子コンピューティングは、まさにそのような段階にある。今後投資が拡大する中で、予想もつかない新たな応用が出てくるだろう。

※2 ジャック・キルビーが1958年に発明した世界初のICにはトランジスタが1個しか搭載されていない。現在のノートPCが搭載するマイクロプロセッサでは数億のトランジスタを集積している。



量子コンピューティングへの取り組みは3種類に分かれる

 Chirag Dekate氏の講演から、量子コンピューティングにはIT産業の今後の発展を支える大きな可能性があり、特有の強みがあるものの、実用化以前の段階にあることが分かった。

 では、先進的な取り組みを続ける企業は何を試みているのか? 一般企業や研究を支援する国は、今何をすればよいのか? 以下では同氏へのインタビュー模様を紹介しよう。

──量子コンピューティング分野の戦略を策定しているITリーダーは現在1%未満にとどまるそうですが、その先進的な1%とは、どのような人たちなのでしょうか。


GartnerでResearch Director、HPC Servers、Emerging Tech.を務めるChirag Dekate氏

Chirag Dekate氏:まず所属している企業が大きく2つに分かれます。1つは米Googleや中国アリババ(Alibaba)のようなハイパースケールカンパニー。もう1つは、伝統的な大企業です。

 Googleやアリババは、量子コンピューティングの新しい技術をゼロから立ち上げようとしています。Googleはカリフォルニア大学サンタバーバラ校と協力しています。アリババは、中国科学技術大学らと協力しています。

 一方、長瀬産業やJPモルガン・チェースのような伝統的な企業は、量子コンピューティングそのものの技術よりも、事業関連領域のアプリケーションに集中しています。取り組みの種類が全く違うのです。

 加えて第3の領域として政府機関があります。米国やEU諸国、中国、日本、オーストラリア、カナダなどの政府系団体も取り組みを進めています。以上が、量子コンピューティングに取り組む1%未満のプレ−ヤーの顔ぶれです。

──この中で、伝統的な大企業といえる長瀬産業やJPモルガン・チェースのような会社は、量子コンピューティングへの取り組みで今どのような段階にいるのでしょうか。

Dekate氏:非常に早期の段階です。これらの企業は自社の事業に量子コンピューティングをどのように適用できるか検討中です。しかし、アプリケーションの成熟までにはあと5〜10年はかかるでしょう。

──IBMは量子コンピューティングのクラウドサービス(QCaaS)として「IBM Q Experience」の提供を開始しています。このようなサービスで「今できること」は何でしょうか?

Dekate氏:IBMがクラウドサービスで提供する量子コンピューティングも16量子ビットと、現時点の計算能力はまだ小規模です。しかもそれを複数のユーザーで共有しています。このようなクラウドベースの量子コンピューティングは、「従来の問題を新しいアルゴリズム、新しいアプローチで見直すことを追求するため」に使われています。

 5〜10年後には、クラウドで利用できる量子コンピューティングも50〜100量子ビットの規模に達し、誤り訂正も付くでしょう(※3)。そうなったとき、最初の成果が出てくるだろうと考えています。例えば2018年末までにGoogleが「量子超越性(Quantum Supremacy)を達成した」と発表するかもしれません。しかし、最初の段階ではトイプロブレム(ごく簡単な問題)用であって、(実務上)意味があるアプリケーションには遠いと考えた方がよいでしょう。

 大事な点は、現在の取り組みの多くは、本質的には大規模な「量子物理実験」だということです。エンタープライズユーザーのほとんどにとって、まだ非常に早期の段階です。読者に対しては、ぜひ「今は過剰な投資をしたり、大規模な契約を結んだりする時期ではない」と伝えてください。

※3 量子コンピュータのうち、取り組む企業が多い量子ゲート型コンピュータでは誤り訂正が難しく、大きな課題となっている。



Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

       | 次のページへ
[an error occurred while processing this directive]
ページトップに戻る