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思い通りにキャリアをデザインできる「フリーランスエンジニア」という働き方私は「物流エンジニア」

会社員でも派遣社員でもないフリーランスという働き方。しかし「ハードルが高い」「将来が不安」「自信がない」などの理由で、踏み切れないエンジニアもいるだろう。その心配は的を射たものなのか、会社員と比べて、どのようなメリットとデメリットがあるのか、現役フリーランスエンジニアたちに話を伺った。

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会社員に限界を感じ、フリーランスの道へ

 垣花暁さんは現在、福岡県で活躍している企業常駐の仕事もこなす、フリーランスエンジニアだ。「PE-BANK」を利用してやりたいプロジェクトを選びながら、収入やスキルを向上させている。


垣花暁さん

 垣花さんがフリーランスになったのは2018年1月のこと。それ以前はシステム開発会社に正社員として勤務し、SES(System Engineering Service)契約で顧客企業に常駐して開発を行うITエンジニアだった。

 在職中に、在庫管理システムの構築プロジェクトに倉庫の立ち上げ段階から参画し、要件定義〜基本設計〜詳細設計〜開発〜テスト〜運用、保守と、全ての工程を経験した垣花さんは、Web系システムの開発についてもスキルを広げたい、特にフロントエンドの技術を磨きたいと考えていた。

 順調にキャリアを積む一方、理不尽な経験もしていた。

 「例えば、ある開発プロジェクトで、私はある程度主導し、混沌(こんとん)としていた開発体制を整備しました。フレームワークを整え、使い回せるパーツをそろえ、プロジェクトを横展開しよう……となった途端にメンバーを外れ、他のプロジェクトに異動させられました。プロジェクトを軌道に乗せたことに対する評価もねぎらいもありません」(垣花さん)

 異動は常駐先の意向だった。自分の手柄などなかったかのように扱われたことを悔しく思った垣花さんは、同様のことを防ぐための改善案を自社の同僚や上司に提案したが、誰も理解を示してはくれなかった。

 「会社員としてSES契約で顧客企業に常駐する働き方には、限界があるのではないかと考え始めました」(垣花さん)

 そんなとき、同じ職場の人に「客先常駐フリーランスという働き方がある」と聞いた。調べたところフリーランスは、客先常駐で働くところは同じだが、自分のスキルを磨くためのプロジェクト選びができるし、顧客に評価されて契約金額が上がれば、それに連動して自身の報酬も上がっていくと分かった。会社員でいるよりも、遥に良い選択肢だと思った。

 そして垣花さんはフリーランスエンジニアになった。37歳の冬だった。

自ら名乗った「物流エンジニア」という肩書

 フリーランスでやっていくからには自身の強みをアピールするべきだと考え、前職時代に養った経験をアピールするため、自らに「物流エンジニア」という肩書を付けた。そして、PE-BANKなど幾つかのフリーランスエンジニアをサポートするエージェントに登録し、案件を探した。

 垣花さんがリクエストしたのは、Webシステムのフロントサイドにおける新たな技術を身に付けられるプロジェクトか、得意とする物流システムの開発プロジェクトだった。いずれも自身の市場価値を高めるという目的を達成するためのものだ。

 PE-BANKから紹介されたのは、野球やコンサートのチケット予約システム開発だった。

 「物流と無縁のように思えますが、限られた座席数を、販売実績に基づいてどこの代理店にどれだけ分配するか、あるいは手元にプールしておくかなど、在庫管理の考え方が、そのまま生かせるものでした。『物流エンジニア』として、とても良い経験になったと思います」(垣花さん)

 このプロジェクトは先日カットオーバーし、現在は次のプロジェクトに向け準備中だという。

フリーランスになって見えてきたこと

 企業常駐型のフリーランスになって、見えてきたこともある。

 垣花さんが常駐する現場には、「フリーランス」の他に、「プロパー」(顧客企業の社員)もいれば、以前の垣花さんのような下請け会社の社員がSES契約で顧客企業に常駐する「外注」もいる。

 垣花さんはプロパーに対しても意見を発することが多いが、外注のエンジニアたちは、唯々諾々と言われた仕事を続けることが多いという。彼らから「余計なことを言わずに言われた仕事をしようよ」という一種の「同調圧力」のようなものを感じることもあるという。

 会社員時代は自社に提出する週報の作成といった間接業務があったが、今はそれがなく、開発そのものにより一層専念できる。

 「収入はフリーランスになって大幅に増えましたね(笑)」(垣花さん)

 会社員時代は、営業スタッフと顧客企業との間で「エンジニア不在の単金交渉」が行われていた。しかしフリーランスとなった今は、自身の貢献を直接契約先にアピールし高評価を獲得できる。また、その評価を契約金額の向上につなげるためにエージェントの営業と二人三脚で交渉できることがモチベーションにつながっている。

 「会社員エンジニアは、労働量に見合った収入を得ていないと思います」(垣花さん)

 フリーランスは将来が不安という意見をよく耳にするが、外注エンジニアの将来は安泰なのだろうか。会社都合でプロジェクトを転々とさせられ、体系立ったスキルを身に付けていけないようなら、20年後、30年後にエンジニアとして活躍する場所はないだろう。管理職もポストの数が決まっているから、全員がなれるわけではない。それなら、自分の思い描くキャリアに沿ってスキルや経験を身に付けられる分、フリーランスの方が「不安定ではない」といえる部分もあるのではないだろうか。

エージェントにもそれぞれの色がある

 企業常駐型フリーランスの活動を支援するエージェントの選び方について、聞いてみた。

 垣花さんによれば、PE-BANKは業務システム開発に強いイメージがある。他にも、インターネットサービスやベンチャー系企業に強いエージェントなど、それぞれに強みがあるので、目的に合ったエージェントを探すのが大切とのことだ。

 また、案件を一つずつ紹介して、逐一やる/やらないを答えさせるエージェントも多い中、PE-BANKは希望に合致する案件を一覧で見せて、その中から候補を選ばせてもらえたため、好印象を持ったという。

 マージン(PE-BANKの取り分)率が公開されているのも安心できるポイントだったとのこと。フリーランスエンジニアは、自分に合ったエージェントを見つけることも重要だろう。


PE-BANK主催の「プロエンジニアフォーラム2018」の「ワークスタイルリフォーム ビフォー・アフター大賞」でファイナリストに選ばれ、プレゼンテーションする垣花さん。プレゼンのテーマは「フリーランス IT エンジニアにとってのつながり」。会社員時代とは異なるつながりを作り、人生の選択肢を増やす大切さを発表した

紆余曲折の若手時代

 清海一聡さんは、九州の大学の電子情報工学科を卒業後、東京の大手コンピュータメーカー系システム開発会社に入社するも、1年4カ月で退職した。


清海一聡さん

 「大手企業ならではの業務の細分化が行われていて、仕事はドキュメント作成ばかり。このままではコードを書かないまま月日が流れてしまうと感じました。また、親睦会の幹事など開発業務以外の雑務が多いのも煩わしかったですね」(清海さん)

 退職後は、IT業界と距離を置き、9カ月間ほどアルバイトに身を投じた。

 「宅配飲料の飛び込み営業で、個人法人を問わず1日400件近く訪問しました。100件訪問して1件成約できるかどうか。その後、警備員のアルバイトも経験しました。そのときに、同じくIT業界にいた先輩から『警備員を3〜4年続けるうちにエンジニアに復帰できなくなった』という体験談を聞いて危機感を感じ、IT業界に戻ろうと決心しました」(清海さん)

 そして、清海さんはとあるシステム開発会社に転職する。この会社でVB.NETとSQL Serverによる卸売管理システムの受託開発に参画。もちろん実際にコードをバリバリと書く開発業務に携われ、データベースに関する深い知識を養えたという。

 ところが、自信が付き、次のステップに進もうというころに、社内で海外進出の機運が高まった。現地駐在員になることに抵抗を感じ、9カ月で退職した。

 そして、企業常駐型のフリーランスエンジニアになった。

不安になるほど情報がなかった

 フリーランスになることに、不安はなかったのだろうか?

 「正直、当時は不安になるほどの情報を持ち合わせていませんでした(笑)。もっとよく調べていたら違ったのかもしれません。でも、実際に飛び込んでみて分かりましたが、事前の不安は全く無用だと思います」(清海さん)

 誰でも、フリーランス=個人事業主になることへの不安は多少なりともあるかもしれない。しかしPE-BANKには営業、事務代行確定申告代行などのサポートサービスがある。

 「健康を害したときに困るのでは?」と心配するエンジニアには、ケガや病気のときの所得補償手当てや、生命保険、がん保険、入院日額手当てなどをサポートしてくれる「PE共済会」もある。

 清海さんがフリーランスとなって実感したのは、やはり収入の大幅アップだ。

 「アプリケーションのバグ改修のようなプロジェクトでも、前職給与の2.5倍ぐらいになりました」(清海さん)

 企業常駐型フリーランスとなった清海さんは、その後も精力的に案件をこなし、案件を通じてさまざまなプログラミング言語やフレームワークも習得。ECサイトや在庫管理、販売管理システムなど、専門分野も広げていった。コーディングだけではなく詳細設計も担当するようになり、基礎を固めながらのステップアップを着実にこなしていた。

活動拠点を九州へ

 さまざまプロジェクトを手掛けながら、1年7カ月が過ぎたころ、清海さんは活動拠点を福岡に移す。学生時代暮らしていた九州への恩返しのような気持ちがあったそうだ。

 活動拠点を自由に変えられるのもフリーランスならではの強みだ。PE-BANKは、北海道、仙台、名古屋、大阪、京都、岡山、広島、九州と全国に拠点があるので、活動拠点を移す不安はなかったという。

 この行動は、その後の清海さんの人生を大きく変えることになった。

 まず、念願の上流工程に携わることができた。得意とするデータベースの統合案件で、要件定義から携わることができたという。それだけではない。

 「福岡で働いていた女性と知り合い、結婚しました」(清海さん)

 新たな家族ができて仕事に対するモチベーションが一段とアップした清海さんは、2年ほど九州で活躍した。

 「生まれ故郷に帰って仕事をしたい」「都会で自分の腕を磨きたい」「親の介護で実家に戻らなければならない」など、理由はさまざまだが、就職や転職でUIターンを希望する人は確実に存在する。今、その必要は感じなくとも、いずれ必要になる時が訪れるかもしれない。そのようなときに「仕事」が足かせにならない点も、フリーランスという働き方のメリットといえるだろう。

出産、育児をサポートするため週4日勤務への切り替えも

 その後、東京に戻った清海さん夫婦は、子供を授かる。

 周囲に頼れる親戚がいない東京で出産する奥さまを少しでもフォローしたいと思い、清海さんは仕事をセーブし、産前の検診に付き添ったり、必要なものをそろえたり、産後の育児に積極的に参加したりすることを決意する。

 「PE-BANKに週4日勤務が可能なプロジェクトを探してもらいました」(清海さん)

 PE-BANKは、清海さんの希望に応えてくれた。週の真ん中の水曜日を休みとし、月火木金の週4日勤務が可能な案件を紹介してもらった清海さんは、奥さまの産前、産後をサポートした。そのかいもあって、奥さまは無事に女の子を出産し、清海さんは父親になった。

 週4勤務のプロジェクトは8カ月ほど続けて契約終了。今はフルタイムのプロジェクトに移り、バリバリ働いているという。

 このように、ライフスタイルに合わせて働き方を自在に変えられるのも企業常駐型フリーランスならではの特長といえる。必要な期間だけ働き方を変え、また元に戻すといったことも自在だ。

 現在はRPA(Robotic Process Automation)関連のシステム開発に参画している清海さん。

 「学生時代に研究していたフローチャート記述によるプログラミングツールが、RPAに通じるところがあり、とても楽しく仕事を進めています」(清海さん)

 今後は、プログラム開発のみならず、ビジネスを効率化するあらゆる課題を解決していくエンジニアを目指し、将来はITコンサルティングのような仕事スタイルを目指したいと清海さんは将来の抱負を語ってくれた。

 キャリアを自由にデザインできる企業常駐型フリーランスは、将来の不安を今のうちから解消できる全く新しい働き方かもしれない。


PE-BANK 広報の秋山さんと清海さん。お嬢さんの話になると、思わず父親の表情になる

提供:株式会社PE-BANK
アイティメディア営業企画/制作:@IT自分戦略研究所 編集部/掲載内容有効期限:2018年9月26日

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