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お父さんには、コンピュータ100台分ぐらい恩返ししなくちゃGo AbekawaのGo Global!〜Le Van Da編(前)(3/3 ページ)

高校生のころは勉強と家業の手伝いしかしなかった(つまり、遊ばなかった)――グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回は、大学に入るまでPCを触ったこともなかった農村出身の青年が、ベトナム屈指の難関大学に入り、5年間の猛勉強を経て日本にやってくるまでを伺った。

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就職、来日、初めての一人暮らし


Go阿部川とダーさん

阿部川 さきほど「研究するよりも何かを作りたかった」とおっしゃいましたが、どんなものを作りたかったのですか。

ダーさん 当時は具体的にアイデアがあったわけではありませんが、漠然とではありますが、人が求めるものを作りたい、と思っていました。そこで、カオピーズでインターンをしていた仲間と「黄昏」(たそがれ)チームを作って、日本語とベトナム語の辞書アプリ「Tu dien Nhat Viet - Suge Dict」を開発しました。

 Android版は開発から4年、iOS版は開発から2年経過しています。Web版も開発中です。随時チームでアップグレードを繰り返しています。これが僕の、市場に出した最初の製品です。

阿部川 経歴のお話を、もう少し続けましょう。大学卒業後、2017年に「ディマージシェア」という日本の企業に就職なさいますね。

ダーさん はい。ヘッドスピーの卒業生用に開かれたジョブフェアにディマージシェアが参加していました。面接を受けて内定をいただき、1年後、卒業と同時に来日して入社しました。それが初めての日本です。

 ディマージシェアは、代理店や広告を出稿したい企業にパッケージを提供するアドテク企業です。広告を打ちたいと思ってもシステムや仕組みがなくて実行できない顧客に、すぐに広告を実行できるサービスとシステムを提供します。私は大規模な企業に対するシステムのカスタマイズを担当しました。

阿部川 面白かった、あるいは難しかったことは何ですか。

ダーさん 来日したばかりで、全てが新しくて楽しかったです。アドテクは技術の幅が広いので、多くの知識を得なければならず、それも楽しいことでした。大学では一つ一つのシステムのことは学びましたが、就職してからはさまざまなアドテクのシステムが連携する現場で学ぶことができました。

 1年目はアドテク中心でしたが、2年目はビッグデータ関連の案件もやらせてもらいました。ビッグデータは未経験だったので苦しかったことも多かったのですが、それらを乗り越えたことで勉強になった点が多くあった、と今は思います。

阿部川 来日されてからずっと同じ場所にお住まいですか。

ダーさん はい。会社の先輩たちの多くが近くに住んでいますし、路線が便利なんです。大学時代は友人と一緒に住んでいたので、一人暮らしは日本に来てからです。

阿部川 外国で、しかも一人暮らし。不安ではありませんでしたか。

ダーさん 日本は安全ですから不安はありません。でも、寂しい思いはありましたね。



 ライチの名産地から、ハノイの難関名門大学を経て日本にやってきたダーさん。後編(2020年4月14日掲載)では、ダーさんの得意料理や黄昏チームの活動、将来の夢などを伺う。

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