お父さんには、コンピュータ100台分ぐらい恩返ししなくちゃ:Go AbekawaのGo Global!〜Le Van Da編(前)(2/3 ページ)
高校生のころは勉強と家業の手伝いしかしなかった(つまり、遊ばなかった)――グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回は、大学に入るまでPCを触ったこともなかった農村出身の青年が、ベトナム屈指の難関大学に入り、5年間の猛勉強を経て日本にやってくるまでを伺った。
5年間のエリート教育でITと日本語を習得
阿部川 2012年にハノイ工科大学のIT専門学部に入学。数学や物理の専攻は希望されなかったのですか。
ダーさん 私は入試時の得点が高かったので、学科を選ぶことができました。ハノイ工科大学のトップグループが入れる学部か、それ以外か。トップグループはハノイ工科大学全学生5000人のうち、20人程度の超エリートです。
トップグループの学部は、どちらかというと優秀な研究者を育成するのが目的で、短期間に限られた分野を極めるように、集中して勉強します。僕は研究者になるよりも、何かを作ることをやりたかったんです。
さらにトップグループに入るには追加で試験を受けなければならず、その試験の過去問題を見たら全く歯がたたないと分かったので(笑)、追試はやめて、IT学部を選びました。
阿部川 大学ではどのようなことを勉強されましたか。
ダーさん ITに加え、日本語も勉強しました。僕が選んだIT学部は、「HEDSPI」(ヘッドスピー)という日本政府のODA(政府開発援助)プロジェクトで実施されていたので、日本語とITの両方を学べたのです。
阿部川 在学中に「Kaopiz」(カオピーズ)という企業で働かれていますね。
ダーさん カオピーズは、日本に留学していたヘッドスピーの先輩5人が帰国後に立ち上げた企業です。5人とも日本語がとてもうまく、クライアントは100%日本企業です。私はそこでインターンとして、日本の案件、いわゆるオフショア開発に1年半くらい従事しました。
阿部川 コンピュータは大学から触られたのですか。
ダーさん はい。大学に入学してからです。最初のPCは、新品のASUSのノートブックでした。当時はお金がなかったので、父が買ってくれました。父は大学の5年間(※)、ずっとサポートしてくれました。少なくともコンピュータ100台分ぐらいは恩返ししないといけません(笑)。
1年生でC言語、アルゴリズム、データ構成、ネットワーキングや通信、コンパイラなど、いわゆるコンピュータサイエンスの一般的な知識を勉強しました。
3年生になって、実際のプロジェクトを行うようになりました。学生4人が一組になって。Webサイトやアプリケーションなどを開発しました。4年生では1年間、卒業論文に向けて先生と一緒に研究しました。5年生の最後の6カ月は論文に集中しないといけなかったので、カオピーズのインターンは辞めました。
※ハノイ工科大学のIT/CS学部は5年制
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