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日本一創業しやすい街を目指した炭鉱の街、飯塚――デバイスの多様化とAIの進化で新たな取り組みへe-ZUKAスマートアプリコンテスト

かつての炭鉱の街、飯塚は大学誘致とITを核とした産業振興策に取り組み、産学官連携の下、「日本一創業しやすい街」を目指した。大学の学園祭と一体開催されてきた歴史あるアプリコンテストからは多くのベンチャー企業も生まれたが、デバイスの多様化やAIの進化もあり、そのあるべき姿を模索する。

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 かつて日本最大の炭田を擁した筑豊は、ベストセラー小説にも舞台として描かれているため、多くの人が郷愁を持って思い浮かべることができるだろう。主人公は戦後の荒々しい気風(きっぷ)の中にも人間味が息づく筑豊から青春を歩み始める。1970年代半ばには全ての炭鉱が閉山したが、幾つかの遺構が今日にその面影を残している。石炭の採掘に伴って生じた捨石を積み上げて築かれたボタ山はその危険性もあって他の地域では取り崩しが進められてきたが、筑豊炭田の中心だった福岡県飯塚市には、その美しさから「筑豊富士」と呼ばれるボタ山が残る。JR飯塚駅から望むそのボタ山は、高さはゆうに100メートルを超え、にわかには人工のものとは思えないほどだ。


筑豊富士(ボタ山)

 「飯塚は面白い」と話すのは、画像AI技術を強みとする研究開発型のベンチャー企業、fumeの代表、鵜狩慧久氏だ。この地の九州工業大学(以下、九工大)情報工学部に在学中から個人事業主として活動し、2019年に飯塚市主催のe-ZUKAスマートフォンアプリコンテストでグランプリを受賞、同市からのオフィス提供を受けてさらに研究開発を進め、2023年2月には株式会社としてfumeを設立した。ちなみにグランプリに輝いた「mindPump for Travel」は、ある単語を入力すると、樹木が成長して枝葉が伸びていくように関連する単語が次々と表示される仕組み。マインドマップのようなユーザーインタフェースを持ち、自然言語処理(AI)の力を借りながら旅のアイデアを次々と膨らませていけるスマホアプリで、「誰にでも分かりやすく、共感してもらえ、より多くの人の役に立つものを目指した」(鵜狩氏)。そうしたソフトウェア開発への取り組みは今も変わらないという。


mindPump for Travelのスクリーンショット

 「石炭鉱業はかつての先端かつ基幹となる産業だった。飯塚にはその炭鉱遺構が市内各地に残されている」と鵜狩氏。鹿児島から九工大に進学した鵜狩氏もその歴史に引かれ、訪ねて回ったという。

大学誘致で再び街に活力を

 明治・大正・昭和と屋台骨として国を支え続けた石炭だったが、1950年代の後半になると石油への大転換が進み、飯塚市も急速な人口減少に直面する。そんな飯塚市が再び街に活力を取り戻すべく取り組んだのが鵜狩氏も学んだ大学の誘致だった。

 1966年、近畿大学 産業理工学部の誘致に成功、1986年には全国で初の情報系総合学部として生まれた九工大 情報工学部のキャンパスも置かれた。鵜狩氏の進学の決め手も国立大学では唯一の情報工学部というところだった。「周りの学生も新しい技術に貪欲で、しかも楽しんでいた」と振り返る。


九州工業大学情報工学部のキャンパス風景

 九工大の新キャンパス開設は、NECの「PC-9800」シリーズがヒットし、日本でもPCのビジネス活用が始まった時期とも重なる。数年後には企業におけるITの利活用が本格化し、それが国や県を動かす。1992年、飯塚市の学術研究資源を有効に産業界に展開する「場」として福岡県立飯塚研究開発センターや、高度IT人材育成を目的とした公的教育機関である福岡ソフトウェアセンターが相次いで設置された。

 青年期にITの目覚ましい進展を経験した「ミレニアル世代」が社会に出ようとする頃には新たな情報端末が登場する。1999年、NTTドコモの「iモード」が発表され、その後、PCより手軽な携帯電話が誰でも簡単に、そして常にインターネットにつながる端末となっていく。いわゆる「ガラケー」をプラットフォームとした新たなコンテンツ産業が生まれてくると、九工大で学ぶ学生たちを開発人材として活用しようと携帯電話向けゲームのケイ・ラボラトリー(現KLab)が九州飯塚ラボを開設した。2002年のことだ。のちにコロプラを創業する九工大生の馬場功淳氏が同ラボで働く傍らで「位置ゲー」の先駆、「コロニーな生活」を開発し始めたのもこの頃だ。同ゲームは、数百万人が楽しむ大ヒット作となる。

日本一創業しやすい街へ

 2002年、飯塚市はこうした九工大や近畿大学の学術研究資源を生かして地域を活性化すべく、「e-ZUKAトライバレー構想」を掲げ、地域再生の取り組みに一層力を注ぐ。目指したのは「日本一創業しやすい街」。インキュベーション施設として、安い家賃でオフィスを提供するe-ZUKAトライバレーセンターも九工大の近くに開設され、ケイ・ラボラトリーの九州飯塚ラボもここに拠点を置くことになる。


e-ZUKAトライバレーセンターの外観

 「ITは未踏の全く新しい領域だった。しかもリアルの世界に影響を与えられる力があった」と話すのは、e-ZUKAトライバレーセンターに最初の企業として入居したTRIARTの創業者、今津研太郎氏だ。

 今津氏は1998年、九工大 大学院で学ぶ傍ら、TRIARTを屋号とする学生研究組織をつくり、ソフトウェア開発を手掛けていた。e-ZUKAトライバレーセンターへの入居から数年後の2007年6月には、「Adobe Flash」を用いて動的かつグラフィカルな携帯サイトを簡単に構築できるサービス「MOSE」をリリースする。ガラケーの小さなディスプレイでも魅力的なコンテンツを表現したい市場に受け入れられ、1000を超えるFlashサイトが構築された。

 「新しい技術で新たな絵具をつくった。技術ひとつで世界を変える機会があることを示せた」と今津氏は振り返る。


今津研太郎氏

 2008年には、さらに洗練されたインターネット端末としてiPhoneが日本にも上陸し、話題をさらっていく。契約ベースでスマートフォンがガラケーは上回るのはまだまだ先のことだったが、今津氏は飯塚市に働き掛け、2012年、いち早くスマートフォンを対象としたアプリコンテストをスタートさせる。fumeの鵜狩氏がグランプリに輝いたコンテストの始まりだ。広く全国からIT技術者を志す学生に応募してもらい、最終審査会を九工大キャンパスで行い、協賛する地元のIT企業と交流する場もつくるという仕掛けで、2019年の第8回からはe-ZUKAトライバレーセンターのオフィスが1年間無料で利用できる副賞もグランプリ受賞者に贈られている。鵜狩氏も同センターに拠点を置き、研究開発に力を注ぐことができたと感謝の言葉を口にする。

進化するAI、「e-ZUKA」らしさを模索

 副賞でインキュベーション施設を提供するようになったのもそうだが、回を重ねる中でアプリコンテスト自体もより良いものへと見直しが図られてきている。特にITは日進月歩の世界だからなおさらだ。スマートウォッチやデジタル家電、ロボットの登場など、デバイスが多様化する中、2022年からは作品の対象をスマートフォンに限定せず、名称も「e-ZUKAスマートアプリコンテスト」に変更された。

 産学の連携や大学発の起業にも課題が見えてきた。今津氏は「これまで飯塚のような地方にある大学ではとがった技術にさらに磨きを掛けられることが強みの一つだったが、技術の使われ方が分かっていないと磨きを掛けること自体が目的になってしまう」と先端技術を現実世界に適用する難しさを指摘する。

 「AIの進化に伴い、技術はどんどんコモディティ化していくので、発想やそれを導く着眼点がより重要になってきて、この先、テクノロジーはアートに向かうはず。本当の意味での創造性を伸ばすには、考えるより先に答えが出てしまう都会よりも、山河がある豊かな環境の方が適しているし、製造業を中心に日本の現場は地方にある。人の強みは現実の世界でこそ生きる」と今津氏。AIがコーディングのような作業量を吸収していく中、地方の飯塚が主催するアプリコンテストの意義を問うていきたいと話す。

 13回目となる2024年からは高校生以上の一般の部に加え、小学生の部と中学生の部をそれぞれ新設するという新たな取り組みも始まる。「Scratch」「Viscuit」「micro:bit」「Springin'」といった教育現場でもなじみのプログラミング教材を用いて小中学生に「身近な生活に役立つもの、あったらいいな、こんなもの」を制作してもらう。

 コロナ禍で中断していた九工大の学園祭「工大祭」との一体開催も2024年から再開するという。九工大 大学院 情報工学研究院の准教授でアプリコンテストの審査員長を務める小西直樹氏は、「全国の高校生、大学生、そして社会人の皆さんからエントリーしてもらい、飯塚の九工大キャンパスで交流してもらいたい」と話す。

 「アジアのシリコンバレー」を目指したかつての炭鉱の街は、飯塚という地ならではの取り組みを模索する。

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