AI時代に「守る」はもう古い Gartnerが『五輪書』で説いた新たなセキュリティ論:宮本武蔵ならどうする?
「守る」という発想だけでは、AI時代のサイバーリスクには太刀打ちできない──。Gartnerは宮本武蔵の『五輪書』を題材に、ガバナンスからAI防御、人材育成まで、セキュリティ戦略の転換を提言した。
ガートナージャパン(以下、Gartner)は2026年7月22〜24日、「セキュリティ&リスク・マネジメント サミット」を開催中だ。本稿では23日に実施された基調講演「日本におけるセキュリティの重要論点:2026」の内容をレポートする。
登壇したのはガートナージャパンの礒田優一氏(バイス プレジデント、チーム マネージャー)、矢野薫氏(シニア ディレクター、アナリスト)、鈴木弘之氏(ディレクター, アナリスト)の3人だ。
同講演の特徴は、2026年のセキュリティ戦略を宮本武蔵の兵法書『五輪書』になぞらえて解説した点だ。「地」「水」「火」「風」「空」の5巻に沿って、AI時代のセキュリティリーダーに求められる考え方を整理しよう。
「地」――AI時代は“守り”より先にガバナンスを変えよ
『五輪書』で武蔵は「地」をあらゆる兵法の土台として位置付けた。GartnerがAI時代の「地」に重ねたのもまた、全てのセキュリティ施策の基盤となるガバナンスだった。
礒田氏は、武蔵の「この道、まずは大なる所より、浅きより深きに至る」という言葉を引用し、「まず広い視野を持ち、その上で土台となるガバナンスを固めることが重要だ」と説明した。
同氏が最初に問題提起したのは、セキュリティ投資の考え方そのものを見直す必要があるという点だ。
これまで企業では「売上の○%」「IT予算の○%」といったベンチマークが投資判断の参考として利用されてきた。しかしAIの普及や地政学リスクの高まりによって企業を取り巻く環境は大きく変化している。こうした状況で過去のベンチマークだけを基準に投資額を決めることは適切ではない。
礒田氏は、日本の防衛費が長年「GDP比1%」という枠組みで議論されてきたことを例に挙げ、「時代が変われば投資の考え方も変わる」と説明した。
重要なのは「新たなリスクに投資が必要だ」と訴えるだけではない。
AIリスクや地政学リスクへの投資を求める一方で、経営層はコスト削減も求められている。だからこそ、「削るところは削り、投資すべきところに投資する」というメリハリのあるストーリーを示すことが、セキュリティリーダーには求められる。
続いて礒田氏は、組織体制についても従来の考え方を見直す必要があると指摘した。海外拠点やサプライチェーンへの攻撃、AIやクラウド、市民開発の普及によって、本社が全てを管理する中央集権型ガバナンスは限界を迎えつつある。
そこで重要になるのが「連邦型ガバナンス」だ。ただし、単純に権限を現場に移譲すればよいわけではない。例えば脆弱(ぜいじゃく)性管理一つを取っても、「情報収集」や「優先順位付け」「パッチ適用」「代替策の実施」「リスク受容」といったプロセスごとに、「本社が担うべきかどうか」「各拠点に委ねるべきかどうか」を切り分ける必要がある。
つまり議論すべきなのは「中央集権か分散か」という二者択一ではなく、何を集約し、何を分散するのかという全体最適の設計だという。
AI活用についても同じ考え方が当てはまる。ノーコードツールやAIエージェントの普及によって、現場部門が自らシステムを作るケースは今後さらに増えると予想される。これを全面的に禁止すればビジネスのスピードを阻害する。ただ一方で自由に利用させればリスクは高まるだろう。
そこで礒田氏が提示したのが「自由と責任」を両立させる人中心のセキュリティモデルだ。AIを利用する部門が責任を持ち、IT部門やセキュリティ部門は支援と監督に回る。そのためには責任分界を明確化するとともに、AIリテラシー教育や継続的なモニタリングを組み合わせる必要がある。
同氏は、AI時代のガバナンスでは「禁止」ではなく、事業部門が安心してAIを活用できる仕組みを整備することが重要だと強調した。
「水」のような柔軟性でAIリスクに対処せよ
武蔵は「水」を、相手や状況に応じて自在に姿を変えることの重要性として説いた。矢野氏は、この考え方こそAI時代のセキュリティに必要だと語る。
同氏は「AI時代に私たちが対処しなければならない脅威は決して一定ではない」と切り出し、その最大の理由としてAIが「非決定論的」であることを挙げた。
生成AIやAIエージェントは、同じ指示を与えても毎回同じプロセスや結果になるとは限らない。こうした特性はAIの利点である一方、従来の静的なセキュリティ対策では対応し切れない新たな課題を生み出しているという。
その代表例がデータ保護だ。AIエージェントは社内のさまざまな情報を収集し、新たな成果物を生成する。その成果物を別のAIが利用し、さらに新しい情報を生み出す――こうした処理が繰り返されれば、機密情報は組織内で際限なく複製・拡散される。
従来は個人情報のように正規表現で判別できるデータを保護する仕組みが主流だった。しかし本当に重要な情報は必ずしも一定の形式を持つわけではない。そこで重要になるのが、「誰が」「何の目的で」「どのように」データを利用するのかという文脈まで含めて判断するセマンティック解析(インテントベースのセキュリティ)である。データそのものではなく、利用目的や利用者の意図まで踏まえてアクセスを評価する発想だ。
矢野氏は「データの価値そのものではなく、ビジネス目的に沿った利用かどうかを評価する発想が必要になる。ただし、ビジネスの目的を最も理解しているのはセキュリティ部門ではなく事業部門だ。そのためデータセキュリティの運用にも事業部門の関与が不可欠になる」と説明する。
AI時代では権限管理の見直しも必要だ。
AIエージェントに常時権限を与えれば、社内のあらゆる情報にアクセスできる「スーパーユーザー」が大量に存在する状況を生み出しかねない。これは攻撃者にとって格好の標的になる。
そこで同氏が重要視したのが「ジャストインタイム」(JIT)による権限管理だ。JITでは「権限を常時付与しない」「必要な時間だけ権限を付与する」「AIによる権限昇格要求にも自動で対応できる仕組みを整える」という考え方を採用している。
特にAIエージェントからの権限要求はマシンスピードで発生するため、人間が都度判断する運用は現実的ではない。AIを本格展開する前に、自動的な権限管理の仕組みを理解し、整備する必要があるという。
矢野氏は加えて、従業員教育についても抜本的な見直しを提言した。
従来の一斉配信型アウェアネス教育では、AIがもたらす新しいリスクへの対応力を十分に高めることは困難だ。これからは利用するAIツールや業務内容、扱うデータに応じて教育内容を変える「パーソナライズ」と、短時間で繰り返し学ぶ「マイクロラーニング」が重要になる。
「AIは非決定論的であるため、セキュリティも固定的なルールではなく、柔軟に形を変えなければならない」(矢野氏)
AIにはAIで対抗する――「火」が示す攻めのセキュリティ
『五輪書』で「火」は、戦いの局面で主導権を握るための攻めを意味する。GartnerはAI時代のセキュリティでも、防御だけではなく攻めの姿勢が必要だと説く。同社からは従来のセキュリティから一歩踏み込み、AIを活用した「攻め」の技術や戦略が紹介された。
最初のテーマは、社内に広がるAIの利用実態を把握することだ。業務部門が独自にAIサービスを利用する「シャドーAI」が増える中、人手でAI利用状況を調査する方法では追い付かない。
そこで紹介されたのが「AI SPM」(AI Security Posture Management)である。AI SPMはAIを一覧管理する仕組みではない。AIモデルやAIエージェントを含む資産の把握に加え、設定や権限、データ利用状況などを継続的に監視し、AIライフサイクル全体のリスクを評価する考え方だ。クラウドの設定を管理するCSPM(Cloud Security Posture Management)やデータ保護のDSPM(Data Security Posture Management)、アイデンティティー管理のISPM(Identity Security Posture Management)などと連携し、クラウドやデータ、IDを含めた利用状況全体からAIのリスクを評価する考え方だ。
続いて紹介されたのが「AIランタイム・ディフェンス」である。AIは実行するたびに挙動が変わるため、事前テストだけではリスクを十分に洗い出せない。そこでAIが実際に動作している間の振る舞いを監視し、プロンプトインジェクションや機密情報の漏えい、不正なツール利用などをリアルタイムで検知・制御する仕組みだ。AIの応答品質やハルシネーションも監視対象となる。
さらに、その先にある姿として矢野氏が紹介したのが「ガーディアン・エージェント」だ。これはAIの動きを別のAIが常時監視し、ガードレールを逸脱した場合には処理を停止したり、利用者へ差し戻したりする仕組みである。
「AIにはAIでガードする」(矢野氏)。AIエージェントが自律的に判断する時代、人間だけで全ての挙動を監視することは現実的ではない。Gartnerは、防御側もAIを利用する段階から、AIにAIを監視させる段階に進むとみている。
一方で、AIは防御だけでなく攻撃にも利用される。近年はAnthropicをはじめとする企業が高性能なフロンティアAIを相次いで公開しており、高度な脆弱性の発見や攻撃コードの生成など、自律型AIの悪用に対する懸念も急速に高まっている。
こうした現状を踏まえて重要なのが「AIに負けない」「AIから逃げない」「AI活用を投げ出さない」という3つの姿勢だ。AIは敵にも味方にもなる。だからこそAIを拒絶するのではなく、AIを使いこなし、防御側の力へと変えることが求められている。
その上で、今後企業が優先的に取り組むべきテーマとしては、脆弱性管理の現実的な優先順位を決めるCTEM(継続的脅威エクスポージャ管理)の導入や、AIを活用した侵入テスト、そしてサイバーディセプション(おとり)や動的ターゲット防御などを組み合わせた「先制的サイバーセキュリティ」への投資を挙がるという。
Gartnerは2030年までに、こうしたプロアクティブな防御への投資が企業のセキュリティ投資全体の約半分を占めるようになると予測している。
外の「風」だけではなく内の「風」も取り入れる
『五輪書』で「風」は、他流派を知り、自らを磨くことを意味する。最後に登壇した鈴木氏は、「風」の巻になぞらえ、AI時代に求められるのはまさに「外の知」を組織の知恵に変える力だと語った。
その上で同氏は「最も大切なのは『自分はまだ分かっていない』という意識を持ち続けることだ」と切り出した。
「全てを理解したと思った瞬間に、人は学びや成長を止めてしまう。分からないことがあるからこそ、人間は新しい知識や発見に向かって進むことができる」(鈴木氏)。同氏は、セキュリティ人材に必要なのは知識の量ではなく、学び続ける姿勢だと強調した。
同じ会社でも「認識」はここまで違う。その象徴的な例として紹介されたのが、ガートナーが実施したランサムウェア対策に関する調査だ。
「ランサムウェアからの復旧体制は準備できているかどうか」という同じ質問に対して、セキュリティ部門とインフラ部門では回答が異なった。具体的にはセキュリティ担当者で「できている」と答えたのが42.7%だったのに対し、インフラ担当者で同じように答えたのは62.1%だった。
両者とも同じ会社の状況を答えているにもかかわらず、認識には大きなギャップが存在していた。鈴木氏は、これを単なる意見の違いではなく、部門ごとの役割や責任範囲の違いから生まれる「Bad Communication(コミュニケーション不足)」だと指摘する。
ランサムウェア対策はセキュリティ部門だけでは完結しない。バックアップや復旧を担うインフラ部門との連携が不可欠であり、互いの認識が食い違ったままでは、有事に適切な対応を取ることは困難だ。
「AI時代だからこそ、こうした組織内の壁を越えた対話が重要になる。AIは知識を集められるが、知見は作れない」(鈴木氏)
AIが普及したことで情報収集そのものの価値は大きく変わっている。NIST CSFの要約や、CISベンチマークの整理、自己診断ツールの作成といった作業は、生成AIを使えば短時間で実現できる。実際、ガートナーのアナリスト自身もAIを日常的なツールとして活用しているという。
しかし顧客が本当に知りたいのは、製品カタログやAIが整理できる情報ではない。「導入時にどこでつまずくのか」「数年後もその製品を使い続けられるのか」「他社はどこで失敗したのか」といった、現場でしか得られない知見である。
こうした知見は、AIだけでは生み出せない。社内外の経験を集め、自社の状況に合わせて解釈し、意思決定につなげる。そのプロセスこそ人間にしかできない仕事だと鈴木氏は語った。
燃え続けて「空」の境地に至るべし
武蔵が最後に到達した「空」は、あらゆる型を身に付けた先にある境地だ。礒田氏は、その考え方をAI時代のセキュリティリーダーに重ね合わせた。
「武蔵は、五輪書で『それぞれの道を全力で歩む』ことの大切さを説いた。頭で考え過ぎるのではなく、その日その瞬間に全力を尽くし、それを積み重ねることの重要性を武蔵は『空』と表現したのではないか」(礒田氏)
AIの進化は速く、サイバー攻撃も絶えず変化する。セキュリティ担当者はリスク対処と事業成長の両立という難しい課題に向き合い続けなければならない。その結果、燃え尽き症候群に陥る人もいるだろう。それでも礒田氏は「燃え尽きるのではなく燃え続けてほしい」と強調した。「日々改善を積み重ね、人と組織を前に進めることはAIには代替できない仕事だ」(同氏)。
五輪書になぞらえて語られた今回の講演を通じてGartnerが示したのは、AI時代に求められるのは新しい技術だけではないということだ。ガバナンスを土台に、変化へ適応し、AIを使ってAIを守り、人と組織の知見を結び付けながら学び続ける。その積み重ねこそが、AIには代替できないセキュリティリーダーの役割であり、「空」の境地につながるというメッセージだった。
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