PC用プリンタの死角川俣 晶2001/01/13 |
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ちょっとした事件
2000年12月、PC用のプリンタ業界に、ちょっとした事件が起きた。アルプス電気(株)が、「マイクロドライ プリンタの販売チャネル変更のお知らせ」というアナウンスを行ったものだ。これは、同社のPC用プリンタMD-5500のパソコンショップでの店頭販売をやめ、同社のオンライン販売サイトからのみの販売となることをアナウンスしたものだ。同社のPC用プリンタには、複数の機種がラインナップされていたが、このアナウンスが出された時点で現行商品として残されていたのはMD-5500のみ。これが店頭から姿を消すと言うことは、アルプス・ブランドのPC用プリンタが完全に店頭から姿を消すことになる。
アルプス電気のMD-5500のWebページ |
マイクロドライ印刷方式や、そのメリットに関する解説を読むことができる(MD-5500のページ)。 |
これは、一見、熾烈なプリンタの販売競争に負けた企業が撤退していくだけのように見える。しかし、この事件には見過ごせない問題が残るのである。実は、PC用プリンタの売れ筋機種(トップシェアを激烈に争うエプソンやキヤノン・ブランドの製品)ではできないことが、MD-5500ならできることが、2点あったのである。これを期待する利用者にとって、MD-5500が店頭から消えるというのは、かなり痛い事件と言えるのである。
マイクロドライの意味
現在の売れ筋PC用プリンタは、水溶性のインクを使用するインクジェット方式である。これに対して、マイクロドライ方式では顔料系のインクを使用する。水分を含まないため、紙に吸収されず、滲まない。そのため、印刷可能な素材の範囲が広いのが特徴である。
このような特徴から、模型用のデカール(転写式のステッカー)や、透明フィルムなど、特殊な素材に印刷可能となっている。現在は、インクジェットでも印刷可能な透明フィルムがあるという噂も聞くが、原理的に考えて模型用のデカールに対応することは不可能であると思う。なぜなら、デカールとは水で濡らして透明フィルム部分を台紙から浮かし、模型本体に転写するものだからだ。水で濡らした時点で、水溶性インクでは解け出してしまう。そこにマイクロドライ方式でなければならない必然性がある。また、実際に模型店で販売されている何も印刷されていないクリア・デカールの注意書きにも、インクジェットでは使えない旨が記載されている。このあたりの事情は、ガレージキットの祭典であるワンダーフェスティバルで、特製のオリジナル・デカールを作成して販売する過程で、筆者の自分自身の体験として実感したものである。
実際の使い勝手の面でも、マイクロドライは優秀だ。基本的にインクが乾くと言うことがないので、インクカートリッジをその辺に放置しておいても問題が起きた経験はない。それに対して、インクジェットは、しばらく使わなかったらノズルが詰まってメーカー修理となった経験がある。扱い易さでもマイクロドライに軍配が上がると考えるのは、間違っているだろうか?
他メーカーも気付いていないわけではないが……
実は、トップシェアを争うエプソンやキヤノンも、顔料系インクを用いるプリンタを発売している。エプソンには、MCシリーズという顔料系インクを使用するプリンタのシリーズがあり、キヤノンは黒に限って顔料系インクを採用している。しかし、これらのプリンタは、マイクロドライのように水分のないインクを熱により転写する方式ではく、液体の形でタンクに保持され、インクジェットとして紙に吹き付けられる。そのため、マイクロドライのように何にでも印刷できるというものとは少し違う。マイクロドライ方式そのものは、沖電気がMICROLINE 7050cというA3ノビサイズ対応のモデルを販売しているが、定価24万8000円という、趣味で買うには高すぎるものになっている。
だが、模型製作のためのデカールなら、A4程度のサイズで充分である。MD-5500が店頭なら消えるということは、この種の趣味用に適した「A4+マイクロドライ」という条件を満たした比較的安価なモデルが店頭から消えてなくなるということを意味する。
熱昇華の愉悦
MD-5500には、マイクロドライ方式のほかに、もう1つの顔がある。それは、オプション・ユニットを追加することで実現される熱昇華プリンタとしての顔である。
以前、筆者は知人と各自の所有するプリンタの出力を持ち寄って画質を比べるというイベントを行ったことがあった。そのときの感想で言えば、最も美麗であったのが、ピクトログラフィーによって印画紙に出力されたものであった(富士フィルムのピクトログラフィーのページ)。しかし、これは個人所有できる代物ではなく、職場の機材による出力というものであった。これに、色再現範囲でやや見劣りするのが、MD-5500の熱昇華モードの出力であった。そして、それ以外のインクジェット・プリンタの出力は、これと比較して、かなり見劣りするものであった。ピクトログラフィーとMD-5500は、性能差があるとは言え、同じ基準で比較ができた。だが、インクジェット・プリンタは、同じ基準では比較の対象にならなかった。
具体的に、どこが違うのか。それは色再現方法の深さである。たとえば、肌色の微妙なグラデーションなどをじっくり見ると一目瞭然である。インクジェットは基本的に、点の粗密で中間調を表現する。インクの数を増やし、発射するインク量をコントロールすることで画質改善が進んでいるものの、表現の基本が「点」であることは変わっていない。それに対して、熱昇華印刷は、完全にピクセル単位での階調表現が可能となっている。
これはパソコンの画面でいうと、インクジェット方式は16色程度の表示能力しかないビデオ・カードを用いて、ディザリングで中間調を表示しているような状態である。インクジェット・プリンタでは、点の大きさを小さくすることで、点の集まりであることを意識しないで見えるようにしているのだが、ちょっと注意して見ると、すぐに点が見えてしまう。これに対して、熱昇華印刷は、パソコンの画面でいうと、フルカラー・モードで表示している状況で、拡大してもディザリング用の点は見えず、グラデーションはすべて滑らかにつながって見える。
筆者の実体験として、200万画素以上の高画素デジカメのデータを打ち出した場合の印象で言うと、インクジェット方式では撮影データの情報量を完全に伝え切れていないと感じるが、熱昇華方式だと、デジカメのデータではプリンタの表現力の限界まで情報量を提供できていない、と感じる。
熱昇華方式のデメリットとしては、用紙もインクカートリッジも専用品が要求されるため、割高になる点が挙げられる。そのため、スナップ写真を大量に複製して打ち出すとか、年賀状を数百枚印刷する、というようなニーズには向かない。だが、デジカメで特に上手く撮れた作品を額に入れて飾ろう、というような状況なら、絶対に熱昇華方式の方がよい、とデジカメマニアでもある筆者はヒシヒシと感じているのである。
実は、現在のインクジェット・プリンタが指向する写真に近づけるという動きには、自己矛盾が含まれている。限られた色の点の集まりとして写真を再現するのは、印画紙ではなく、印刷会社が行うカラー印刷に近いものなのである。印画紙には、中間調をそのまま記録する能力があるので、印画紙の境地を目指すなら、インクジェットよりも、熱昇華方式の方がはるかに相性がよいのではないだろうか?
さて、少なくとも筆者の知るかぎり、素人が趣味のために買える範囲内の価格帯で、A4サイズの用紙に出力できるPC用熱昇華プリンタとしては、MD-5500+熱昇華オプションが唯一のものであると認識している(間違っていたら指摘していただきたい)。これが店頭から消えることは、インクジェット方式の画質で物足りなくなったハイエンド・アマチュアのための受け皿となる機種が店頭から消えるということを意味する。はたして、これでよいのだろうか?
結論
パソコンショップのプリンタ売り場には、ぜひ以下のようなモデルが並んでいてほしいと思う。
まず、デカールなど特殊素材に印刷できるマイクロドライの低価格プリンタ。低価格とわざわざ断ったのは、ガンダムのプラモデルを作っている高校生が頑張れば買えるような価格帯であってほしいと願うからだ。
もう1つは、インクジェット方式では満足できなくなったハイエンド・アマチュア向けの熱昇華プリンタ。利用目的は、ここ1番の最高傑作出力用と考えられるので、ランニング・コストは高くても、本体価格を抑えてほしい。用紙サイズはA4程度の大きさがあれば、かなり楽しめるが、A5サイズでは小さすぎる。
以上は、現在の筆者の考えを記したものである。ただし、かなりマイナーなニーズに沿った話題であることは、ここに明記しておく。一般のパソコン・ユーザーが購入するなら、エプソンのPMシリーズや、キヤノンのBJシリーズなどの方がトータル・バランスに優れ、満足度も大きいと思う。実際、筆者が、写真を趣味とする父に昨年プレゼントしたのは、エプソンPM-820Cであったという事実は付記しておく。
筆者はいろいろな機会で、いろいろなプリンタの出力を見る機会に恵まれているものの、この広い世界のすべてを知っているなどと言うつもりはまったくない。もし、こんなプリンタをこう使えば、こんな結果が得られるぞ、という意見があれば、ぜひ編集部宛にお寄せいただきたい。筆者はプリンタに関する1ユーザーにすぎないので、特定メーカーや特定の方式だけを応援するつもりはない。個人でも出せる範囲内の金額で、いちばんよい結果を得られる方法を知り、読者の方々と共有できれば、それが最もハッピーな結末だと思う。
川俣 晶(かわまた あきら)
株式会社ピーデー 代表取締役、日本XMLユーザーグループ代表、INSTAC XML SWG 委員。1964年東京生まれ。東京農工大化学工学科卒。学生時代はENIXと契約して、ドラゴンクエスト2のMSXへの移植などの仕事を行う。卒業後はマイクロソフト株式会社に入社、Microsoft
Windows 2.1〜3.0の日本語化に従事。退職後に株式会社ピーデーの代表取締役に就任し、ソフトウェア開発業を始めるとともに、パソコン雑誌などに技術解説などを執筆。Windows
NT、Linux、FreeBSD、Java、XML、C#などの先進性をいち早く見抜き、率先して取り組んできている。代表的な著書は『パソコンにおける日本語処理/文字コードハンドブック』(技術評論社)。最近の代表作ソフトは、携帯用ゲーム機WonderSwanの一般向け開発キットであるWonderWitch用のプログラム言語『ワンべぇ』(小型BASICインタプリタ)。
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