連載 構図が変わる
第1章 ASP was born(1)
吉田育代
2000/05/22
すべての発端はシトリックス |
そもそも、ASP、アプリケーション・サービス・プロバイダというビジネスモデルを考え出したのは米国シトリックス・システムズ(以下、米国シトリックス)である。その漠然とした考えは、すでに米国シトリックスの中では1998年初頭ごろからあったようだ。
株式会社エム・ピー・テクノロジー代表取締役社長の吉本万寿夫氏 |
それを証言するのは、株式会社エム・ピー・テクノロジー代表取締役社長の吉本万寿夫である。当時、吉本は米国シトリックスの日本法人設立の手助けをしていた。具体的には、米国企業の日本進出をサポートする企業が米国シトリックスから仕事を受注し、そこの社長と個人的に親しい吉本が手伝ったということなのだが、米国シトリックスの日本法人設立は、吉本にとっても待ちに待っていたことだった。エム・ピー・テクノロジーではそれまで、ネットワーク・コンピュータの初代モデルの原型となった英国エーコーン社シンクライアント端末を日本総販売代理店として扱っていた。その製品の中に入っていたのが、米国シトリックスの英語版WinFrameクライアントソフトウェアである。Windowsアプリケーションをサーバー側に置き、リソースの少ないシンクライアント環境で操作できるという同社のソフトウェアは、デモをすると必ず受けた。日本でも確実に市場はあると思われたのだが、いかんせん日本語版の開発予定がまったく立っていなかった。それがようやく日本法人を設立するという。シトリックス製品のディストリビューターでもあった吉本としては、これでやっとビジネスが本格的に始められるという思いだった。
この一連の日本法人設立の動きの中で、米国シトリックスの会長であるエドワード・ヤコブッチが何度か来日した。彼はかつて米国IBMでOS/2を開発した責任者であり、米国では伝説的な人物である。そのヤコブッチが、あるとき吉本にふとこう漏らした。
「体育館みたいな巨大な施設の中に、大きなサーバーをずらりと並べた大規模なデータセンターを作って貸そうと思っているんだ」
「そのデータセンターで具体的に何をするというところまで彼は話さなかったが、今にして思えば、あの時点でASP構想の萌芽のようなものはあったのだと思う」(吉本)
体育館に並ぶ巨大なサーバー群、という話を聞いて、吉本は直感的におもしろいアイデアだと思った。だが、そこでの話の主題は日本法人の設立に関してであり、会話はあくまで雑談程度のものだった。
シンクライアントを活性化させたWinFrame |
吉本がその頃進めていたエーコーンのシンクライアント端末の商談の一分野に、地方自治体があった。住民サービスや地域開発の一環として、PCより操作のやさしいシンクライアントを利用できないかと考えた地方自治体は多く、有望な市場といえた。ここでシステムインテグレーションを行っていたのが株式会社NTTデータ 公共地域ビジネス事業本部。その部員である奥野克仁はマシンのデモなどでよく吉本と行動を共にしていた。
シンクライアントであるWinFrameの可能性に魅せられた人物の一人、NTTデータの奥野克仁氏 |
吉本と奥野の出会いは、その数年前の神奈川県港北ニュータウンにおけるケーブルテレビプロジェクトにさかのぼる。それは約1000世帯の居住者向けにホームバンキング、エレクトロニック・コマース、ビデオ・オン・デマンド、ビデオカンファレンスなどのフルサービス機能をセット・トップ・ボックス型のシンクライアント端末で実現しようという意欲的なもので、数十億円もの予算がかかった一大プロジェクトだった。ただ、この頃のシンクライアント端末はまだPCを改良したもので、独自に開発したプログラムがサーバー側ではなくクライアント側にあった。そのために奥野は大変な思いをした。というのも、奥野はこの港北ニュータウンプロジェクトに企画から関わったメンバーとして、サービス提供期間中ももう1人のスタッフとともに自らテクニカルサポートを行ったのだが、不幸なことにこのセットトップボックスがよくダウンした。ソフトウェアが原因であることが多かったのだが、とにかく連絡を受けると、奥野たちは出向いていっていちいちソフトウェアを設定し直さなければならない。1000世帯もあると、それは毎日どこかしらで起こっていた。奥野らはサポートに追われ、きりきりまいをしていたのである。このとき、問題はクライアント側にプログラムがあることだと、奥野はつくづくと感じた。「これがサーバー側にあれば、何かあっても手元で再設定するだけで済むのに」そう思っていたという。
だから、ずっと後になって英国エーコーンのシンクライアント端末に入っていたWinFrameを見たときは、奥野は「これだ!」と思い、即座に市場性を感じた。サーバー側にプログラムが載せられるうえに、しかもWindowsアプリケーションが動くから、すべてをゼロから開発する必要もない。専門技術者ではない多くの人々が関わる公共向けITサービスという分野では、特にこれは重要なことで、吉本と奥野は共に米国シトリックスの技術を追いかけた。
サブスクライブ・コンピューティング |
1998年9月、米国フロリダ州オーランドで米国シトリックスはビジネスフォーラムを開いた。吉本と奥野はこれに参加したが、もちろんそれはMetaFrame(Windows NT 4.0バージョンの製品発表にともない、改称)の最新情報を入手するためだった。
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話を聞いて、以前に大手のメインフレームメーカーにいた吉本は“昔の計算センターと同じ発想だ”と思い、若い奥野は“コンピューティング環境の革命だ”と思った。しかし、どちらも“これはきっと将来大きな潮流になる”と考えた点では一致していた。
翌10月に開かれた米国カリフォルニア州モントレーでの米国シトリックスのビジネスフォーラムでは、同社は“サブスクライブ・コンピューティング”というタイトルのセミナーを行った。その時点でもまだコンフィデンシャルではあったが、公の場で同社がこのビジネスモデルについて言及したのは、これが初めてだった。この後、ケネディはASPインダストリー・コンソーシアムという業界団体の設立に向けて一気に走り出す。
ちなみにアプリケーション・サービス・プロバイダ、ASPという名称は、ケネディが米国IT情報専門誌「インフォワールド」の記者に構想を話したとき、“そういうビジネスのことをどう呼ぶのか”と聞かれて、とっさに答えたものなのだという。これ以降、ASPはマイクロソフトのアクティブ・サーバー・ページズよりはるかに汎用性を持ったキーワードとして、IT業界を席巻していくことになる。
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