連載 構図が変わる
第1章 ASP was born(2)
吉田育代
2000/05/22
日本のITビジネスを吹き飛ばす!? |
ちょうどその頃、この年の春に誕生したばかりのシトリックス・ジャパンに、後に代表取締役社長となる田中正利が、戦略担当ディレクターとして入社していた。彼はモントレーでのビジネスフォーラムに参加し、吉本と出会う。宿泊先のホテルで、飲みながら二人はASPの印象を話し合った。「非常におもしろい。これまでの日本のIT産業を根底から変えてしまう可能性がある。ぜひ我々も導入を考えるべきだ。しかし、日本では一体どのように発展させていったらうまくいくのか?」 まだ、業界団体を立ち上げるという話ではなかった。それぞれの立場でASPにどう取り組んだら成功につながるかについて、夜の更けるのも忘れて口角泡を飛ばしていたのだ。
ASPが業界に与えるインパクトを痛感したシトリックス・ジャパン代表取締役社長の田中正利氏 |
翌11月、田中は米国本社の戦略ミーティングに呼ばれた。そこにはケネディがいて、彼はいきなり、すでにASPモデルで推進している20のケーススタディの話をした。その一例でニューヨークの証券会社が、ノルウェーにサーバーを置いて顧客管理をしていると聞いて、正直なところは“そこまでサーバーとユーザーを離さなくても”と思ったそうだ。しかし、ケネディは説明した。「ノルウェーの方が米国より治安がよく、電力事情が安定している。人件費も安い」
その他の例も、ネットワークやアプリケーションの種類こそ違ったが、国というボーダーにとらわれず、提供者にとっても、ユーザーにとっても最適な場所にサーバーロケーションを求めた事例だった。
田中はショックを受けた。これを日本で展開されたら、日本のITビジネスなんて吹き飛んでしまうと思ったのだ。東京などというのは、土地は高い、人件費は高い、しかも慢性的な技術者不足に悩んでいる。もし、シンガポールやインドのIT企業が良質のアプリケーションサービスを低価格で提供したら? 「Webを見て、お試しいただいて、いいと思ったら、アメックスのカード番号を入力してください。明日からすべてのWindowsアプリケーションをネット上でご利用いただけます」とオファーしたら? 少なくとも、ある種のソフトウェアベンダーやリセラーやシステムインテグレータは、淘汰の危機にさらされる。「日本のIT産業とIT市場を守るためにも、我々も動き出さなければいけない」という焦燥感を、田中は強く抱いた。
米国でコンソーシアム発足 |
トレバーは、大きなストライドでずんずんと進んでいた。1999年3月に開かれたビジネスフォーラムの際には、コンソーシアムはすでに骨格ができており、第一プライオリティに分類されたITベンダーとの間で、具体的なビジネス展開についての話し合いに入ろうとしていた。トレバーは吉本に「ASPで必要なサービスレベルやセキュリティなど、さまざまな技術の標準化を実現し、ISO標準に持ちこむんだ」と熱っぽくゴールを語った。シリコンバレーは、通常の数倍のスピードで時間が流れている。いったん何かすばらしいアイデアが提示されると、経営者たちもベンチャーキャピタルたちも一瞬のうちに意思決定を行い、独自に構築された親密な人脈を伝わってあれよあれよという間に伝播していく。「ちょっと持って帰って、社内でもんできます」という人などいない。今日決めたことが、もう明日には動くのだ。
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しかし、米国で旗揚げしただけでは、彼は満足しなかった。世界第二のIT市場である日本でのASP普及とコンソーシアム設立をにらみ、彼は「日本のIT企業関係者に説明したい」と田中らに見合いの場をリクエストした。
田中と吉本、そして奥野は、トレバーの意向を受け、日ごろビジネスでつながりのあるハードウェアベンダー、ソフトウェアベンダー、システムインテグレータ約50社に声をかけて、6月4日、赤坂で会合を持った。
そこでトレバーが話した内容に、反応はさまざまだった。今ひとつ興味を示さず、さっさと帰った人もあれば、「いい話を聞いた。ぜひ一緒にやらせてほしい」と感激する人もいた。この時から、田中らは正式に日本でのASPインダストリー・コンソーシアム設立を考え始める。現在、同コンソーシアムで理事を務める、三菱電機株式会社 リビング・デジタルメディア事業本部 事業開発営業部次長の寺崎信夫や日本ビクター株式会社マルチメディア事業開発室ネットワークシステム戦略統括部長 峯松万尚、株式会社ヴァル研究所顧問の山田靖二らはこのとき合流したメンバーである。
サービスモデル作り、技術の標準化や会員企業間の情報共有といった会の使命や目的などは比較的早い時期で明確になった。しかし、難航したのは会長人事だった。当初は理事の誰かが立てば、と簡単に考えていたのだが、しかるべき企業のしかるべき地位の人物を立てないとコンソーシアムとしての重みが持てないという反対意見が出て、人選が暗礁に乗り上げる。それでなくてもそれぞれ本業を持って多忙な身で、なかなか全員揃うチャンスを持てなかった。国会の牛歩戦術ではないが、歩みは一瞬止まったかのように見えた。そんなとき、彼らは知るのである。自分たちと同様のことを考えた団体がいることを。率いていたのは、ユーユーネット・ジャパン株式会社
代表取締役社長 杉山逸郎だった。
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