ユビキタス原理主義

山崎俊一
2002/12/12

 ユビキタス・コンピューティング(Ubiquitous Computing)は、「何でもどこでもコンピューティング」などと訳されている(「ubiquitous」は「至る所にある」という意味)。次世代コンピューティングの最有力候補だと思うけど、無線LANやネットカフェの宣伝文句と誤解されていたりもする。

 ユビキタスを提唱したのは、XEROX PARC(Palo Alto Research Center)の研究者、マーク・ウェイザー(Mark Weiser)氏で、国防総省の資金援助(ARPA:Advanced Research Projects Agency)による研究だった(1986年ごろ)。が、このときはPARCもARPAも積極的ではなく、ウェイザー氏はPARCを一度去ることになる(後に復職)。

XEROX PARCのミュージシャンたち

 その後、1990年代になってユビキタスは復活する。そのきっかけを作ったのは、当時Apple社に属していたアラン・ケイ(Alan Kay)氏と、その仲間たちだった。この経緯は、ダグラス・エンゲルバート(Douglas Engelbert)氏のハイパーテキストの復活と、不思議なほどよく似ている。

 ちなみに、ウェイザー氏は自称クラブ・ミュージシャン(ドラマー)でもあった(そのバンドのサイト)。この点もまた、PARCの先輩で、ジャズギター奏者でもあるアラン・ケイと似ている。

 ただ、惜しいことに、ウェイザー氏は1999年4月27日、ハンググライダーの墜落事故で逝去された。遅ればせながら、ごめい福を祈ります。

1人にたくさんのCPU

 以下の図は、ウェイザー氏が描いた基本構図である。

ウェイザー氏が提唱した「コンピューティングの潮流」
原典はこちら
http://www.ubiq.com/hypertext/weiser/NomadicInteractive/Sld003.htm

 すなわち、コンピュータの産業化は、1940年代の軍事開発から始まり、60年代にメインフレーム・コンピューティングが確立した(緑の線)。1台の大型コンピュータが多数のユーザーを受け持つ、というのがそのモデルである。

 やがてマイクロ・コンピュータが誕生し、Apple II(1976年)で示された「パーソナル・コンピューティング」がIBM-PC(1981年)以後、広く定着した。以来、今日も「1人に1台」がキーワードとなっている(青い線)。

 ウェイザー氏が注目したのは、さらにその先の時代である。「1人に1台」の先は「1人にたくさん」のCPUに違いない。1人のユーザーが数百、数千、無数のCPUを支配する時代が来るかもしれない。それをUbiquitousつまりCPU遍在と呼ぼうというのだ(赤い線)。

第3の計算機パラダイム

 この考え方を、アラン・ケイ氏は「第3のパラダイム」と呼んでいる。もちろん、第1のパラダイムがメインフレーム・コンピューティングであり、パーソナル・コンピューティングが第2のパラダイムに当たる。それがPC革命と呼ばれたのと同様に、あるいはそれ以上に、ユビキタスは時代を変えることになる、と彼は予測した。

メインフレーム時代のコンピューティング(右)とPC時代のコンピューティグ(左)
メインフレーム時代は1台のコンピュータを複数のユーザーで共有して使い、PC時代は1台のコンピュータを1人のユーザーが占有するようになった。
 
ユビキタス時代のコンピューティグ
ユビタス時代には、1人のユーザーがいくつものコンピュータを使うことになる。

 実際、ぼくらの周りを見直せば「1人1台」どころか、携帯電話にカーナビ、家電製品など、多数のマイクロ・コンピュータが遍在している。

 例えば、筆者がいつも利用する小田急線では、携帯電話からインターネット経由で予約乗車できる「特急チケットレス・サービス」がある。鉄道各社や国内航空も同じようなサービスを始めているが、「いつでも、どこにいても」予約できるので、駅の窓口や券売機に並ぶ手間、ヒマが省ける。車掌さんも車内改札の必要がなくなった。そんな形で、ユビキタスは浸透している。

無形のユビキタス

 PCとは違って、ユビキタスなコンピュータは姿形がなかったりする。例えば、書類や食材パッケージや衣類のタグなどにICチップを埋め込むことが検討されている。

 この種のチップは非接触ICチップとかICタグなどと呼ばれ、簡単な通信機能と識別データを備えている。これで、例えば偽造不可能な有価証券を作れるだろう。農水省がその気になれば、牛肉パックから生産者名が読めるようにもできるだろう。その延長で、冷蔵庫に何がどれだけ入っているかを知ることもできるようになる。実際、そんな用途のために、0.4mm角の粉末みたいなICも製品化されている。

日立のミューチップのニュースリリース

2005〜2010年ブレイクアウト説

 コンピューティングのパラダイムは、ほぼ20年周期というのが定説らしい。前出の「コンピューティングの潮流」でも、メインフレームのピークは1980年ごろ、パーソナル・コンピュータのピークは2000年ごろになっている。この理屈でいけば、ユビキタスの産業化は2005年から2010年あたりと予想される。例えば、日本の総務省は、その市場規模を300兆円(2005年)、800兆円(2010年)と試算している。この数字は日本の国家予算の10倍に当たる。日本の産業復活に向けて期待もある。ただし、9/11(同時多発テロ)の余波がここにも影響してきている。

戦場のユビキタス

 マーク・ウェイザー氏以来、米国防総省はユビキタス・テクノロジ開発を支援し続けていた。しかも、昨年9月以後のテロリズム対策が追い風になっているように見える。

 例えば、最前線の兵士1人1人がワイヤレス端末を装備し、戦闘管制システムに常時接続する。ヘルメットに画像センサーとゴーグル状ディスプレイを搭載し、目線の動きで照準を定めることができるらしい。必要な場合、その画像は米国本土の作戦指令スクリーンにも表示され、洋上のミサイル艦とも連動する。つまり、米軍は戦場もユビキタス化している。

戦わないユビキタス

 そういえば、アフガニスタンやイラクでたびたび撃墜されて話題になった無人偵察機(UAV:Unmanned Aerial Vehicle)「プレデター」も、ユビキタス戦闘系の一端をなす(写真)。

無人偵察機 RQ-1 Predator
戦場のユビキタス化の一端をなす無人偵察機。交通情報の収集目的などとして、民間応用される日はくるのか? 出典:DoD 2001、October。

 この機種は、武器は持たず、偵察のために敵地上空を低速、低高度で飛ぶ。従って頻繁かつ簡単に撃墜される。だから、3名一組の乗員は絶対安全な米国本土ネバダ州の基地にいて、衛星経由の無線リモコンで操作する。4機一組で計55名の部隊が24時間連続監視を続ける。つまり、センサー・ロボットの複合システムなのだ。

 プレデターには、ミサイルを搭載したモデルもある。しかし、むしろ注目されているのは民間への技術移転だ。例えば地震や洪水、噴火などの危機管理に、この種のセンサー・ロボットが活用されてユビキタス時代を支えることになるだろう。

 写メールに羽根が生えた程度の超小型ラジコン機を大量に製造して、主要交差点上空に飛ばし、あたかも昆虫の複眼のように、都市交通の渋滞状況を把握しようといった構想もあって、カルフォルニア大学バークレイ校などで研究が進められている。

 いつか平和が戻って、サンフランシスコや東京上空に、無数のプレデターがゆらゆら漂うようになるのだろうか。タマちゃん探しにもよい。なんか丸顔で、ちょっと似ている。

それでもやっぱりWindows

 さてそこで問題は、ユビキタスの時代にPCはどう変化するのか? ということだ。

 あまり急激な変化を予測する人は少ない。少なくとも当初は、現在のPCアーキテクチャとWindowsが継続して使われるのだろう。

 むしろ注目されるのは、そのメモリだ。電源を遮断しても内容を維持できるような、不揮発性の高速RAMへの期待が強い。不揮発性RAMなんて書くと、誤解か誤植かと思われるかもしれないが、これは真剣な話であり、磁性体メモリ開発が日米で進められている。すると、Windowsが数マイクロ秒で立ち上がるというのだが、この話、次回に続きます。End of Article


山崎俊一(やまざき しゅんいち)
CD-ROMの標準化やSGMLの標準化作業に参加。ドキュメンテーションとコンピューティングの接点で古くより活躍する。またパーソナル・コンピュータの可能性にいち早く注目し、MacintoshやMS-DOS、Windowsのヘビーユーザーとして、コンピュータ関連雑誌、書籍などで精力的な執筆活動を展開、業界の隠れた仕掛人である。

「Opinion」



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