第160回 ウェアラブルによるスマホ補完計画始動:頭脳放談
最近、ウェラブルに注目が集まっているようだ。ただ一口にウェラブルといってもさまざまなコンセプトがあるようだ。それぞれのコンセプトについて考えてみた。
このところ「ウェアラブル」に脚光が当たってきたようだ。長年この手の分野に携わってきたプロにいわせれば「ウェアラブル」なんぞ、とっくの昔からやっておるわい、というところであろう。しかし、残念ながら最近になって急に脚光が当たるのは「本命」と目される方々が登場してきたからに違いない。直近ではSamsung ElectronicsがGalaxyの名を冠するシリーズに腕時計型デバイス「GALAXY Gear」を発表した(Samsung Electronicsのニュースリリース「Samsung Introduces GALAXY Gear, a Wearable Device to Enhance the Freedom of Mobile Communications」)。スマホ補完計画という感じか。
Samsung Electronicsの腕時計型デバイス「GALAXY Gear」
GALAXY Note 3などとBluetoothで接続し、メールやメッセージの着信、スケジュールなどが確認できる。またバンドに組み込まれたカメラで撮影し、直接SNSに送ることもできるという。
このところスマホ偏重の限界が取りざたされているSamsung Electronicsではあるが(韓国全体のGDPの2割を稼ぐ会社の過半の利益がスマホから来ているのだから耳目を集めることはいうまでもない)、世界市場スマホ最大手のSamsung Electronicsだからこそ当然ともいえる一手に見える。飽和しつつあるスマホの収益改善の次の一手か? というわけだ。
また、そのちょっと前に話題となっていたのがGoogle Glassである。やはりGoogleの考えることはちょっと普通の会社と違う、普通と違う世界(市場)が開けるのではないかということになって、みんなが寄ってたかって「メガネ」にトライしているという感じである。
そして、まだ登場していないが、繰り返しその名が出るのがAppleである。やはり腕時計型を投入するであろうとの見通しである。このところスティーブ・ジョブズ氏在世のころのキレはないが、いまだAppleならカッコいいはずという期待(あるいは信仰)があるに違いない。忘れていけないところでは、ソニーも腕時計型をやっているし、スマホ市場でのシェア拡大に苦しむIntelまでもが、次はウェアラブルみたいなことをいっているようだ。まあ、メジャー・プレイヤーそろい踏みという感じである。昔から細々とウェアラブルしていた泡沫(失礼)な各社は吹き飛ばされそうな勢いである。
さてウェアラブルなどと一口でいうが、そこには異なるコンセプトがいくつか存在しているように思われる。メガネ型か、腕時計型か、それ以外かといった装置の形態ではない。ユーザーが何に価値を見出すのかという点であり、考え方である。付加価値そのものといってもよい。それゆえ、いくつかの異なるコンセプトが1つの装置に盛り込まれることもままありえる(一般にコンセプトを沢山盛り込めば焦点はボケるのであるが)。
第1のコンセプトは分かりやすい。無邪気といっていい。端的にいえば、身に着けているものだから何かと便利という考えだ。わざわざ取り出して何かしなくても直ぐに何かができる。スマホを取り出さなくても通話できたり、メールが読めたりするような機能がこれにあたるかもしれない。しかし、四六時中スマホを握って眺めている昨今の風潮からすると、腕時計型の小さな画面で納得するとも思われないし、便利だと思われるかは微妙だ。どこに置いたか忘れたスマホを見つけ出すのには重宝しそうではあるが。
腕時計型に関していえば、根強い別な観点もある。ご先祖である「純粋腕時計」分野では、電波時計やソーラーなど機能面では世界をリードしてきた日本の腕時計大手(各社の腕時計分の売り上げは2000億円に届かないのではないか)に対して、機能だけを比べれば勝っているとは思われないスイスの時計メーカーの方がはるかによい商売をしている(総額であれば2兆円を超えるらしい。単価では日本メーカーとは比べものにならない)からだ。それは宝飾品的な、あるいはブランド的な「価値」であって機能ではない。身に付けるものだからそこに「一目で分かる価値」がほしいわけである。ウェアラブルでこれができるとすれば、Appleくらいだろうか。
第2のコンセプトは、身に着けているものだから、人体に関する何らかの機能を付加価値とするという考えである。ここでもご先祖として「ランナーズ・ウォッチ」とか「ダイバーズ・ウォッチ」などといった専用ウォッチ群がある。市民ランナーの間でもランナーズ・ウォッチはかなり普及しているから、身体に着けて心拍などを測定し、それを見ながら「適切に運動」するという需要はそこそこあると思う。
一方、血圧やら血糖やらをたまに測るのではなくて、常時モニタすることにも潜在的な需要がありそうだ。何せ生体は変化が大きいので、ときどき測るくらいでは正確に把握しきれないからだ。測り続けることで、医療の質は大きく変わるだろう。しかし、逆にこのあたりは医療との関係があってなかなかハードルが高くなる。
いずれにせよ、第2のコンセプトでは、計測に使うセンサーとソフトウェアがキーになる。生体相手なのでそう簡単ではない。真面目にやればやるほど細分化された用途に細く長くの商売となろう。堅実な需要はあるが、みんなが同じものを必要とするわけではないので大ブレークはないと思う。何か盛り上げ方を考えれば一時的な流行になるかもしれないがキワ物でしかないだろう。
第3のコンセプトは、ライフログ的な24時間365日、ネットにつながって写真に動画、音声、もろもろのデジタル・データを保存し、またやりとりし続けたいという考えである。このあたりになるとご先祖のデバイスとは一線を隔してモダンな感じではある。ブログ、SNSの先に来るものといってもいいだろう。当然のことながら、ウェアラブルを基盤とした、TwitterやFacebook、LINEなどの先に来るサービスを提供できないとダメである。こちらではウェアラブルな装置を作って売るより、サービスを提供した方が儲かりそうだ。しかし、昨今の飲食業関係でおバカな写真をアップして問題になっている事例を見ていると、「そんなことして本当に大丈夫か?」とも思えてくる。のべつまくなしに、写真やら動画など送っていると、とんでもないことにならないか心配である。
そして第4のコンセプトは、脳や神経に近付いてインターフェイスをとるというものだ。勝手な想像だがGoogleあたりが将来の目標にしているのはこちらだろうか。端的にいえば脳をもネットワークに接続したいが、「いまのところ」電極を首につなげるわけにもいかないので、とりあえずウェアラブルで距離を縮めるということだ。直接網膜に接続できなければその近く、できれば入力も脳になるべく近いところから取り出したい。情報のネイチャーからすれば本道かもしれない。ウェアラブル「コンピューティング」こそ人類の新たな進化の小さな一歩と持ち上げることもできる。しかし直近では、ますますネット依存の人々を増殖させるようで怖い。Googleの思うツボか。まあ、そんなことを怖がる人はこの文章など読んでくれていないかもしれないが。
筆者紹介
Massa POP Izumida
日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部などを経て、現在は某半導体メーカーでヘテロジニアス・マルチコア・プロセッサを中心とした開発を行っている。
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