「日本のインターネットの父」が語る六賢者との思い出とインターネット後の未来:Webの過去、現在、そして未来(前編)(1/2 ページ)
「Webの誕生」から25年、村井純教授が語ったのはWebに関わる全ての者たちへのメッセージだった。記念イベントの模様と優勝賞金100万円の「HTML5 Japan Cup」開催概要もお届けする。
Webに関わる全ての君たちへ
日ごろ、Web上での開発やサービス提供に深く関わっている人であっても、「1989年3月12日は何の日か?」と問われて、即答できる人はそれほど多くないのではないだろうか。
実はこの日は、W3C(World Wide Web Consortium)が公式に定めている「Webの誕生日」なのだそうだ。Webの共同考案者であるTim Berners-Lee氏が、CERN(欧州原子核研究機構)において、後にWebの原型となるハイパーテキストプロジェクトの提案を行い、承認された日に由来するという(参考:The original proposal of the WWW, HTMLized)。
この「Webの誕生」から25年目に当たる2014年、W3Cでは「Web誕生25周年」を記念したイベントを世界各国で展開している。日本においては3月13日、東京港区のグリーにおいて、Web開発者コミュニティである「html5j」とW3Cとの共催による記念イベント「第46回HTML5とか勉強会 - Web生誕25周年記念イベント」が開催された。
「Webの過去、現在、そして未来」と題されたこのイベントには、長らく日本におけるインターネット、Webの発展に尽力してきた慶應義塾大学環境情報学部教授の村井純氏、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科特別招聘教授の夏野剛氏らが出席。今やあらゆる人々の生活に不可欠な情報インフラとなったWebの「これまで」と「これから」について、「バースデイパーティ」らしい、くだけた雰囲気の中で意見が交わされた。この記事では、その一部のセッションの模様をダイジェストでお届けする。
優勝賞金100万円の「HTML5 Japan Cup」、4月14日開幕!
村井氏のセッションの前に、html5j.orgの管理人である白石俊平氏より発表された、Web生誕25年を記念したWebデザイナー、Web技術者向けのクリエイティブコンテスト「HTML5 Japan Cup」開催のニュースをお届けしておこう。
コンテストの応募期間は、2014年4月14日〜6月16日の約2カ月間。既に数十社のスポンサーによる協賛が決定しており、最優秀賞1作品には100万円、優秀賞3作品には各20万円の賞金が贈られる。また、協賛企業/後援団体賞(賞金最大20万円)なども用意されている。結果発表は7月26日を予定している。
協賛企業/後援団体賞としては、「テーマ賞」(スポンサーが提供するテーマに沿ったアプリ/サイト)、「プラットフォーム賞」(作品が動作するプラットフォームごとに贈られる賞。クロスプラットフォームの作品を応募すれば受賞可能性がアップする)、「ライブラリ・API・ツール賞」(スポンサーが提供するライブラリやAPI、ツールを使用したアプリ/サイトに贈られる)などが予定されており、多くの作品に賞金、商品獲得のチャンスが用意されているという。
この「HTML5 Japan Cup」の開催に併せて、html5j.orgではハッカソンなどのイベントも多数開催していく計画だ。イベント開催においてサポートを行うボランティアも募集している。HTML5 Japan Cupの最新情報については、Facebookページおよび、Twitter(@html5j)でも、随時発信されるので、コンテストへの応募やイベントへの参加に興味がある人はぜひチェックしておいてほしい。
「2014年のこのイベントを通じて、日本のWebデザイナーや技術者を熱くしたい。これをきっかけに、日本が世界のWebシーンをリードする存在になっていくことを信じて、イベントにサッカーのワールドカップを連想させる“Japan Cup”という名を付けた。ぜひ多くのWebデザイナー、技術者に参加してほしい」(白石氏)
村井教授が振り返るインターネットの45年と「アフターインターネット」の時代
記念イベントのオープニングは、村井純氏による「Web25年 Internet45年」と題されたセッション。約30分という短い時間の中で、村井氏がこれまでに見つめてきたインターネットの変遷と、出会ってきた多くの「ネットのキーパーソン」との思い出が凝縮して語られた。
インターネットの45年
1969年にベル研究所によって「UNIX」が開発され、インターネットの起源となるコンピューターネットワーク「ARPANET」が構築されて以降、今日までのインターネットは、大きく「技術の時代」「商用化の時代」「リスクの時代」「全ての人が使える時代」という変遷をたどってきたという。
中でも「技術」の観点から、「特にインターネットに関わる人には覚えておいてほしい」と村井氏が語ったのは、カリフォルニア大学バークレー校による派生版UNIXである「BSD」の登場と、1982年の「4.2BSD」でTCP/IPがデプロイされることによる「ネットワークOS」の萌芽についてだった。これが、後の爆発的なインターネットの拡大にとって重要な意味を持っていたのだという。
「その当時、多くの大学ではDECのVAX-11にBSDを入れて動かしていました。そのBSDに通信プロトコルであるTCP/IPのソースコードが標準で入ったことによって、一斉にそれらがネットワーク上でつながってしまったのです。こうした環境があったことが、後のWebの誕生に大きな役割を果たしました」(村井氏)
1990年代の前半から後半にかけて、インターネットの商用利用が進み、Webはビジネスのプラットフォームとして利用されるようになる。潤沢な資金がWebに注ぎ込まれ、その中から多くの「ネット企業」が生まれ、その中の幾つかは大きな成功を収めた。
ITシステムの「2000年問題」や、2001年9月の米国同時多発テロ事件などによって象徴される2000年代は、ネットにおいても「リスクの時代」と捉えることができる。つまり、社会およびビジネスの基盤として、ネットが必要不可欠な存在となったことで、その可用性やセキュリティについての議論が高まった時期である。
「アフターインターネット」の時代
こうした時代を経て、現在、つまり2010年代は「全ての人がインターネットを使う」時代となっている。
村井氏は、ネットワーク機能が組み込まれたインテルのSDカード型コンピューター「Edison」を例に挙げつつ、「ほとんどの人が持っているデジタルカメラの中に入っているようなメモリカードが、それ単独でインターネットにつながる時代がやってきている」と話す。この状況が示すのは、人々がネットにつながるためのコストが大幅に縮小しているという事実だ。
「世界中の80億に迫ろうとしている人々の全てが、インターネットにつながる時代が近づきつつある。インターネットの上では、それらの人々が情報の受け手としてだけではなく、双方向でプロアクティブに何らかのアクションを起こせる。
これは、インターネットが80億人の感覚、創造性、才能、モチベーションを全て集約できる環境になっていくということです。その時に起こる変化は、ちょっと想像ができないものになります。今日、ここに集まっているWeb開発に関わる人たちは、その環境を作ることに携わっているのです」(村井氏)
こうした流れの中で、今後訪れる「アフターインターネット」の時代において、Webに関わる人々は「ネット接続のためのコストやデバイスが限りなく“タダ”に近づいていく中で、どんな世界を作っていくべきか」を意識していくべきと村井氏は言う。
「増え続けるデバイスやセンサーから生み出される、文字通り無限の量のデータがグローバルでシェアされる時代がやってくる。デバイスや環境がタダに近づくことで、これまで、製造や流通に掛かっていた中間的なコストも圧縮され、タダに近づいていく」(村井氏)
例えば、近年注目を集めている「デジタルファブリケーション」の分野では、設計のための図面データを世界のどこかで作成すれば、それが瞬時に世界規模で共有され、共有された先の「3Dプリンタ」を使って出力できるという環境が、既に整いつつある。
こうした時代において、今後何ができるのか、何をすべきか、どういった方向へと世界を進めていくべきかを考えていくことが、ネットに関わる多くの人にとっても、重要な課題になっていくだろうという。
例えば、製造の分野で考えた場合でも、新たな世界では知的財産権をどう取り扱うべきか、製造物に対する責任についてはどう捉えるべきかといった直近の課題があると、村井氏は指摘した。
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