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RippleのCTOがこっそり教える、ソフトウェアの「病みつきポイント」Go AbekawaのGo Global!〜David_Schwartz編(前)(1/3 ページ)

グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回はRippleのCTOであるDavid Schwartz(デビッド・シュワルツ)氏にお話を伺う。「世界の仕組み」に興味津々だった少年は、試行錯誤の楽しさに魅了され、コンピュータの世界にはまっていった。

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 世界で活躍するエンジニアにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回ご登場いただくのはRippleのCTO(最高技術責任者)であるDavid Schwartz(デビッド・シュワルツ)氏。機械いじりが好きな少年は「自分次第でできることが広がる」プログラミングに魅了されていく。聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。

電子レンジの開け閉めで「世界の仕組み」を学ぶ

阿部川“Go”久広(以降、阿部川) お生まれはニューヨークでしたね。

シュワルツ氏 はい。ニューヨークは喧噪(けんそう)と静寂が融合している街です。「来るものは拒まず、去る者は追わず」という雰囲気も好きです。

阿部川 いい街ですよね。デビッドさんは今年(2021年)でおいくつになりますか。

シュワルツ氏 51歳です。年を感じることも増えてきましたが、頭ははっきりしていますよ(笑)。

阿部川 それは何よりです(笑)。小さいころはどんなお子さんでしたか。

シュワルツ氏 内向的だったと思います。他の子どもとそれほど遊んでいませんでしたから。ただ、自分を取り巻く世界には非常に興味を持っていましたね。近所を探索したり、ものを分解したり、いろいろなことをしていました。

 母に聞いた話ですが、ある日私は電子レンジやスーパーのドアを何度も開けたり閉めたりしていたそうです。観察しているうちに母は「この子は同じことを繰り返しているわけでない」と気付きました。ドアを押す角度を変えてみたり、押すスピードを変えたりしていると。

阿部川 遊んでいるのではなく、何かを試行錯誤していた。

シュワルツ氏 そうです。「ドアの開閉というのはどのような仕組みで行われているのか」を実験していたんですね。恐らくそのころから「世界がどのような仕組みで動いているのか」を学んでいたのだと思います。

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幼少期のデビッド氏(左)。今と変わらない人懐っこい笑顔

阿部川 思慮深いお子さんだったのですね。一人のときはどんなことをして過ごしていましたか。

シュワルツ氏 父の影響でポケットカリキュレーター(プログラミングができるポケットコンピュータのようなもの)でプログラミングをしていました。父は医師でしたが、当時としては大変珍しく「数学的なアプローチや解析で病気を治すことができないか」といったことを考えており、ポケットカリキュレーターをよく使っていました。

阿部川 お父さまからいろいろ教えてもらったのですね。

シュワルツ氏 はい。父はコンピュータサイエンスについてもよく教えてくれました。当時はホームコンピュータというアイデアが広がり始め、コンピュータが徐々にですが家に普及し始めたころです。コンピュータを一緒に作ったり、分解したり、簡単なゲームを作ったりしていました。

コンピュータは「自分の力量次第でできることが増える」

阿部川 素晴らしい体験でしたね。コンピュータとの最初の出会いはそのころでしょうか。

シュワルツ氏 そうですね、確か8〜9歳ごろだったと思います。最初のコンピュータはラジオシャック(当時の家電量販店)で売っていた「TRS-80」です。手軽に使えましたし、当時としては良い製品でした。その後、興味の先は「Apple II」に移行しました。大変気に入っていましたし、よくできたコンピュータだったと思います。

阿部川 どういった点が特に気に入っていましたか。

シュワルツ氏 カラー表示ができることです。TRS-80は白黒だったので。ただ、当時は技術的にもコストの面でもようやくカラー表示ができるようになった程度なので使える表現は限られていました。もっとさまざまな色を使いたいのであれば、技術的な工夫(デビッド氏は“トリック”という表現を使った)が必要だったのです。

 これは私にとっては魅力的な状況でもありました。「自分の力量次第でできることが増える」ともいえるからです。簡単に達成できることより、難しいことにトライして、できるようになることの方が私には楽しかったのです。

阿部川 電子レンジのドアと同じですね。何度も試行錯誤してみる。

シュワルツ氏 そうですね。メモリの容量はわずかしかないので、メモリを使わずにどうやって表現するかといったトリックを駆使しなければなりません。例えばほんの数秒の楽曲を再生するだけでも当時は多くのメモリ容量が必要でした。それを何とかしようとすることはとてもチャレンジングなことでした。

阿部川 今では簡単なことでも当時は大変だったと思います。音楽の話が出ましたが、当時どんな音楽を聞いていましたか。

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阿部川“Go”久広

シュワルツ氏 いわゆるポピュラー音楽です。お気に入りの音楽はほとんどが高校時代に形作られました。家から学校まで、スクールバスでの長い通学路でラジオから流れてくる音楽を聞いて覚えました。

 そういえばバスのラジオを修理したことがありました。当時のラジオは定期的にバッテリーを買い替える必要があったのですが、その費用はバスの運転手が負担していました。決して安くない買い物です。そのころちょうど電子工学を学んでいたので、私は運転手のためにシガーソケットを使った給電装置を作りました。

阿部川 それはすごいですね。運転手は驚いたのではないですか。

シュワルツ氏 技術的にはそんなに大したことではなかったのですが、運転手も同級生や周りのみんなもとても驚いていました。それをきっかけにたくさんの友達ができました。

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