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父のお土産はいつもデスクトップPCGo AbekawaのGo Global!〜Maverick Tayag編(前)(2/3 ページ)

グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回は三通のMaverick Tayag(マーベリック・タヤッグ)氏にお話を伺う。デスクトップPCをお土産にする豪快な父、さまざまな学びの機会をくれる叔父。家族に支えられ真っすぐに育った青年の夢とは。

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「Hose Rizalのようなヒーローになりたい」

阿部川 なんという素晴らしい環境をお父さまは作ってくれたのでしょうか。ちなみにPCの機種名は覚えていますか。

タヤッグ氏 名前は覚えていないのですが、スペックや外見は覚えています。CPUは「Intel Pentium」でした。筐体は白で、トラックボールマウスでした。ゲームがメインでしたが、ワープロソフトなどを使って宿題をやっていました。

阿部川 小学校で、学校の宿題をワープロでやっていた。いやはや驚きですね……。フィリピンの就学制度はどのようになっていますか。

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阿部川“Go”久広

タヤッグ氏 小学校が6年、高校が4年、その後4年くらい大学に行きます。

※編集注:フィリピンの教育制度は2013年を境に変わっている。2013年以前は小学校6年、高校(日本の中学校と高校に相当)が4年、大学が2〜4年。2013年以降は小学校6年、中学校が4年、高校が2年、大学が2〜4年となっている

阿部川 小学校のときはPC以外でどんなことをしていましたか。

タヤッグ氏 学校帰りに友達と家でトランプなどのカードゲームをやっていました。ボーイスカウトにも入っていましたから、コミュニティーの手伝いをしたり、チャリティー活動をしたりしました。近くの山や丘にはキャンプ場や宿泊施設があって週末はよくそこに泊まりましたね。キャンプは学校の課外活動の側面もありましたから、キャンプファイアが始まると参加している学校の生徒が演劇やダンスなどのプレゼンテーションをして、誰がクリエイティブかを競いました。

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小学校のクラス写真で、ちょっとおすまし顔

阿部川 それは楽しかったでしょうね。学校の勉強はどうでしたか。得意な科目はやはり理数系でしょうか。

タヤッグ氏 高校のときは科学と技術(理科)が得意でした。人材教育の学科も好きでした。PCとエレクトロニクスに関する広い知識を得た、最初の機会だったと思います。テクノロジーが日常の中でどのように使われるか、ということを教えてくれました。ゲームに例えるなら、人生はサバイバルゲームですから(笑)、より実践的な内容を教えてくれるこれらの教科が好きでした。

阿部川 当時はエンジニアになりたいと思っていましたか。

タヤッグ氏 それほどはっきりと意識していたわけではありませんでしたが、土木工学系のエンジニアや心臓外科医、パイロットになりたいと考えていました。

阿部川 それぞれ違った分野ですが、何か理由があったのでしょうか。

タヤッグ氏 そのころは友達とよく「ヒーローになりたい」といった話をしていたんです。フィリピンにHose Rizal(ホセ・リサール、フィリピンの独立運動を指揮した革命家)という国民的英雄がいます。彼は革命家でしたが、同時に詩人でもあり、医者でもありました。多くのスキルを兼ね備えた人で、この人のように多くのスキルを持ちたいと夢見ていましたね。

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