お父さんには、コンピュータ100台分ぐらい恩返ししなくちゃ:Go AbekawaのGo Global!〜Le Van Da編(前)(1/3 ページ)
高校生のころは勉強と家業の手伝いしかしなかった(つまり、遊ばなかった)――グローバルに活躍するエンジニアを紹介する本連載。今回は、大学に入るまでPCを触ったこともなかった農村出身の青年が、ベトナム屈指の難関大学に入り、5年間の猛勉強を経て日本にやってくるまでを伺った。
国境を越えて活躍するエンジニアたちにお話を伺う「Go Global!」シリーズ。今回は車やバイクのモビリティデータを収集、活用する「SmartDrive」(スマートドライブ)で働くLe Van Da(レー・バン・ダー)さんにお話を伺う。
携帯もインターネットもない農村からベトナム最難関大学に進学し、日本にやってきたダーさんの青春、そして未来の展望とは――。聞き手は、アップルやディズニーなどの外資系企業でマーケティングを担当し、グローバルでのビジネス展開に深い知見を持つ阿部川“Go”久広。
ライチの名産地からハノイの大都会へ
阿部川“Go”久広(以降、阿部川) ダーさんは現在25歳、お生まれはどちらですか?
Le Van Da(レー・バン・ダー、以降ダーさん) ベトナムのハイズオン省です。ハノイから南に100キロぐらいの田舎で、ライチとバイン・ダウ・サン(緑豆から作るお菓子)の産地として有名です。大学に入るまで、ずっとここで育ちました。
阿部川 どんなお子さんでしたか。
ダーさん 遊んでばかりいました。田舎ですし、当時はインターネットや携帯電話がありませんでしたから、昔ながらの遊びです。紙飛行機やグライダーや立体だこを作って飛ばしたり、ビー玉遊びをしたり。
父は米や果物を作りながら、農閑期には村の人の家や集会場などを作っていました。母も父を手伝い、いつも一緒に仕事をしていました。私は両親が仕事をしている横で、遊んだり、手伝ったりしていました。
阿部川 どんな手伝いをなさったのですか。
ダーさん 米の収穫を一緒にやりました。ベトナムでは1年に2回、1月から5月までと、9月から10月まで米を作ります。6月から9月までの4カ月は野菜作り、それも手伝いました。
小学生、中学生のころは遊びと農業。高校生になると遊ぶことはなくなって、ほとんどの時間が勉強と農業でした。大学に入るまでPCを触ったことはありませんでした。
阿部川 どんな勉強をされましたか。
ダーさん 子どものころから数学と物理が好きで、集中して勉強しました。高校生になって、科学が加わります。ベトナムではこの3教科ができると大学に入学しやすいと考えられていて、集中して勉強する人が多いのです。
この3つの教科の難しい問題を解くと褒められるので、うれしくなって好きになっていったのだと思います。今思えば文学も勉強した方がよかったかな。まあ、まだ遅くはないですね。ハノイ工科大学(※)にはこの3つの科目で受験して合格しました。
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