第260回 Intel初のマイクロプロセッサ「4004」から50年、その誕生から10年のプロセッサ史を振り返る:頭脳放談
Intelが最初のマイクロプロセッサ「4004」を発売してから50年がたったそうだ。「4004」が誕生してからの10年は、Intelだけでなく半導体メーカーにとっても大きな進化の時代であった。そんな10年間を振り返ってみた。
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Intel初のマイクロプロセッサ「4004」
Intelが日本の電卓メーカー「ビジコン」の依頼で開発した「4004」。商用の4ビットプロセッサで、専用のROMチップ、RAMチップ、I/Oチップと合計4チップで構成されていた(写真はIntelのプレスリリース「インテル 4004 マイクロプロセッサー 50周年」より)。
大きな話題にはならなかったようが、Intelがマイクロプロセッサの誕生50周年を祝っていた。最初の商用マイクロプロセッサ「4004」の登場が1971年11月だったからだ。
「4004」は、電卓用に開発された4ビットのCPUであり、専用のROMチップ、RAMチップ、I/Oチップと合わせて4チップでシステムを構成するようになっていた。このデバイスそのものは、用途も限定的で登場時点で世界をひっくり返すような大きなインパクトがあったわけでもなく、そこに超絶なアイデアがあったとも言いきれない。だが、満を持してスタートラインに着いていた多くのランナーたちに「号砲一発」を轟(とどろ)かせたのだ。
小さな一歩だが、偉大な一歩として記憶されるべきだろう。「4004」の登場から始まった「最初の10年間」は、例えていえば、ビッグバンにおけるインフレーション期か、生物学におけるカンブリア爆発にも匹敵する(大げさか?)電子デバイス技術の大進化の時代だったのだ。そんな時代を振り返ってみた。
「4004」から10年のIntelのプロセッサ史
よく知られている通り、Intelの「4004」は、当時の激しい「電卓戦争」の産物である。当初は新興の半導体企業であったIntelに日本の電卓メーカー「ビジコン株式会社」が発注したカスタムチップであったのだ。
ビジコンの若いエンジニアだった嶋正利氏がIntelに派遣されて、Intelのメンバーと設計をした。4ビットというビット幅自体、電卓の演算に最低必要な10進数1桁から来ている。「4004」の開発の紆余曲折(うよきょくせつ)は嶋氏の著書「マイクロコンピュータの誕生―わが青春の4004」などに詳しい。カスタムだったはずのチップが汎用(はんよう)品となり、Intelは最初のマイクロプロセッサメーカーとなったわけだ。その裏側でビジコンは消えてなくなっている。
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「4004」のダイ写真
「4004」のダイと、その上に描かれたブロック構成。pMOSの10μm(0.01mm)プロセスで製造され、約2300個のトランジスタが4mm×3mmのダイ上に実装された(写真はIntelのプレスリリース「インテル 4004 マイクロプロセッサー 50周年」より)。
「4004」以降のIntel最初の10年間を見ると、その進歩は目まぐるしい。4ビットの「4004」に続き、8ビットの「8008」を作る。あまり評判がよくなかったらしい「8008」をすぐに「8080」へと切り替え(このとき嶋氏はIntel社員になっている)、この「8080」が世界的な大ヒットとなるのだ。
「8080」は、日本ではインベーダーゲームのCPUとして知られているが、もともとは当時普及しはじめていたキャラクターディスプレイ端末向けの製品だった。ゲーム機業界もまた「4040の一撃」で覚醒し、今日に向かって走り始めたランナーの一人と言えよう。
また、「8080」上でBASICインタープリタを走らせる小さな「おもちゃ」と言われたコンピュータこそは、今に至るMicrosoftのルーツだ。そこから今日に至る「パソコン」への歩みが始まったともいえる。
その後、Intelはというと、地味だがデバイス技術の進歩としては重要な「8085」を経て、16ビット機である「8086」を作っている。「8085」「8086」は、初代の「4004」からは大きく発展しているが、「4004」同様のマルチプレクスバスを採用しているところなど、Intelらしいといえば、Intelらしい伝統かもしれない(マルチプレクスバスの評判はよくなかったが)。1980年代に入ってから、「8086」の姉妹機「8088」がIBMに採用されて、今に至るPCアーキテクチャが始まるのだ。そこまで最初の10年でたどり着いているわけだ。
Intel定番の80系周辺回路LSI群「82xx」の歴史
「82xx」と言えば、Intel定番の80系周辺回路LSI群である。「8086」といったプロセッサの手足となってシステムを構成するためのデバイス群だ。それらは「8080」と同時期に登場を始めたので、これまた最初の10年に起源を持つ。
後にそれらのデバイスは単独のチップとしては作られなくなるが、互換回路が定番IPとなって各種ASICに搭載されていくことになる。Intel以外の多数の会社も周辺デバイスを作り、その一部はIP化されていまだにFPGAなどに搭載されることがある。
そして、最初の10年の終わり頃、見た目は地味なマイクロプロセッサ「80186」も登場している。改良版の「8086」コアに「82xx」シリーズの周辺回路複数を集積した「最初期のSoC」ともいえるチップである。まだ当時SoCという言い方はなかったが。この後の半導体の集積度向上に伴い、SoCが主流となっていく起源ともいえる。今どきはSoCでないプロセッサチップなどまず売ってない。
Intel初の32ビットプロセッサ「iAPX432」は黒歴史?
Intelの本流であるx86系ばかり取り上げたが、実はIntelは最初の10年のうちに32ビットプロセッサまで到達している。だが、これはIntelにしては黒歴史ともいえる「iAPX432」だ。
当時は「セマンティックギャップ(プログラミング言語とそれを実行するプロセッサ命令との隔たり)」なんてことが叫ばれていて、それに対するIntelの「解答」ということだったらしい。そんなギャップがいつの間にか消え去っていたのは、その後のコンパイラ開発者たちのおかげである。
いずれにせよ、当時の半導体技術からすると「iAPX432」は無謀すぎる挑戦で、完全に失敗に終わった。
しかし、マイクロプロセッサの作り方という点では、マイクロアーキテクチャ的にも、設計手法という点でも、「iAPX432」は「80286」「80386」などの後続のマイクロプロセッサに大きな影響を与えている。極小4ビットの「4004」から高々10年でよくこんなところまで手を伸ばしたもんだ、というのが正直な感想である。
さらに言うと、この最初の10年の末尾付近に、現存するほぼ全てのコンピュータに影響を与えた重要規格「IEEE 754(浮動小数点規格)」の起源が存在する。現在では、Intelのマイクロプロセッサだけでなく、ArmやRISC-VなどのRISCマシンも含め、ほぼ全ての商用コンピュータがこの規格に準拠して浮動小数点演算を行っている。
しかし、この規格が普及する前は大型機やミニコンなど各社バラバラであったのだ。そしてこの規格のルーツこそ「8086」用のコプロセッサである「8087」なのだ。現在のx86アーキテクチャの中で「8087」のレジスタ部分は盲腸みたいな扱いだが、コンピュータの歴史的には「8087」の果たした役割は大きいのではないかと思う。「8087」もその開発には紆余曲折があったみたいだが、よくぞこの時期に作ってくれたという感じがするチップである。
マイコンも最初の10年で登場した
一方で、家電/通信/周辺装置などに使われるROMやRAM、I/O、CPUの全てをワンチップに集積したマイクロコントローラー(マイコン)も最初の10年の誕生である。もともと電卓用であった「4004」自体が、組み込み向けのマイクロコントローラー的な存在だったといえる。ただ、「4004」は4チップ構成であったのでマイコン扱いされない。
最初の10年、Intelは組み込み用途にも熱心だったのだ。この分野の嚆矢(こうし)といえるのが8ビットの「8048」ファミリーである。「8048」のアプリでよく知られているのがキーボードだ。初期のPCのキーボードはキーボード本体に「8048」、パソコン側のキーボードインタフェースに「8048」ファミリーの変種「8041」を使うのが定番だった。後にキーボードコントローラーは、専用チップとASIC回路に置き換えられるが、組み込み用途で「8048」は結構長く使われていた。
また、「8048」より強力で拡張性もあるマイコンということで登場したのが、同じく8ビットの「8051」ファミリーだ。「8051」は、あまねく広く組み込みに使われた。ただ最初の10年以降、Intel自身は利幅の薄いこの分野に力を入れなくなる。そして後に逃げ出すのだ。「8051」系の場合は、欧州のPhilips(フィリップス)が受け皿となり、Intelに代わってけん引するようになる。
その後、中華圏開発の「8051」互換コアなども登場し、今日に至っても「8051」は、各種製品の内部で大量に使われ続けている。つい先日も中華圏の会社のUSBシリアルチップを見たら「8051」互換コアだった。
ただ、後の時代になると組み込みでも、8ビットでは不足する用途が増えてくる。「8051」に代表される8ビットのマイクロコントローラーを32ビットの上位機種に高度化したくなるのだ。もちろん、途中の16ビットマイコンというチョイスもあった。手掛けた会社は多いが、8ビット、16ビットの間でイマイチだった。
マイコンの32ビット化の流れの受け皿となったのが、Cortex-MシリーズのArmコアなのだ。実際、Armコアのマイコンをやっている会社を調べると、かつて「8051」コアをやっていたところが多い。今や世界中で何千億個も動いているArmも、直系ではないが、遠く「4004」の流れをくんでいる気がする。
車載用プロセッサも最初の10年で登場した
最初の10年にルーツを持つものは、Intel製品だけではないのだ。Intel以外にもスタートラインに着いていた選手は多い。Texas Instruments(TI:テキサス・インスツルメンツ)もマイクロプロセッサを設計していたが、「4004」には少し後れを取った(らしい)。また、初期のIntel最大のライバルであったMotorola(モトローラ)の半導体事業(Freescaleを経て今ではNXPになっている)もいる。
この最初の10年で、マイクロプロセッサやマイクロコントローラーに参入した会社は数十、いや数百あったかもしれない。すでに50年近くもたつので、整理統合が進んでいて元の名がないことが多いが、最初の10年に起源を持つ会社や事業部門がいかに多いことか。みな「4004」の号砲一発、遅れまいと走り始めた結果だ。
その中で日本勢では特に東芝を挙げたい。最近、やたらと不足が喧伝(けんでん)されている車載マイコンの起源が東芝だからだ。車載マイコンも、最初の10年の生まれである。詳しいことは東芝のWebページに書いてある。
最初はエンジン制御のための自動車1台に1個の車載マイコンが搭載されている程度だったが、今や1台の車に何十個と搭載されるまでになっている。用途もエンジンから、各種の制御、表示にエンターテインメント(エンタメ)、そして自動運転と多様化した。
そして、新型コロナウイルスのせいで、車載マイコンは「日本経済の死命を制する」とまで思われる存在になっていたことが発覚したらしい。実はIntelも車載マイコンの草分けの1社に名を連ねてはいる(Ford向けの「8061」が有名。蛇足だが後に「8061」の流れから「8096」が登場する)。しかし、Intelはこの分野からは撤退する。面倒な割にもうからないと見切ったのかもしれない。結局、この分野は日、米、欧の自動車メーカーと「ガッチリ握った」会社(日本での代表はルネサス)が支配して今に至る。
イーサネットも最初の10年で登場した
やはり最初の10年に起源を持つ、大きなインパクトを与えたデバイスをもう1つ挙げるとすれば、それはイーサネットコントローラーであろう。イーサネットを始めたのはXerox(ゼロックス)であり、Xerox自体も最初の10年のスタートラインに着いていたランナーの一人に思える。イーサネットを勉強すると、必ず一度は目にするであろうDIX規格は、DEC/Intel/Xeroxの頭文字だ。「最初の10年」は、今に至るイーサネットが確立していく時期でもあったのだ。
イーサネットは、LANの物理層の規格ではある。だが、イーサネットの影響なくして、上位層の各種プロトコルを含めた今日の形態のネットワーク技術は生まれなかったのではないか。また、イーサネットの影響は有線LANにとどまらないように思う。今ではごく普通に思えるイーサネットだが、登場した当初のイーサネットは有線の上で無線をするような異端の通信方式に思えた。当時の通信のプロがまともに検討しないような通信方式だったのではないか。その成功は有線だけでなく無線通信の方式にも影響を与えているように思えてならない。
ここにもIntelが登場する。DIX規格の決定に参加していただけでなく、半導体ベンダーとして初期のイーサネット向けのデバイスを供給していた立場だったからだ。最初の10年からすると、ちょっと遅刻気味の登場ではあるが、Intelの「Local Area Network Coprocessor」と呼ばれたデバイスの型番が象徴的だ。「82586」である。Intel伝統の80系の周辺デバイスの型番「82」で始まり、「586」と来るのだ。
ご存じの通り、Intelは「80486」の後、「Pentium」という商標に切り替えたので本流のプロセッサで「586」という番号を頂くデバイスは存在しない。しかし、「80186」や「80286」と同世代に「82586」があったのだ。異形のデバイスだが、「4004」の号砲一発の系譜に連なるデバイスとして記憶にとどめられてよいような気がする。
昔話をくどくど書いてしまったが、現在もどこかで「号砲一発」が起きているかもしれないし、これから起きようとしているのかもしれない。それがAI分野なのかDX分野なのかは知らないが……。それが判明するのは10年、20年を経てからかもしれない。
筆者紹介
Massa POP Izumida
日本では数少ないx86プロセッサのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部などを経て、現在は某半導体メーカーでヘテロジニアス マルチコアプロセッサを中心とした開発を行っている。
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