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IT訴訟解説筆者が考える「セクシー田中さんドラマ化」問題と破綻プロジェクトの共通点――原因と再発防止案は?「訴えてやる!」の前に読む IT訴訟 徹底解説(115)_特別編(1/4 ページ)

IT訴訟事例を例にとり、システム開発にまつわるトラブルの予防と対策法を解説する本連載。今回は特別編として、IT紛争の回避と解決のプロフェッショナルであり、IT小説のクリエーターでもある細川義洋氏が、「セクシー田中さんドラマ化」問題を解説する。

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 IT訴訟事例を例にとり、システム開発にまつわるトラブルの予防と対策法を解説する本連載。今回は特別編として「セクシー田中さんドラマ化」問題を取り上げる。「セクシー田中さんのドラマ化」を1つのプロジェクトと捉え、出版社&原作者をIT紛争でいうところのユーザー企業、テレビ局&脚本家をベンダーと位置付けてみると、ITプロジェクトの破綻と類似の原因が浮かび上がってくる。

 契約書の内容や締結時期の不適切さ、プロジェクトスタート前の認識のすり合わせ不足、プロジェクト進行中のコミュニケーション不足、トラブルの予兆があった段階での立て直し策の甘さなど、プロジェクト破綻の原因となる事象と本来あるべき姿について、IT紛争の回避と解決のプロフェッショナルであり、IT小説のクリエーターでもある細川義洋氏に解説してもらう(編集部)。

「セクシー田中さんドラマ化」問題概要

 2024年1月29日、漫画家の芦原妃名子さんが自ら命を絶たれました。本稿を書くに当たって代表作である『セクシー田中さん』を全巻拝読し、登場人物に寄り添い、内面を丁寧に描く姿勢に、創作者の一人として敬意を抱かざるを得ませんでした。芦原さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 なぜ芦原さんは死を選んだのか。その真因は分かっていません。ただ芦原さんは、「セクシー田中さん」のドラマ化を巡り大きな精神的負担を強いられ、さらに同ドラマの1〜8話までの脚本を書いた脚本家のSNSへの投稿に大きく傷つけられたことは確かなようです。無論、脚本家の投稿は芦原さんを非難するものでも中傷するものでもなかったのですが、どう受け取るかは受け取り手の心次第でもあり、大いに残念なことだったといわざるを得ません。

 この事件がSNSでも大きな話題となったため、ドラマを制作した日本テレビと原作の出版社である小学館はおのおのに調査し、ほぼ同時に調査報告書を公表しました。

 ドラマ自体は好評のうちに終了したとのことですが、その制作中には、「芦原さんおよび出版社」と「脚本家およびテレビ局」との間に大きな意識のズレや軋轢(あつれき)、そして不信が生じ、それが多くの関係者を疲弊させ、傷つけたであろうことは想像に難くありません。

 一方で、今回の事件は、IT開発の現場にも重要な示唆や教訓を与えるものであると私は考えています。

 今回の問題では、後述するように原作者が漫画に込めた思いとドラマを制作するテレビ局の企画意図がずれ、それが十分に調整されないまま脚本が書き進められたことに原因があります。そこには原作者、原作漫画の出版社、テレビ局のコミュニケーションや相互理解の欠如、役割分担、権利および契約の不備、契約および原作漫画をドラマ化するためのプロセス(旧来からの慣習)の不備といった問題があり、これは、そのままIT開発プロジェクトにも当てはまると考えられます。

 ユーザー企業とベンダーのコミュニケーションや相互理解の不足によりシステム化の目的に沿わない開発が行われてしまうこと、曖昧な契約や計画が双方の役割分担や権利を巡る紛争を引き起こしてしまうこと、開発プロセスが旧来の属人的な慣習によって進められるために発生する生産性の低下やITユーザーとベンダーの軋轢――「セクシー田中さんドラマ化」問題は、こうしたIT開発で頻繁に発生する問題とも通じる面があり、多くの示唆と教訓を与えてくれるものではないでしょうか。

 本稿では、そうした示唆、教訓を考えるべく、これらがなぜ起きてしまったのかを2つの報告書を基に検討していきます。

プロジェクト開始前に必要な、関係者の目的意識共有

 さて、あらためて問題を引き起こした原因は何だったのかについて考えます。

 意見はさまざまにあると思いますが、私は「原作者抜きのドラマ企画」が原因の一つではないかと思います。本ドラマの企画は、もっぱらドラマを制作するテレビ局側で行われ、企画自体に原作者や出版社が参加しませんでした。原作者はドラマ化の企画に対して、ただ「作品の世界観を大切にしてほしい」と要望するのみで、ドラマのコンセプト、企画意図が原作とどれほどズレているのか、制作に入るまで分からなかったようです。

 端的にいえば本ドラマは、原作者が大切にしたい作品の意図やメッセージが理解されないまま、あるいは重視されないまま企画され、ドラマ化が決定しました。ドラマの企画に原作者が参加しないことは、テレビ局としては珍しくなく、むしろ普通のことかもしれません。しかしその“普通”が、芦原さんをはじめとする関係者を苦しめる結果となったのではないでしょうか。

 そもそも原作者が「セクシー田中さん」で伝えたかったものは何だったのでしょうか。報告書にある原作者の言葉から私が推察するのは、「生きづらさを感じる女性のモヤモヤした思いと、それを乗り越え自分の枠を超えて新しい世界を見つける前向きな心」です。

 登場人物の朱里(あかり)は、仕事はもちろん人生に夢を抱くこともなく、婚活を続ける派遣社員です。自己肯定感が低く、自分に興味を持つ男性がいたとしてもそれは自分が若くてかわいらしくかつ扱いやすいからにすぎないと考え、うっすらとしたむなしさと不安と不満、そして諦めのような感情の入り交じった、モヤモヤした思いを抱えています。こうした感情は非常に重要な設定に思えますし、そこから徐々に変化していく“心”を描くことが、この漫画そのものといってもよいでしょう。コミカルに笑える場面も数多くありますが、このモヤモヤや生きづらさは、原作者として絶対に軽視してほしくない部分だったのだろうと思います。

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