リセット・ボタンを押そう

小川 誉久

2002/12/18


 みんなにパソコンが行きわたって、人と情報が接する窓としてパソコンが機能する時代がやってくると思った。

 いまから16年前、筆者は大学を卒業し、某メーカーのUNIXオフコン部門でプログラマとして社会人としてのスタートをきった。このオフコンは、AT&T UNIX System V Release 2(SVR2)をベースに独自にBSD UNIXのネットワーク機能を組み込んだもので(当時のSystem V系UNIXには、TCP/IPネットワーク機能が搭載されていなかった)、メーカー独自のウィンドウ・システムも搭載されており、もちろんハードディスクもイーサネット(10BASE-5)も備わっていた。ここで筆者はCコンパイラ(SVR2付属のもの)のメンテナンスや、Basic言語の開発(メーカー独自開発)などに従事していた。出社から帰社まで、会社にいる間は、ほぼ1日中このUNIXマシン(開発用の試作機)に向かっていた。

 家に帰ると、学生時代に購入したNECのPC-9801 U2があった。このPC-9801 U2は、8MHzのV30(NEC製のIntel 8086互換CPU)+ハードディスクなしという構成である。もちろんネットワーク機能などなく、外部記憶装置は2台の3.5インチFDD(しかも720Kbytesまでしか書き込めない2DDフォーマット対応)しかない。それでも、Cコンパイラを使って趣味でプログラム開発をしていた(コンパイラとライブラリは1枚のディスクに入りきらないので、必要に応じてディスクを出し入れしていた)。

 会社で触るUNIXオフコンと、自宅にあるパソコンの性能差は歴然としていた。会社の同僚や先輩たちにしても、はっきりとはいわないまでも「パソコンなど取るに足らないオモチャであって、仕事には大して役に立たないだろう」という暗黙のコンセンサスがあったように思う。

 それでもパソコンは安かった。どんなに非力だったとしても、個人で買えるパソコンは自分にとって特別な存在だったし、夢があると思った。高価なUNIXオフコンをみんなで譲り合いながらかしこまって使うより、自分のパソコンを道具として気楽に使える方が楽しいと思った。いろいろと考えた末、3年間在籍したメーカーを辞め、コンピュータ系の出版社に転職した。

 以来十数年間、コンピュータ出版業界で編集者として働いてきた。幸運なことに、コンピュータ技術者向けの新雑誌創刊に立ち会うことができ、その後約8年間、雑誌とともに編集者としての経験を積むことができた。結果的に、この雑誌は使命を終えて休刊の運びとなり、筆者も出版社を飛び出すことになったが、編集の技術や人的ネットワークなど、筆者の現在の礎は、ほとんどこの時代に形成されたものといってよい。

 細かくはいろいろとあったが、この雑誌のゴールをひと言でいえば、「パソコン1人1台時代」だったのではないかと思う。MS-DOSからWindowsへというOSの変遷、NEC PC-9800シリーズからPC/AT互換機への変遷、Windows LANやインターネットの普及など、時代時代でフォーカスするテーマは移り変わったが、「パソコン1人1台時代」という目標はいつでも底流に流れていたと思う。

 毎月雑誌作りに追われながら、「どうしたら自分が思うような時代がやってくるのか」「どんな記事を書いたら、未来への期待を読者と共有できるのか」そんなことをいつも悶々と考えていた。自分は時代の先端にいて、読者をリードしていくのだ。そんな思い上がりもあったように思う。

 自分の思いどおりに世の中が変わったなど、これっぽっちも思っていない。けれどもあの当時に比べれば、私たちを取り巻くコンピューティングの状況が大きく変わったのは事実だ。それを端的に感じるのは、初対面の相手と名刺を交換するときである。その昔、名刺にメール・アドレスが記載されているのは、一部の専門家だけに限られていた。「総務や人事といった管理部門の人たちや、社外のだれとでもメールで情報交換できたらどれだけ便利だろう」と嘆いたものである。

 しかしいまや、メール・アドレスが印刷されていない名刺の方がまれになってきた。またファミリー・ユーザーを取り込もうというプロバイダの戦略や、携帯メールの爆発的な普及によって、ビジネスマンやOLばかりでなく主婦や学生までもがメール・アドレスを持つようになった。長年にわたってメールの普及を切望してきた1人としては、電車で一心不乱にメールを書いている人を見たり、子供がたどたどしく友だちとメール交換している姿を見たりするのは何とも歯がゆい思いである。コンピュータやメール、インターネットのしくみについて彼らがどれだけ知っているのかは分からないが、それはともかく、彼らは彼らで、手にした情報ツールを使いこなし始めている。

 旧来の仲間と酒を飲んだりすると、つい昔話に花が咲く。会話の行き着く先はたいてい決まっていて、「最近のパソコンはつまらなくなった」である。確かに新しいCPUや新しいWindows、新しいインターネット技術が登場するたびに心が沸き立った当時のような興奮は、いまはあまり感じなくなったように思う。一般的な商品サイクルと同じように、急成長期から成熟期に入ったコンピュータは、このまま静かに衰退期を迎えるしかないのだろうか?

 先だって公開された山崎俊一氏の「オピニオン:ユビキタス原理主義」を読んだ。これによれば、今後コンピューティングの潮流は、1人1台というPC時代から、1人の人間が多数のコンピュータを使うユビキタス時代に向かうという。この記事を読んで考えた。自分はコンピューティングの先端に身を置いていると思いながら、実は時代に追い越されつつあるのではないか? 近ごろつまらないのは、自分の経験や思考が過去のものになりつつあるからではないのか?

 山崎氏の記事にもあるとおり、私自身も、コンピューティングに未来はあると信じている。ユビキタスしかり、Webサービスを応用した分散コンピューティングしかり、断片的に未来のコンピューティングが見え始めてきている。しかしこれから展開される未来のコンピューティングのパラダイムは、これまで長い時間をかけて培ってきたパラダイムとは全く違うものだろう。

 ずっと電源を入れたままにしたWindowsがうまく動かなくなってきたら読者はどうするか? きっと迷わずシステムをリセットするに違いない。これと同じように、次のパラダイムを理解するには、自分も一度リセット・ボタンを押す必要があるのではないか。新年を目前にして、そんなことを考えた。End of Article


小川 誉久(おがわ よしひさ)
株式会社デジタルアドバンテージ 代表取締役社長。東京農工大学 工学部 材料システム工学科卒。'86年 カシオ計算機株式会社 入社、オフコン向けのBASICインタープリタの開発、Cコンパイラのメンテナンスなどを行う。'89年 株式会社アスキー 出版局 第一書籍編集部入社、書籍編集者を経て、月刊スーパーアスキーの創刊に参画。'94年月刊スーパーアスキー デスク、'95年 同副編集長、'97年 同編集長に就任。'98年 月刊スーパーアスキーの休刊を機に株式会社アスキーを退職、デジタルアドバンテージを設立した。現Windows Insider編集長。

「Opinion」



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