[Analysis]
グーグルはキングかゴリラか
2008/01/07
年明け早々、なぞなぞのようなタイトルで恐縮だが、「グーグルはキングかゴリラか」という問題を考えてみたい。
2006年9月と少し古いエントリになるが、小社のブログコーナー「ITmedia オルタナティブ・ブログ」で執筆されているブロガーの1人、栗原潔氏が「ミクシィとYouTubeと『ゴリラ・ゲーム』について」と題するエントリで興味深いことを書かれている。
ゴリラ・ゲームとは、キャズム理論などで知られるコンサルタントのジェフリー・ムーアが1998年に書いた本の中で提示した、企業の市場競争力の分析モデルだ。書籍名も『ゴリラ・ゲーム』だが、すでに原書も翻訳も絶版だそうで、現在入手は難しい。栗原氏の説明によれば、ポイントは以下の通りだ。
“キング”とは、顧客が他社製品・サービスへスイッチするコストが低い市場リーダーのことで、“ゴリラ”とは逆にスイッチング・コストが高い市場リーダーだ。同じ市場リーダーであっても、キングは、いつでも競合他社にトップの座を奪われる可能性がある。一方、何らかの「囲い込み」によりスイッチング・コストを高くしているゴリラは、市場のトップの地位を維持できる可能性が高い。従って、企業の将来価値は「市場自体の将来性、市場でのシェア、顧客のスイッチング・コストの高さの関数として表される」という。
このモデルはハイテク市場での投資指針を示すものとしては合理的だし、実際に有効に思える。しかし、同様のモデルがネット・サービス系企業の価値判断にも応用できるのではないかという栗原氏の見方については、私はどうも疑問を感じる。これは私の希望的観測でもあるのだが、今後、Webの世界では、好むと好まざるとに関わらず、サービス間のスイッチング・コストはどんどん低くなっていくと思えるからだ。
グーグルはゴリラを駆逐するキング
グーグルはゴリラではなく、キングだ。
グーグルはむしろ、スイッチング・コストを下げる努力をしている。例えばWebメールのGmail。Gmailは早い時期からPOPによる外部サービス・アプリケーションからの読み出しをサポートしていたが、一般的なWebメールでは、POPは外部からの取り込みの方向でしかサポートしていない。つまり、多くのサービスではメールボックスのデータを外部に出さず、ユーザーのデータを囲い込んでいるわけだ。
昨年、モバイル版Gmailの発表会のときに、この辺りの事情を説明するグーグル担当者の言葉が私にはとても印象的だった。「ユーザーのデータはユーザーのもの。だからユーザーが自由にできるようにするべき」。それがグーグルの考え方だというのだ。これは、グーグルのサービスが気にくわなければ、いつでもメールボックスやコンタクトリストのデータをエクスポートして、他社サービスに乗り換えてくださいと公言しているようなもので、ずいぶんな自信だ。当然、せっかく獲得したユーザーを他社に奪われる可能性もある。しかし、グーグル担当者は、こうも言った。「われ-われはユーザーを囲い込もうとは考えない。そうではなく、グーグルのサービスがほかのサービスよりも好きだからという理由でグーグルを使い続けてほしい」。スイッチコストが低く、ユーザーの流動性が高い市場では、サービス間の競争が激しくなり、イノベーションも加速するだろう。それは、誰も胡座をかいていられないゴリラがいない世界だ。そういう世界に自ら身を置くことで、常にサービスの質を上げていくのだと、グーグルの担当者は語った。
ゴリラが死滅する日
昨年末、「OpenIDを使ってみた」という記事を執筆した。特定の認証局のようなものを想定せず、分散環境で認証を行い、シングルサインオンを実現するOpenIDは、ユーザーが新たにサービスを利用するときに感じる実際的、心理的な障壁を非常に小さくすると書いた。つまりスイッチコストを下げる技術だ。
この記事に対して、はてなブックマークでtoby氏から「ユーザー側のメリットは分かるが、導入者側のメリットがいまいち……、デメリットを感じてしまいます」というコメントが付いた。
これは現在のところ、まったくその通りかもしれない。OpenIDを導入しても、新規ユーザーの定着率が下がり、既存ユーザーの離脱率が上がるだけに終わるかもしれない。例えば、圧倒的なゴリラであるヤフーがオークションでOpenIDを採用すべき理由はない。
eBayが日本に上陸したのは、ヤフーオークションが立ち上がって半年ほど経った後だった。その後、初期のユーザー規模の差が決定打となり、両者の差は開く一方。ヤフーオークションの一人勝ちで、北米で大成功したeBayは日本市場では完敗だった。若年層向けモバイルSNSで金脈を掘り当てたディー・エヌ・エーも、オークションサービスでは長らく苦戦した。
ゴリラは健在だ。しかし、すでに風向きは変わり始めているように思う。スイッチコストを下げる技術や、プロトコルの標準化が進めば「誰もがゴリラになろうとした時代」が終わり、「誰もがキングを目指さざるを得なくなる時代」になるのではないか。OpenIDのことで言えば、「対応するメリットがない」のではなく、「対応していないことのデメリットが大きい」ような時代が来るのではないかということだ。
Webの未来はサービス提供者側にではなく、ユーザーの手中にある。ユーザーに嫌われたらおしまいだ。Webのような情報サービスは類似サービスの立ち上げコストが低いので、代替サービスはいくらでも登場しうる。そうしたとき、露骨にユーザーの自由を奪うことで囲い込み、ユーザーのデータを外へ出さないようなゴリラ型サービスは、結局ユーザーに嫌われ、類似サービスへ顧客を奪われることになるだろう。現実はそうなっていないが、それは今のところスイッチコストが高いからに過ぎないのではないか。
OpenIDが普及すれば、アカウント取得を必須とするようなユーザーへの要求が高いサービスや、いったんデータを入れたが最後、自分のデータなのにエクスポートできないようなサービスは嫌われるようになるだろう。すでに標準フォーマットがいくつかあるカレンダーサービスであれば、エクスポート機能がないようなサービスは、もはや誰も使いたがらないだろう。“出口障壁”が高くて、スイッチコストが高いこと自体がサービスの魅力を削ぐことになる。
ゴリラを追う新規参入事業者は、ユーザーを取り込みやすいオープンな規格を歓迎するだろう。とすれば、その結果、ゴリラ対その他大勢のキングになりたい“キングワナビー”(king-wannabe)という構図ができる。キングワナビー同士は標準プロトコルで相互運用性を高めることでゴリラをてっぺんから引きずり下ろそうとするかもしれない。私はFacebook対OpenSocialに、そういう構図を見る。オープンな規格に準拠したサービスに慣れ、自由の意味を知ったユーザーが、再びゴリラの腕の中に飛び込んだりするだろうか?
Webの世界でゴリラ型リーダーの未来が明るくないと思う理由は、もう1つある。今後、Webサービス間の連携が進み、Webが徐々にモノリシックなシステムから、マルチベンダの分散型システムに進化する可能性があるため、ゴリラ型の市場専有が難しくなるように思えるからだ。これはハードウェアやサーバOSの世界ではすでに起こっていることで、単一ベンダによる製品だけでITシステムを組む例は、もはやほとんどないだろう。各ベンダが得意とする製品を組み合わせる“ベスト・オブ・ブリード”が常識だ。こうした世界では相互運用性を保証する標準への準拠が、ユーザーに選ばれるための必須条件だ。ベンダには囲い込むなどという主導権はなく(あるいは小さく)、いい製品を作って選んでもらうという消費者主導の市場に、どんどん近づいている。
ここまで個人向けWebサービスのことを想定して書いてきたが、企業向けでも事情は同じだ。企業ユーザーは主に経済的合理性でサービスを選択するだろうから、一般消費者向けのWebサービスより、企業向けのSaaSでは、より早くゴリラ的サービスが淘汰される可能性がある。
IT業界でよく使われる「プラットフォーム」「オープン」「標準化」「エコシステム」といった言葉はすべて、同じトレンドを指し示しているように思う。巨大な1頭のゴリラが市場を独占するのではなく、多数のキング型リーダーで市場に活力をもたらし、消費者に利益として還元しようということだろう。Webの世界でもいずれは腕力でテリトリー争いをするようなゴリラたちが死滅して、民衆の声によく耳を傾ける小さなキングたちが“徳”を競い合う世界になるのではないか……。というのは正直、私の個人的な希望が半分なのだが、私と同じ希望を持つ人が多ければ、世の中は変わっていくに違いないと考えている。
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