[コラム:Spencer F. Katt]
ラスベガスの夜はふけて

2003/12/2


 ウェイン・ニュートンの「ダンケ・シェーン」を口ずさみながら、吾輩はCOMDEX開催前日のラスベガス・コンベンションセンターを歩いていた。会場には商業主義的なブースが立ち並び、作業員やマーケティング担当者がせわしなく行き来していた。マイクロソフトのブースでは、責任者がスタッフを集めてこんな注意をしているのを耳にした。「いいですか、皆さんがブースで話しかけようとしている人は、どこかの雑誌の記者かもしれないということを決して忘れないように……」

 そう、そのしまりのない唇とセキュリティ・ホールが船を沈めるのだよ、と吾輩は心の中で続け、ビル・ゲイツの儀礼的なオープニング・ナイト・キーノート会場へと足を向けた。

 ゲイツが“シームレス・コンピューティング”を高らかに宣言しているにもかかわらず、会場となったアラジン・ホテルの警備員たちは、ラップトップの持ち込みを許さなかった。吾輩は、とりあえず神様に感謝してカクテル・ナプキンにメモを取ることにしたのだけど、ステージのそばの席に座ると、彼が腕にしているマイクロソフト・ウォッチが気になって仕方がなかった。それは株価情報モードになっていて、どういうわけかリアル・ネットワークスの株価を表示していたのだ。

 COMDEXの会場に向うタクシーは、いつもより簡単に拾うことができた。あるドライバーは、COMDEXはもうなくなったと思い込んでいたようだ。また別のドライバーは、おそらく来年にはCESと統合されるだろうと話していた。

 会場で出会った吾輩の旧友は、プリンタ市場の食物連鎖を駆け上るデルの動きについて、昨年夏、アトランタでカーリー・フィオリーナが同社を単なる販売業者だと蔑(さげす)んで以来、ある種の反抗運動になりつつあると分析していた。

 一方、HPのエグゼクティブは、吾輩に近づき、AMDの64ビットOpteronは48ビットのまがい物だと語りかけてきた。そんなHPのFUDキャンペーンに気づいたのか、今度はAMDのエグゼクティブが吾輩にチャートとグラフで自社製品が64ビットであることを必死で証明しようとした。すっかり混乱してしまった吾輩だが、ビット論争は結局のところ、リトル・エンディアンかビッグ・エンディアンかという設計上の問題に帰着するという説明を聞いて、なんとなく明かりが見えたような気がした。

 あるパネル・ディスカッションでは、司会者がスピーカーに「業界発展のためにはどうすればよいか?」と質問した。するとコンピュータ・アソシエイツの副社長、エンマ・マクグラッタンは、「デスクトップに64ビットを普及させる原動力はポルノだ」と答え、力強くこう付け加えた。「CAはそのインフラを構築する」

 同時期にラスベガスで開催されたCOMDEXの後継と目される「Computer Digital Expo」だけど、アフタヌーン・キーノートの参加者は、吾輩が数えたところ、たった60人しかいなかった。これなら大きなマンダレイ・ベイではなく、近くのタコベル(メキシカン・ファーストフードの店)でやってもよかったんじゃないのかな。それにしても、ある参加者がAMDのエンタープライズ・エバンジェリスト、ケビン・ノックスをつかまえて、「ところで、あんたたちは何をやっている人かね?」と問いかけているのを聞いて、吾輩は主催者側がターゲットとする“厳選されたプロフェッショナル”という人々に強い印象を持たざるを得なかったね。

 パームス・ホテルのレイン・クラブで開かれたCOMDEXアフターダーク・イベントは、中学生のドンちゃん騒ぎのようだった。500人くらいの出席者が、ガラクタのステレオ・スピーカーのように騒音をがなり立てていた。うんざりした吾輩は、ドリンクチケットを近くにいた誰かにくれてやり、「ダンケ・シェーン」を歌いながら、そそくさと夜の街に消えたのであった。

*Spencer F. Kattのコラムは毎週月曜日(月曜日休日の場合は火曜日)の更新予定です

[英文記事]
Vague, Vaguer, Vegas

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