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ワクワクが原動力〜「計画された偶発性」を地でいくキャリアの築き方転機をチャンスに変えた瞬間(21)〜フードエディター 小竹貴子(1/2 ページ)

専業主婦から未経験でWebディレクターへ、そして創業当時のクックパッドに入社し、執行役となり上場を経験。「計画された偶発性」を活用してキャリアを築いた、フードエディター小竹貴子氏の転機をチャンスに変えた瞬間とは。

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転機をチャンスに変えた瞬間 ビジネス編
転機をチャンスに変えた瞬間

連載目次

 専業主婦からアルバイトのWebディレクター、そしてクックパッドの執行役へ。フードエディター小竹貴子氏がキャリアを切り開いていった過程は、まさに「計画された偶発性」を地で行くものだった。彼女は、節目節目で何を大切にし、どのように決断を下していったのだろうか。

計画された偶発性(Planned Happenstance Theory)=スタンフォード大学のJ.D.クランボルツ博士が提唱したキャリア理論。個人のキャリア形成の8割は、予想しない偶発的な出来事に影響されて起こる。常から積極的に行動し準備をすることによって、その偶然を計画的に呼び込みチャンスにつなげられるという考え方。

フードエディター 小竹貴子氏

小竹貴子

1972年、石川県生まれ

関西学院大学社会学部卒業後、博報堂アイ・スタジオでwebディレクターの経験を積み、2004年コイン(現クックパッド)入社。編集部門長を経て、2008年執行役に就任。2010年「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2011」受賞。

2012年独立。現在は料理や食に取り組むサービスの構築支援および編集業務を通じて、世の中に「料理をすることの楽しさ」を伝えることをミッションとして活躍中。2児の母。


未経験からWebディレクターに転身できた理由とは?

小竹貴子氏

松尾 キャリアのスタートはどのようなものでしたか。

小竹 神戸の大学を卒業したのですが、バブル景気が崩壊した後で、なおかつ大学3年生のときに阪神・淡路大震災があり、就職先が全然無い状況でした。最初の就職先は、そんな中で何とか潜り込んだ銀行系のリース会社です。当時は震災復興で大変な時期で、馬車馬のように働いたところ、入社した年の12月に体調を崩してしまい、年明けには親に強制的に会社を辞めさせられ、故郷の金沢へ帰りました。初めての仕事で、つらいながらも神戸の震災復興を助けたいという思いで働いていたので、すっかり仕事にも自分にも自信を無くしてしまいました。

松尾 キャリアの最初で大きなつまずきがあったのですね。

小竹 金沢で大学教授の秘書を1年半くらいした後に結婚し、東京へ移り専業主婦になりました。当初は専業主婦生活を楽しもうと思っていたのですが、周囲の友人は20代半ばで仕事が楽しくなってくるころでした。何となく専業主婦生活に不満を感じて、派遣社員や近くのパスタ屋さんでアルバイトを始め、給料で専門学校のWebディレクターコースに通い始めました。そこで初めてインターネットに触れたのです。

松尾 現在はネットの世界で活躍している小竹さんですが、ネットデビューは意外と遅かったと。

小竹 何も知らなかっただけに、いろいろなことが新鮮でした。昔から料理が好きだったので、専門学校の卒業試験で自分が撮影した料理写真のWebサイトを作ったところ、海外からも「おいしそう!」というコメントが来て、「自分の作品を発表して褒めてもらえるんだ!」とネットの楽しみに気付きました。

 そしてWeb制作会社に社長秘書として就職しました。小規模な会社だったので、自分から進み出ればいろいろな仕事をできるチャンスがありました。社長の目を盗んでチョコチョコと制作の手伝いをしているうちに、「専任でやったら」と周りの後押しがあって、Webディレクターになりました。そのころ作っていたのは、レースクイーンの壁紙コンテンツで、胸の谷間をちょっと加工するだけで、売り上げが10万円上がったり(笑)。自分の仕事でお金を稼ぐ感覚をリアルに感じられたのもそのときでした。

松尾 その後、博報堂アイ・スタジオに転職されたきっかけは何だったのですか。

小竹 「もう少し広く学び、チャレンジしてもいいのではないか」と思っていたときに、仕事でお付き合いのあったライターさんから「アルバイトを募集しているのでどうか」と声を掛けてもらったのです。当時はネット広告花盛りで、新しい技術が飛び交っている環境の中にいるだけで勉強になりました。

 20代のときにできなかったことがやっとできるようになったという感じで、本当に楽しかったです。お金をいただきながら修行しているような状態で、よい上司にも恵まれて、アルバイトから社員へとステップを踏めました。ただ、仕事にのめり込み過ぎて離婚することにもなったのですが、落ち込むよりも「思い切り仕事ができる」という気持ちの方が大きかったです。

重要なのは給料よりも新しく学べる環境と仲間

松尾 クックパッドに転職したきっかけは何ですか。

小竹 2003年に友人から「面白いWebサイトがある」と紹介されて、お会いしたのがクックパッドのファウンダー、佐野陽光さんでした。会った途端に「いつから来るの?」と言われ、その2、3日後にも会社に電話があって「いま会社の下にいるんだけど、話できない?」と誘っていただいて(笑)。

 クックパッドは危機的な状況にあるけれど、頑張れば大きくなる可能性を秘めていると理解したので、2004年に正式に入社しました。ちょうど30歳のときで、クックパッドも第二創業期を迎えていました。

松尾 誰でも知っている大企業の子会社から、(当時は)誰も知らないベンチャーへの転職の決め手は何だったのですか。

小竹 私自身、しっかりしたキャリアがあったわけではないし、周りを見ると博報堂から来ている優秀なクリエイターや、私より年下なのに飛び抜けた力を持つエンジニアがいる。「ずっとこの会社にいても、将来はどうなるか分からない。だったらイチかバチかで、クックパッドで頑張ってみるのもよいかな」と思ったのです。

松尾 とはいえ給料など条件面は下がりますし、ベンチャーですから将来の不安はより大きいわけです。その点はどのように考えましたか。

小竹 実は、博報堂アイ・スタジオに転職するときも、クックパッドに転職するときも、給料はいったん下がりました。クックパッドでは収入が5万円になりましたが、「まぁアルバイトをすればいいや」と。実際Webサイト制作のアルバイトで10万円くらい稼いでいましたので。

 それよりも、「学ばせてもらえてありがたい」という気持ちが先にありました。「給料は下がるけれど、自分の中ではキャリアアップ」という意識でした。博報堂アイ・スタジオにアルバイトで入ったときは、風呂トイレ共同で月2万5000円の学生用下宿に住んでいましたが、まったく苦になりませんでした(笑)。

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