第178回 Apple Watchがウエアラブルのイメージを作る?:頭脳放談
ウエアラブルの真打ち、Apple Watchが販売される。漠然としたウエアラブルのイメージが統一されるかもしれない。まだまだ先の見えないウエアラブル市場に一石を投じることにはなりそうだ。
うず高くたまった古い雑誌を整理していると、たまに面白い記事に出くわす。記事が出たころは「これからはこれだ!」みたいなノリで大きく取り上げられていた割に、すぐにどこかに行ってしまったような製品や技術も結構多い。一方、発表当初は、「そんなもの何に使うの?」的な取り扱いでほとんど注目されていなかったものが、予想もしていなかったような新市場を切り開いて大きく化けたものもある。特に「存在しない新市場」を形成してしまうような技術や製品の立ち上がり時点で、先を見通せている人はまずいない。
さて最近凡人には先々どうなるのか皆目分からない、と思っているものの一つにウエアラブルという概念がある。はやりである、みんなやっている。取りあえずウエアラブルと言っておかないとはやりに後れるので、口を開けば「ウエアラブル」などと言っている人もはなはだ多そうである。しかし、現在のスマートフォン(スマホ)であれば、「スマホ」と一言でくくっても多分みんなの脳内のイメージは似たようなものだろうが、ウエアラブルに関してそれほど意識は共通化されていないのではないかと思われる。みんなが思い描いているウエアラブルの姿は百人百様、中身はカラッポというものも交じっている、というところか。
そんな中、ようやくと言うべきかもしれない。真打ち登場である。Apple Watchの発売だ。発売されたら「ウエアラブルとはそういうものだったのか」とみんなの共通理解が得られるほどに普及するのかもしれない。それとも、ウエアラブルって依然なんだかよく分からない、ということになるのかもしれない。その時は、流れでウエアラブルに乗っていたような人は、いち抜けたということになるかもしれない。いずれにしてもハッキリするのはよいことだ。凡下の私自身は、アップルウオッチ、いまだにどんな人々にどう受け入れられるのか、よく分からない。
Apple Watch自体は、アップルが腕時計業界をよく観察した上で練った製品であることは理解できる。まずもって腕時計、特に高級なものは、機能も一応大事なのだが、その機能に至るストーリーとブランドこそが大事な業界である。時を刻むという基本機能は重要であるが、正直言うと現在技術ではお安い技術でもそこそこ実現できてしまう。けれどお安い技術は好まれず、わざわざウンチクとこだわりの発露のし甲斐のあるお高い技術が盛り込まれていることが前提である。その前提の上に、積み重なる歴史を含むストーリーときらきらと輝くブランドがあって成立している。それはアクセサリー、スマホやパソコンの「アクセサリー」とは異なる、人を飾るための装飾品でもあるからだ。
その点、アップル自身がアップルは腕時計でもブランドたり得る、と信じているに違いない。そして、人を飾るためのアクセサリーとしての仕掛けもしてきているようだ。ケースの材質で値段が決まっているように見えるのがその証左である。アルミ、ステンレスそして18金。材料としての金価格は、最近だと1グラムで5000円を割る程度だが、その材料の原価とは明らかにレベルの異なる飛びぬけた価格を提示しているところがプレミアムな希少価値を主張している。
自分を飾るという方面には、人とちょっと違う「高級なやつ」が欲しいのだ、お金があればだが……。高級腕時計というのはそういう気持ちがあるからこそ成立する。いくら高級でもみんながみんな、18金のApple Watchを着けられてしまったら困るのだなぁ。差がつかない。機能だけを買うのならばアルミがよい。機能以外が欲しいのならばというところだろう。
高級腕時計としての路線は一応押さえていることが分かったが、はっきり言って高級腕時計では数が出ないし、前述のように数を売るものでもない。高級感を醸し出しつつも会社規模的にはマスを狙わねば成り立たないアップルとしては、マスマーケット攻略も考えなければならないはずである。さすれば機能である。人々が夢中になるような機能はあるのか?
当然というべきか、基本機能はウエアラブルの「取りあえずの」本道とも言うべきスポーツ向け路線を強く意識した作りである。スポーツ向けで測るべきものはだいたい測れるようだ。スポーツを前面に打ち出した既存の他社製品と比べたときの精度はよく分からないが、センサー自体はそんなに違わないはずなので、精度自体はソフトウエアの出来次第だろう。アップルだから当然というべきか、ユーザーインターフェースは洗練されている感じである。
スポーツ向けの既存製品は、アスリート向けの計測装置臭いユーザーインターフェースでアスリートでも上級層に市場を限定してしまう一因になっているように思うのだが、Apple Watchならそういうことはなさそうだ。それでいて初心者向けの安物感もない。Apple Watchを種にして、Apple Watchダイエットとか、Apple Watchエクササイズとかブームを仕掛けてくる人が多発しそうな予感もする。
アップルにしたら思うつぼだが、アップルのことだから商標とかうるさそうだ。いっそ、アップル公認のフィットネススタジオやインストラクターのロゴでも作ったらどうか。そういうブレークの仕方はあり得るが、そういうことになると、ちょっとオシャレな健康器具のニッチにはまりこむ。熱心な人は熱心にやるだろうが、四六時中かじりついている中毒ともいうべき症状を起こしているスマホほどには人々を虜にできるとも思わない。週に2、3回、運動するとき使う程度ではブレークといっても知れている。
そこでさらに想像されるのは、スマホ(当然iPhoneだろうが)とApple Watchを両方とも持っているときの個人における使用時間の食い合いである。スマホとApple Watch間で相互の通信とかコラボ的な動作は当然ありだろうが、しかし人の意識が何かに向けられる時間は限られている。四六時中スマホを握りしめてゲームやら動画やら見ている輩(失礼)にはApple Watchなど見る時間がそもそもないのではないか。
もしかすると、Apple Watchが必要になるのは、スマホ中毒(?)層ではなく、スマホをポケットに入れるか、鞄にしまうようなタイプの人ではあるまいか。すると、あまりのめり込むような「中毒症状」は期待できないだろう。四六時中腕時計を眺めていたり、腕時計に話しかけたりしているのは、そのようなタイプの人の行動パターンとしてまずあり得ないと思うのだがどうか。
そうなると、本当にちょっと便利なスマホのアクセサリーとして、普通の腕時計同様、ときどき見るけれど1回1回はごく短い間になりそうだ。いろいろ機能的には便利ではあるけれど、腕時計と違うのは毎日の充電を忘れると面倒なことにある。腕時計ならそんな心配いらないのだが。こういう周辺機器アクセサリー的使い方もイマイチだと思うのだがどうだろう。
Apple Watch同士の通信機能もある。これはこれでとても面白いし、「ときめく」(じっさいに脈も取れるわけだが)機能ではあるので、飛びつく人は多いだろう。しかし「ときめき」は一瞬である。多分、四六時中「ときめいて」もいられない人の方がはるかに多い。ウエアラブルなのだから四六時中楽しい使い方を誰か考えてくれ〜というところだ。でも、そういう誰か任せにせず、自らユースケースを指し示してきたのがアップルの偉いところではあるまいか。まぁ、そのうち何か仕掛けてくるのだろうか。
取りあえずかっこ悪くはないし、話題の製品なので、お金があったら1つ欲しい感じはする。機能もいろいろ入っており便利そうだ。でもその先にウエアラブルな未来が本当にあるのかないのかはよく分からない。数年経って「あのとき馬鹿なこと書いたなぁ〜、ウエアラブルはこうなるに決まっていたじゃないか」と思うくらい反省させてほしい。反省してどうなるものでもないが。
筆者紹介
Massa POP Izumida
日本では数少ないx86プロセッサーのアーキテクト。某米国半導体メーカーで8bitと16bitの、日本のベンチャー企業でx86互換プロセッサーの設計に従事する。その後、出版社の半導体事業部などを経て、現在は某半導体メーカーでヘテロジニアス マルチコアプロセッサーを中心とした開発を行っている。
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